雨宮処凛がゆく!

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「原発やめてしまうまでがんばるぞ」とのことで「シマウマ」! 素敵!

 自分のブログにも暑苦しく書いたのだが、あまりにも嬉しいのでここでもじっくりと、しつこく書きたい。

 それは、2011年12月3日、「NO NUKES! ALL STAR DEMO 2」のこと。この日は雨宮史に残る記念すべき日となってしまったのである! なんといっても、長年の夢が突然叶ってしまったのだ!! 
 それは、「SUGIZOさんと会えたこと」!!!!! 
 もしかしたらこれを読んでいる中で上の世代の方にはSUGIZOさんを知らない人もいるかもしれないので、説明しよう(得意げに)。

 SUGIZOさんとは、日本が誇るバンド・LUNA SEAのギタリストであり、現在はX JAPANのギタリストもつとめていらっしゃるという、まぁ、なんというか私にとっては「神」以上の存在なのである。

 そんなSUGIZOさんは国内だけでなく、世界で大活躍している素晴らしいミュージシャンなのだが、公式サイトのプロフィールには以下のようにある。

 「音楽活動と平行しながら平和活動、環境活動に積極的に参加、アクティヴィストとしての動きをも幅広く展開している」

 そう、SUGIZOさんは超カッコいいミュージシャンであるだけでなく、平和・環境問題に取り組むアクティヴィストでもあるのだ! 
 ちなみに私がSUGIZOさんのファンになったのはかれこれもう20年前。元いじめられっこで学校や学校内の人間関係にまったく馴染めず悩んでいた頃にLUNA SEAの音楽と出会い、人生が激変。以来、LUNA SEAの熱烈な「追っかけ」となり、当時まだインディーズだった彼らが北海道に来れば極寒の中だろうとなんだろうと地の果てまで追いかけ(本当にすみません・・・)、時に真冬の北海道で野宿し、そして当時、ラジオの出演でよく札幌に来ていたので、入り待ち・出待ちを繰り返す・・・という、今考えると本当に「歩く迷惑条例」のようなことをやらかしていたのである。

 そんな私がLUNA SEAの中で誰のファンだったかというと、当然SUGIZOさん。もうどれだけファンだったかは、当時のバンギャ友達に聞けばわかると思うのだが、私でさえ今となっては連絡がとれないので証明のしようがないのが辛いところだ。が、とにかく、10代後半の私が発した固有名詞の中でもっとも多かったのが「SUGIZO!」であることは間違いない、と自分で断言できるくらいのファンだったのである。ちなみに私の大傑作小説として追っかけ少女の青春を描いた『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)があるが、どう考えても自分をモデルにしたとしか思えない主人公・えりの大本命バンドの名前は「LUNATIC MOON」。しかもえりが好きなのは「雫朗」(しずろう)。これはもう、LUNA SEAのSUGIZOであることは誰の目にもバレバレなのである! 
 そんな日々からもう20年近く。10代の頃追っかけばかりしていた私は20代となった頃、大好きなバンドのことよりも「自分がこれからどう生きていくか」という現実に向き合わざるを得なくなり、次第にライブなどには通わなくなっていた。その後、右翼団体に入ったりと紆余曲折を繰り返しながら25歳で物書きに。そうして今から5年前の06年、プレカリアート運動に出会い、貧困や格差といった問題がテーマとなっていったわけだが、それでもずっとLUNA SEAは大好きで、去年の末には東京ドームのコンサートのチケットを買い、足を運んでいた。久々に観るSUGIZOはやっぱり死ぬほどカッコ良くて、ただただシビれた。そんなふうに、私にとってはずっと「神」だったのだ。

 そんなSUGIZOさんが六ヶ所村などの問題にかかわっている、と知ったのは数年前のこと。原発や環境、平和問題に取り組む周りの人たちから「SUGIZOさんがこの前集会に来てくれてたよ」などとあちこちで耳にするようになったのだ。最初に聞いた時はただただ驚いていたのだが、高校生の頃に大ファンになったミュージシャンが、自分の活動している現場と近い場所で原発や平和の問題について発言してくれている、という事実は、私をこれ以上ないくらい、勇気づけてくれるものだった。

 いつか会えるといいな・・・。そんな淡い期待を持ちつつも、「まさかお会いできるわけがない」と思っていた。だって、私にとってのSUGIZOさんは、「東京ドームのコンサートでものすごーく遠くからお姿を観ることができるアーティスト」なのだ。

 それがあんた、3日のデモの数日前、私に奇跡の連絡が来たのだ。

 この日のデモの集会で私は喋る予定になっていたのだが、なんと、「SUGIZOさんと花房浩一さんと菅波完さんとの座談会でお願いします」というではないか!! 
 なんですとおおおおおお!!!!!! 
 私は思った。生きててよかった、と。心から、思った。

 しかし、当日、お会いするまで半信半疑だったのも事実だ。なんか「SUGIZO」と名乗る全然別ジャンルの別人が来るのでは? とか、「元バンギャな私を騙す大がかりなドッキリなのでは?」と思っていたのだ。それくらい、現実味のない出来事だった。

 そうして、当日。デモを終え、楽屋に向かうと、SUGIZOさんがいらっしゃったのである!!!!! 
 もう、この感動を言葉で表すことなどできない。そうして私は、代々木公園野外音楽堂で、SUGIZOさんとともに座談会に出演したのである。追っかけ時代であれば一瞬見ることしかできなかったSUGIZOさんと、なんというか、合法的に、お話してしまったのである!!!!! 
 この時の感動の映像! 前半後半。前半は、3分くらいのとこで登場します。
 ああ・・・。本当にまだ信じられない・・・。もう夢なんじゃないかと思って、そう思うたびに動画を再生して現実だと認識し、感動を噛み締める日々だ・・・。っていうか、誰か、私の葬式でこれ流して・・・。頼んだよ・・・。

 そうして嬉しすぎるあまり、私は楽屋でSUGIZOさんに「20年前の追っかけについて本人に謝罪する」というよくわからないことをしてしまったのである! そんなこと今更言われても! っていうか、「その節はすみませんでした」って、どの節だよ! と自分で自分に突っ込みつつ、夢のような時間は過ぎ去ったのであった。

 はぁ、少し呼吸を整えよう。

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デモ出発前の様子。

 原発事故は、悪夢のような状況をこの国に生み出した。

 しかし、その最悪の事故から唯一私たちが得たものがあるとすれば、「この最悪の事態をなんとか変えていこうとする人々がつながり始めたこと」だと思うのだ。

 あの日以来、私は本当にたくさんの「同志」と出会った。一緒に変えていこうという意志を持ち、行動している/行動を始めた人たちと多く出会い、いつも勇気をもらっている。

 そうして私は、なぜか自分自身が追っかけをしていた方と、「脱原発」を訴える場で出会えてしまった。高校時代に大ファンになり、以来、ずっとファンであり続けているミュージシャンが、堂々と「原発と共存できない」ということを発信していることが、今、ものすごく嬉しい。ものすごく、勇気をもらう。

 そしてたぶん、今これを読んでいる人の多くも、SUGIZOさんがそんな主張をしてくれていることに、ものすごく勇気をもらっているはずだ。

 とにかく、今回の原稿は、「祝・雨宮処凛祭り」のような様相になってしまった。

 だけど、本当に嬉しいのだ。

 それもこれもすべて、私の日頃の行い(脱原発デモばっか行ってるとか)がいいからである。

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SUGIZOさんと。もう写真を見ただけで動悸・息切れ・目眩が・・・。

 

  

※コメントは承認制です。
第213回 夢が叶った日。の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    雨宮さんの大興奮ぶりが伝わってきて、
    なんだかこっちまで嬉しくなってきてしまった今回の原稿。
    「人々がつながり始めた」ことが3・11後の大きな収穫だという言葉は、
    多くの人の実感でもあるのではないでしょうか。
    雨宮さんに負けず「日頃の行いがいい」あなたにも、
    きっと嬉しい出会いが待っている(かも)?

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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