「千葉県銚子市で、母子世帯のお母さんが県営住宅の家賃を滞納して、自分の娘の首を締めて殺したという事件がありました。家賃減免制度のことが教えられていなかった。あと、生活保護の窓口に行ったけど、『あなた若いんだから働ける』って説明されたゆえに、生活保護は受けられないと思ってもう相談に行かなくなったという経緯があったようです。若い少女の命を奪ったり、お母さんを殺人者にしてしまうようなことは絶対になくさないといけない。生存権が、国民みんなの間で権利として認められていないんじゃないか。そんな思いがあります」
「今回のことを受けて、他の自治体の仲間などに聞いたら、『うちの職場で起きてもおかしくない』という人が結構いる。また、『自分が小田原の職員だったらジャンパーを着ることを拒否できただろうか』という率直な思いを抱いている職員もいます。ジャンパーを着ていないにしても、『見えないジャンパー』を着て利用者を上から目線で見たり、高圧的な態度で話したりといったことが全国の自治体で起きかねないし、自分が当事者になっていたかもしれないという声も出ています。小田原市だけの問題ではない」
1月24日午前、小田原市の市役所で始まった意見交換会とその後の記者会見。その席で、都内自治体職員で生活保護の仕事をしている男性・田川さんは言った。田川さんは保護係長を5年、ケースワーカーを10年してきたという大ベテランである。この日、田川さんも私も会員である「生活保護問題対策全国会議」のメンバーら7人が、小田原市役所に「公開質問状」を持参し、申し入れに行ったのだ。前回も書いた「保護なめんな」ジャンパー問題についてである。
こちらから参加したのは、「もやい」の稲葉剛氏、「全国生活と健康を守る会連合会」「POSSE」など普段から生活困窮者支援をする人々、そして田川氏など計7名。市側から意見交換会に参加したのは、福祉健康部の部長や市民部の部長など計6名。この日私たちが持参した「公開質問状」には、ジャンパー作成の経緯や市のホームページの生活保護に関する記述、今後の改革についてなど5項目を盛り込んだ。詳しくはこちらをご覧頂きたい。
午前10時半から始まった意見交換で、市の職員は「反省の極み」「お詫びするしかない」と口にしつつ、経緯を説明した。報道されているように、きっかけは10年前に生活保護を停止された男性が職員を切りつけた事件だったこと。それを受けてあのようなジャンパーを作ることは「やってはいけなかった」ことだったが、残業も多く大変な中で「俺たち頑張ってるんだぞ」というメッセージを内部の職員に向けて出したかったこと。が、「稚拙な表現」で、保護世帯からすると「威圧の言葉」だったこと。自分たちもそのジャンパーを見ていたが、ただのデザインとしてしか認識していなかったということ。また、話し合いの中で、10年前にこのジャンパーを作ったのは当時の保護係長だったということも判明した。係長のもと、職員たちで意見を出し合いながらデザインし、市内の洋品店に注文したという。
「差別意識があったという認識ですか」
こちら側からの問いかけに、市側は「差別意識は決してない」と何度も繰り返した。
しかし、差別意識のあるなしに関わらず、あのようなジャンパーを着て生活保護世帯を訪問すること自体、「実害」が発生していると言える。精神的苦痛を受けた人もいただろうし、近所の人に生活保護世帯であることが知られてしまった人もいるかもしれない。田川氏は、「お揃いのジャンパーを着て訪問すること」がいかに「守秘義務」に反することか話した。自治体によっては役所の車や役所の自転車とわからないもので訪問する、また、役所の自転車で行く場合は、保護世帯の家の近くには止めずに遠いところに止め、そこから歩いて訪問するなど。真っ当な生活保護行政がされている自治体では、ここまでの配慮がなされているのだ。
話し合いでは、ジャンパー以外の問題点にも触れられた。そのひとつが市のホームページだ。「生活保護制度について」説明する部分に、稲葉氏をして「オンライン上の水際作戦」と言わせる違法性の高い記述がされていたのだ。
まず、ページの一番最初にあるのが生活保護の基本情報ではなく、「生活保護よりも民法上の扶養義務(特に親子・兄弟間)の方が優先されますので、ご親族でどの程度の援助ができるか話し合ってください」という一文。そのあとも「こういう場合は受けられない」「受けたらこんなデメリットがある」という情報ばかり。そもそも最初の一文自体、誤解を招くものであり、大問題の記述だ。親族の扶養が優先などと書かれたら、DVや虐待を受けているなど家庭の問題がある人が軒並み排除されてしまう恐れがある。それを狙っていたのでは、と思われても仕方ない書き方なのだ。
これについては稲葉氏が自身のサイトで問題提起した結果、「ジャンパー問題」が大きく報じられた翌日には書き換えられたという経緯がある。一応「改善」はされたわけだが、まだ問題が残っていた。話し合いの場で、田川氏は「今も間違った記載が残っています」と指摘。
それは生命保険について。生活保護を受けるにあたって生命保険はすべて解約しなければいけないと誤解させるような記述があるのだという。が、解約金が低額などの場合、一部の生命保険には入っていても構わないという。
「これは監査の時などに、『解約させてるけど間違いですよ、本人が入っていていいものなのになんで解約させるんですか』と叱られる事項です。国の生活保護手帳の中にも書いてあります」
「毎年厚労省から出される小冊子にも、間違ってはねつけるんじゃないよということが書かれています。例えば不動産を持ってても保護を開始していい。後で持っていけないものであれば売却してお金を返してもらう。資産価値が低ければそのまま住み続けられる。その代わり住宅扶助(家賃)は出ません。それを一律に『あなたは家があるからダメ』って追い返しているとこがあるので、厚労省や担当局が口を酸っぱくして言っているんです」
田川氏が言う通り、生活保護には「車、家があると受けられない」「65歳以下だと受けられない」「年金を貰っていると受けられない」など間違った情報がつきまとっている。が、条件をクリアすれば車や家があっても受けられるし、若くても、年金収入があっても受けられる。
問題なのは、このような「生活保護の現場で働く人たちが最低限知っておくべき知識」が、地域によっては恐ろしいほどに周知されていないことなのだ。「命を預かる」窓口で、職員の知識の格差によってあっさりと分かれてしまう明暗。
このようなことを書いたのは、あるメディアで、小田原市の生活保護担当職員が匿名で取材に答えている記事を読んだからだ。一読して、「この職員、生活保護の基本の基本をわかっていないのでは?」と不安になるような内容だった。
何度も書いている通り、生活保護の不正受給率は2%、額にして0.5%だ。が、その職員は「実際にはその10倍以上」と、根拠を上げないままに断言。「中には、どう見ても健康な30代の若い男が受給を認められたりしているのです」と語っている。
が、「若くて健康な男性が生活保護を受ける」ことは、当然だが不正受給でもなんでもない。年越し派遣村を思い出してほしい。その中には若くて健康な人もたくさんいたが、派遣切りなどで職も住む場所も所持金も失い、多くが年明けに生活保護を申請した。そのまま放置すれば餓死する可能性が高い。「働け」と言っても、住所がないと仕事など見つからない。面接に行く交通費も、その日の食費もないのだ。よってまずは住所を確保し、職探しをする生活基盤を整える。そのために生活保護を使うのである。これが「若くて健康な人が利用する」場合だ。また、一見健康に見えても、精神障害や知的障害を抱える人が多いことも知られている。
このような事実をもってして思うのは、小田原では、「生活保護とは」「福祉とは」「ソーシャルワークとは」という基本的な教育・研修などがなされていないのでは、ということだ。
その点についてこちら側から尋ねると、やはり研修体制などが十分でない中、新人が生活保護の担当に回されている実態が明らかとなった。「現場を知ってもらう」という意味も含め、新人は福祉や税など市民と接する現場に配属するという。すぐに実務となるが、「先生役」としてつくのは先輩ケースワーカー。1年間、その中で働きながら学んでいくという。が、このシステムの弱点は、先輩から後輩に向けて、「悪い慣習」がそのまま引き継がれてしまうことがある点だ。生活保護法や厚労省の通知などより、「先輩から教えられたこと」を鵜呑みにし、違法な窓口対応が続いていた現場は多くある。が、生活保護の窓口は、そこで断られたら命を亡くす可能性が高い現場だ。プロとして命の砦を守るために、「生活保護とは」という徹底した研修が絶対に絶対に必要だと思うのだ。
さて、差別意識はないと繰り返した市側だが、どうやって差別をなくすべきかという話をしている時、こちら側のメンバーの一人が「生活保護利用者を呼び捨てにしていないですか」という質問をした。
「例えば、『鈴木がこんなこと言ってきた』とか『あいつまたこんなことやりやがって』とか。普段職員の間でそんなやり取りになっていないですよね? ちゃんと『さん』付けで呼んでらっしゃいますよね?」
その質問に対する市側の答えに、思わず椅子からずり落ちそうになった。
「いや、あんまりそんなに大きな声でやり取りしないので。他の人には聞こえないので」
周りに聞こえないとかじゃなくて、普段から職員間で利用者を呼び捨てにするようなことが「差別意識のあらわれ」だから、そういうことはないですよね、と質問しているのである。なんだかこういう回答を聞くと、「問題の本質がどれくらい理解されているのだろうか…」という不安が込み上げてくる。
が、フォローするわけではないが、生活保護の現場は確かにオーバーワークだ。一人当たりの担当ケースは標準80世帯だが(これでも十分多すぎるが)、先週の原稿にも書いたように、今は一人が100ケース以上を担当するなどザラにある。小田原市でも、4人の欠員があったという。慢性的な人手不足なのだ。
田川氏によると、生活保護の仕事の「人気がない」背景には、仕事量が多く、精神的な負担も重く、メンタルで疾患を発生する人が多いという事情もあるという。ベテラン職員を回すと、下手したら退職してしまうこともあるそうだ。が、国からは「職員を増やすな」という締め付けがある。一方、専門家が絶望的に不足しているという実態もある。社会福祉士の資格を持つ人はたった2%。福祉についても知識がまったくない人も多くいるのだ。だからこそ、徹底した人権教育が必要だろう。
話し合いでは、なぜ、このようなジャンパー事件が起きたのかについて、外部の人も入れた検証委員会の設置、研修の見直しなどについて市側から前向きな発言があり、また、2月末には公開質問状の回答を貰うことも決まった。そうして午前11時半、意見交換会は終わり、私たちは記者会見をした。
生活保護に関する問題で、「生活保護問題対策全国会議」などが動くことは今回が初めてではない。私自身も今まで、2012年の札幌姉妹餓死事件で札幌市白石区への申し入れに参加し、同年、さいたまで起きた親子3人餓死事件でもさいたま市に申し入れに行った。また、私は行っていないが、これまで、神奈川県鎌倉市や大阪府貝塚市で問題のある対応がなされたことに対して、共に活動する人々が申し入れに行っている。「65歳以上じゃないと生活保護は受けられない」と水際作戦をしていた鎌倉市に改善を求め、職員が勝手に保護利用者に府営住宅を申し込んで転出させた貝塚市にも対応の見直しを求めたのだ。結果、弁護士など外部の意見を取り入れ、職員の意識も大きく変わったという。
このような実例があるからこそ、今回の事件が小田原市にとって、生活保護行政の改善のきっかけになることを祈っている。
先に書いた、匿名で取材に答えていた小田原の職員は、私たちらしき人を指して「生活保護を推進する弁護士やNPO法人の連中」と敵視するような言い方をしていた。が、私たちは決して「敵」ではない。水際作戦など違法行為をなくすとともに、職員のオーバーワークを改善するための職員の増員も求めている。また、「生活保護を推進する弁護士」という言葉についてだが、生活保護の捕捉率は2〜3割。フランスは9割、スウェーデンは8割だ。生活保護の捕捉率を他の先進国並みに上げることは重要な課題のはずである。
「でも現場は大変で綺麗事なんか言ってられないんだよ」
そんな意見もあるだろう。
ということで、最後にある市の取り組みを紹介したい。それは滋賀県野洲市。「ようこそ滞納いただきました」と言う市長は、税金の滞納について「貴重なSOS」と語る。
税金を滞納する人は、国保料や社会保険料も納めていないことが多い。生活に困っていると感じたら、野洲市ではそれぞれの課が連携して市民生活相談課に案内しているのだという。そうして生活を立て直す支援をする。水道料金や保育料、給食費の滞納があった場合も把握する。そうして市民の「困窮サイン」にいち早く気づいておけば、支援も早くできる。そうすることで、結果的にコストがかからない(朝日新聞2015年8月31日ほか)。
生活保護の水際作戦がまかり通り、時々餓死者や自殺者が出る自治体と、やむを得ず税金を滞納したら「ようこそ滞納いただきました」という言葉がかけられ、支援に繋がる自治体。あなただったらどちらに住みたいだろうか。
現状の制度内だって、できることはたくさんあるのだ。問われているのはただひとつ、住民に対する「まなざし」である。
これから小田原市がどう変わっていくのか、見守りたいと思っている。
小田原市に公開質問状を手渡す『生活保護問題対策全国会議』のメンバー
こうやって足を運び、申し入れをするという地道な活動の継続が、現場を変えているのだと感じました。必死の思いで生活保護の職員のもとを訪れた人が、そこでつらい思いをしたせいで、二度とセーフティネットにつながらなくなるという話は、残念ながらよく聞きます。差別意識は、自覚されているものとは限りません。さまざまなバッシングが社会に広がるなか、職員だけでなくすべての人に、人権とは何か、生活保護とは何なのか、という教育をしっかりしていくことが必要ではないでしょうか。
小田原の件は、ハッキリ申し上げれば実にわかり易い事例でしょうね。
それよりも、もっと手の込んだ狡猾なやり方もあります。
それは、行政云々というよりも様々な行政機関や民間等に手を回すようなやり方です。
この場合、水面下であれこれ行うので通常の手段では、気付かれないことが多いでしょう。
「保護なめんな」ジャンパー。集団は人を変える。理性が感情に埋没した光景に映る。ネット社会が人間から考える力を奪ってしまったか。これに類似した光景はあちこちで見られるに違いない。「和して同せず」。孤独な時間の重要性が身に染みる。
がんばって!