4月6日、宮城県に行ってきた。
訪れたのは、仙台から東北本線で30分ほどの町。そこで学校の先生たちの集まりに呼んで頂いたのだ。
福島第一原発から80キロの距離にあるその辺りは津波の被害からは逃れられたものの、県南部ということで、放射能被害に悩まされてきたという。
宮城県南部の放射能被害については、以前仙台に行った時も耳にしていた。
話を聞いたのは、「半農半X」の暮らしをしていた男性。畑と裏山がついた一軒家を借り、自給自足的な生活をしていた人だ。ストーブやお風呂を焚くのは薪。裏山ではタケノコが採れ、畑の野菜は直売所に出すという、自然から豊かな恩恵を受けるスローライフを送っていた。しかし、そんな生活を原発事故が一変させる。
薪の木を調達していた裏山にも放射能が降り注ぎ、薪の灰からは2万ベクレルが検出される。畑も田んぼも汚染されてしまい、野菜は作れない。子どもの身体が心配なので、西日本から野菜を取り寄せる日々。しかし、東電からはなんの補償もないという。
皮肉なことに、震災直後の停電の際、多くの人が寒さに震えたが、薪ストーブだった彼の家は暖かく、お米や野菜などもたくさんあったので食料に不自由することもなかったという。
電気がなくても、揺るがなかった暮らし。それを原発事故が奪うという構図に、言葉を失ったことを覚えている。
さて、今回耳にしたのは、「除染」についてだ。震災から2年が経つというのに、その辺りの学校では、最近やっと除染が始まったというのだ。しかも、私が話を聞いた先生の学校では、その対象は校庭のみ。通学路などは手つかずのままだという。
また、原発事故によって福島から避難している子どもたちについての話も聞いた。この3月で卒業を迎え、そのタイミングでいまだ線量が高いと思われる地域に戻った子どもも少なくないという。
「おめでとう、と手放しに喜べない」という言葉を聞いて、ただただ頷くしかできなかった。
震災から1年と1ヶ月後の4月11日には、四谷の教会で開催された東日本大震災チャリティイベントに出演した。その席で、やはり福島から東京に避難しているお母さんたちによるDVDが上映された。避難が強制される地域より少し外から自主避難している人たちの声が詰まったDVDには、様々な葛藤の言葉が溢れていた。
原発事故の直後、放射線量が高いことなど何も知らされずに子どもの手を引いて水を求める行列に何時間も並んでしまったこと。政府は「安全です」と繰り返すものの、子どもが尋常ではない鼻血を出し始め、避難を決めたこと。しかし、時に「避難したことを非難される」こともある。「帰りたい」と思っても、「自主避難」だからこそ、弱音を吐くこともなかなかできない。
原発事故のあと、勝手に引かれた一本の線によって、避難が強制される地域とそうでない地域が生み出され、そのことによって様々な分断や対立が生まれてしまった。避難するか、しないか、どちらを選択しても、自分と違う選択をした人との間に軋轢が生まれてしまう。事故から2年以上。それなのに、いまだに先の見えない暮らしを強いられている人たちの話を聞いて、現在進行形で傷口が広がり続けているような、そんな事態にまたしても言葉を失った。
そんな現実を目の当たりにしたあとで安倍政権を顧みると、なんだか頭がクラクラしてくるほどに「置き去り」な感じがして仕方ない。メディアはアベノミクスという言葉に思い切り浮かれ、憲法改正やTPP参加など、なんだか根拠のない「勢い」だけで、様々なことが押し切られようとしている。
この状況にどう対抗していくべきか、今、本気でヤバいと思いつつ、改めて考えているところだ。
4/11のチャリティイベントで香山リカさんと
いまだ津波被害が生々しく残ったままの被災地。
避難先で、迷いながらとどまった自宅で、
不安に押しつぶされそうになりながら生活を送る人たち。
そうした光景を放置したままでの、「景気回復」や「憲法改正」っていったい何?
政治は、何のために、誰のためにあるのか?
考えれば考えるほど、わからなくなります。
弱肉強食に歯止めをかけるのが、国家であり、軍隊