雨宮処凛がゆく!

 オバマ大統領広島訪問について、いろんな意見が飛び交っている。

 感謝の気持ちを表現する人、謝罪がないことに対して憤慨する人、いろいろな人がいろいろ言ってるけど一定の評価はしたいという人、やっぱりどうにも評価できないという人。
 メディアは繰り返し「歴史的」と伝えている。確かに、歴史的なことなのだろう。
 広島の平和記念公園で「被爆者」を抱き寄せるシーンは、「感動的」なものだった。オバマ大統領の笑顔やその時々の表情の作り方や振る舞いは、常に「完璧」だった。ニュース番組なんかでオバマ演説を聞いた広島の被爆者の方々が「嬉しい」「やっと決着した」「ありがとうと言いたい」なんて言ってるのを聞くと、「よかったなー」と「いい話」にしてお茶でも飲んで「あーいいもん見た」って感じでそのまま終わりにしたくなってくる。だけど、「それでいいのか?」と、私の中の面倒な人が言ってるので、書きたい。

 あの「感動的」なオバマ広島訪問の一連の報道を見ていて思ったのは、「加害」と「被害」についてだ。
 オバマ訪問の直前には、ご存知の通り沖縄で20歳の女性が遺体で発見され、米軍属の男性が逮捕されるという事件が起きている。そして言うまでもなく、沖縄ではもうずーっと長いことそんな事件が幾度も幾度も起きている。そうして71年前の戦争を終えたアメリカは、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争へと突き進み、9・11テロ後にはアフガンへの空爆、その後、イラク戦争へとなだれ込んできた。
 そうして現在は、イラク戦争後の泥沼から生まれたイスラム国(IS)への空爆と称し、イラクやシリアでテロとはなんの関係もない無辜の民を殺傷し続けている。今、この瞬間もだ。そうして終わりなき「テロとの戦い」は、今や世界中をテロの危険に晒している。
 このような全部をすっ飛ばして「歓迎」したり「感謝」したり「感動」することは、私にはどうしてもできなかった。
 そうして、思った。もし日本の首相が中国や韓国に行き、あの戦争の被害者と会ったら、と。中国の王毅外相はオバマ広島訪問について、「広島は注目に値するが、南京はもっと忘れてはならない。被害者には同情するが、加害者は永遠に責任を回避できない」と述べている。

 「歓迎ムード」が伝えられる一方で、元広島市長の平岡敬氏は、毎日新聞5月27日のインタビューで「原爆を使った過ちを認めないのなら、何をしに広島に来たのかと言いたい」と述べている。
 平岡氏は、「未来志向」という言葉にも疑問を呈する。

 「日米両政府が言う『未来志向』は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう」

 「『謝罪を求めない』というのも、無残に殺された死者に失礼だ。本当に悔しくつらい思いで死んでいった者を冒とくする言葉を使うべきではない。広島市長と広島県知事も謝罪不要と表明したのは、残念でならない。米国に『二度と使わない』と誓わせ、核兵器廃絶が実現して初めて、死者は安らかに眠れる」

 私は平岡氏の主張に共感する部分が多い。一方で、被爆者の方が「未来志向」と口にする時、どれほどの憎しみや葛藤を乗り越えてきたのだろう、と果てしない気持ちに包まれ、ただただ頭が下がる思いがある。実際、オバマ氏に「あなたはノーベル平和賞をとったんだから遊んでいてはダメですよ」と言った被爆者の坪井直さんは、長らくアメリカを憎んでいたこと、今も憎しみが消えたわけではないことをインタビューなどで述べている。

 アメリカの核の傘のもとで唯一の被爆国として戦後の長い時間を過ごし、そのアメリカの大統領が広島に来ると「オバマフィーバー」が起きる国。アメリカの加害責任を声高に叫ぶ人が目立たない国。謝罪を要求しない国。一方で、アジア諸国に謝罪を要求されると、逆切れ的な反発があちらこちらで起きる国。
 オバマ広島訪問を通してはからずも浮かび上がってきたのは、この国が戦後の加害、そして被害に正面から向き合わずに71年を過ごしてきたのだという事実のように私には思える。そこでは論理よりも感情が優先される。「許さない」なんて大人げないとか後ろ向きとか、アジアの国が「謝れ」なんていつまで同じことを言い続けるのか、とか。そしてこの加害と被害の総括がなされないまま71年経った国で、歴史は時に歪曲され、歴史観・戦争観を巡って激しい対立が続いている。お互いに共有している世界があまりにも違うので言葉が通じないほどに。そうして対立や面倒を避ける人々はなんとなく無言になり、沈黙してしまう。

 2009年、「核なき世界」の実現を訴えたプラハ演説が評価され、ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領。
 前出の元広島市長・平岡氏は、以下のように述べている。

 「オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない」

 そんな事実を思うと、坪井氏がオバマ大統領に言った「あなたはノーベル平和賞をとったんだから遊んでいてはダメですよ」という言葉の意味が、また違ったものに思えてくる。あの笑顔に、どれほどの思いが詰まっていたのだろうか。
 オバマ大統領が広島に来たことで、「心の整理」がついた人もいるだろう。傷が癒されたという人もいるだろう。そんな人たちの思いは絶対に尊重されるべきだ。それは、オバマ大統領にしかできなかったことなのだと思う。
 一方で、イラクやシリアでは今も泥沼が続いている。空爆が続いている。日本ではほとんど報道されないけれど。
 そんな中、シリアで拘束中とされる安田純平さんの映像が公開された。

 「助けてください。これが最後のチャンスです」

 泣きたいような気持ちで、ただただ無事を祈ることしかできないでいる。戦争は今、まさに起きている。安田さんが無事に帰国できますように。今はそれしか言えない。

 

  

※コメントは承認制です。
第378回加害の記憶、被害の記憶〜オバマ大統領広島訪問から考える〜の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    さまざまな意見があったオバマ大統領の広島訪問。「核のない世界の実現」が言葉だけに終わるのか、その評価はこれからの動きにかかっています。
    そして、公開された安田純平さんの映像。時間が経つ中で、一体どんな対応がされているのか…歯がゆい思いで見守るしかないのでしょうか。どうか無事に解放されるようにと心から願います。

  2. 松宮 より:

    オバマ大統領が謝罪しなかったことは、とがめるべきではないと思います。
    なにしろ、彼は原爆投下から9年後に生まれたのです。そんな人に責任を問うのなら、私たち全ての日本人は、米国人と会う度に真珠湾攻撃を謝罪し、韓国人と会う度に従軍慰安婦や強制連行を謝罪し、中国人と会う度に人体実験を謝罪し続けなくてはならないのです。
    そんなことより、たった一言でいいから、資料館を見ての感想や、一般論ではない、核廃絶に向けた「具体的目標」を聞きたかった。

  3. asa より:

    「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」というメッセージを見たアメリカのオバマ大統領にしてみれば、これは実際にどうなのかは、オバマ大統領に聞いてみないとわかりませんが、きっと
    「安らかに眠って下さい。憲法9条を亡き者にしようとするこそ、絶対に許しませんから」という思いで広島に来られたのだとするならば、如何でしょうか。

    沖縄県民の皆さまにしてみれば、中国とともに、オバマ大統領に対して、「どうか、くれぐれも、憲法9条を亡き者にしようとする一部の日本人にだけは、絶対に騙されない様、ご留意のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます」ということで、応えているのではないでしょうか?

    これが「保育園落ちた、日本死ね!」という怒りの矛先の日本というのが、「ふざけるな!この大日本帝国の馬鹿野郎!」という怒りこそが、オバマ大統領に限らず、全人類共通の認識であるとするならば、これを勘違いして、「憲法9条を亡き者にしてでも戦前の日本を取り戻そうとするだけの一部の日本人」こそが、全人類の大敵であるばかりでなく、これが「お国のため、天皇陛下のため」などといったところで、結局のところは「頭隠して尻隠さず」というボロを自ら白状したばかりでなく、これはもう天皇陛下にしてみれば、もうこれほど可哀想なことはないばかりでなく、これこそが「公共の迷惑」極まりない存在でしかないのは、もう誰が見ても明らかなことではないかという真実を見破れば、これはもう、右翼と左翼どころの騒ぎではない、民族分断どころの騒ぎではない、物凄い断絶になることは避けては通れないし、私たち日本人としての、これまで辿ってきた歴史的、文化的、社会的な様々な環境要因との相互作用により、自ら招き入れてしまうことになるのだとしたら、これも転機の一つとして捉えるとすれば、こうした一部の日本人には、意欲も熱意も喪失し、どんどん涙を流し続けながら、どんどん泣き寝入りして頂くしかないのは、もう致し方ありませんが、決して、これが永遠に継続するものでは決してなく、一時的なものであるとするならば、こうした罪悪感だけを、そっと静かに歴史の闇の中に、どんどん葬り捨ててしまうことで消滅させながら、これを乗り越えていくことにより、これまでとは違う形での名誉や地位向上に繋がることが出来るのだとするならば、私たち日本人にとってのメリットとデメリットにより、デメリットこそがリスク要因として、自ら解決すべき課題もしくは克服すべき課題でもあるのだとするならば、どちらかデメリットの小さい方を選択するというのが望ましいかも知れませんね。

  4. おおみやのやっちゃん より:

    「ヒロシマ・スピーチ」の直後は賛美一色だったけれど、
    やっと冷静なコメントが多く出てくるようになった。
    スピーチの直後に、「政治家のスピーチとしては如何なものか」と
    私がある記事に投稿したら、NOマークと反論で叩かれたのは、
    何だったのだろうか。

    スピーチ内容を活字で確認するとよくわかる。
    演説の冒頭からして、「71年前、空から死が降ってきて世界が
    変わった」なんてあるがウソだ。死は空から降ってきたのではなく、
    米国の原爆投下によるものだ。

    政治家の演説としたら、突っ込み箇所の多い内容だと思うけれど、
    日本国民はどう聞き、どう読んだのだろうか。
    欧米社会のレトリックに騙されてはいけないね。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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