首相官邸前。雨の中、続々と人が増えていく。
7月6日、またしても首相官邸前が人々で埋め尽くされた。
雨が降りしきる中、集まったのは15万人。
なんと数日前にニューヨークから日本に来たという坂本龍一氏まで駆けつけ、官邸前でスピーチしてくれた! 坂本氏は、大飯原発前での抗議行動も見ていたのだという。そうして「40年ぶりに日本人が声を上げている。一人の日本人として僕も参加したいと思ってきた」と発言。「世界のサカモト」が官邸前に「やっと来られた」というのを聞いて、大きな勇気をもらったのだった。金曜夜の官邸前が今、日本で一番アツい現場であることは間違いない。
この日は、大飯原発がある福井県の人も再稼働に反対してマイクを握った。地元でも7割の人が再稼働には反対しているという。そんな男性の発言で驚いたのは、38年間福井県に住んでいるものの、一度も避難訓練をしたことがないということ。今回の再稼働にあたっても、特別に避難訓練などは行なわれていないという。
また、福島第一原発から1.5キロの場所に住んでいた女性も発言。3・11まで「絶対安心」「絶対安全」という言葉にいかに騙されていたかということ、そして過酷な避難生活について、女性は涙ながらに語った。原発事故を受け、お金もほとんど持たずに着の身着のまま逃げ出してきたこと。避難している最中、何度も「死んだ方がマシ」と思ったこと。情報もなく、避難所もない中で、線量の高い方高い方へと逃げていたこと。彼女は言った。「これまで、避難訓練はしてきました。だけど実際に事故が起きると、なんの意味もありませんでした」。
福島第一原発の事故を経験した一人として、「大飯原発を再稼働するのであれば、せめて5、6カ所の避難所を作ってほしい」と女性は言った。彼女は、避難所がないことでとてつもなく苦労したのだという。実際に事故を経験した人からの「せめて避難所を」という言葉は、あまりにも重い。もし、明日にでも大飯原発近くで大地震が起きて原発事故が起これば、また大量の人が「難民化」を強いられる。1年と4ヶ月前の悲劇が、あまりにも凄惨な光景が、この国にまた出現することになる。
その通りです。
放射能に阻まれて救援活動が遅れ、餓死した人、早く救助されていれば助かったかもしれない津波の被災者、あの日から一度も戻れない自宅や、情報が錯綜する中、「すぐ戻れる」と聞いて置き去りにしてきてしまったペットや家畜たち。
たった1年と少し前のことなのに、そして今も避難生活を強いられている人が大勢いるのに、野田首相はそんなことなど忘れたかのように再稼働に突っ走った。一体、これらの人々に、どうやって再稼働の理由を説明するのだろう。どうやったら「納得」が得られると思っているのだろう。「日本経済のために我慢して下さい」などと言うのだろうか。それとも「国民の生活を守るために黙って下さい」とでも? 考えれば考えるほど、強い怒りが湧いてくる。
この日は、自らの息子が今も原発で働く女性もスピーチしてくれた。被災者でありながら原発労働者であるという息子は、「自分の故郷のことだから自分たちでなんとかしないと」と原発での作業を続けているという。
「小さな子どもの命も大切ですが、私には30歳の息子の命も大切です」
女性の言葉が、胸に突き刺さった。
こんなふうに、今も多くの人が自らの身を危険に晒しながら原発事故の後始末に追われている。「そんな中で再稼働なんて何を考えているんですか」。被災者であり、原発労働者の家族からの切実な叫びだ。
この日、野田首相は官邸前の抗議行動について、「多くの声、さまざまな声が届いております」とコメントしたという。
前回の「大きな音だね」よりはちょっとは進歩したというか、やっと「声」として認識したわけだが、週末ごとに10万人以上が官邸前に集まって「再稼働反対」の声を上げ続けるという歴史的な事態について、野田首相はどう考えているのだろうか。
官邸前がまた人で埋め尽くされる。
官邸前には、再稼働に反対して多くの国会議員も来ていた。
この日、私が会っただけでも亀井静香氏、志位和夫氏、福島みずほ氏、田中康夫氏が来ていた。先週は川田龍平氏にも会った。
「紫陽花革命」は、今、確実にこの国の未来を変えようとしている。人々が本気で、自分や大切な人、そしてこの国や世界の行く末に思いを馳せ、声を上げている。何度でも何度でも、官邸前に集まり続け、声を響かせ続けよう。黙ってしまった途端に、私たちは「容認派」にされてしまう。「一過性」の「集団ヒステリー」だった、なんて言われてしまう。これほどの人が真剣に未来を考えているということを、証明し続けよう。
次回は7月13日、午後6時から。
そして7月16日は代々木公園で「さようなら原発10万人集会」だ!! 詳細はこちらで。
個人的にはまたSUGIZOさんにお会いできるのが嬉しすぎるのだが、とにかく、未来を少しでも変えるために、集まり、声を上げよう。
福島みずほさんと対談。
「大きな音」が「さまざまな声」になったのを、
進歩とは呼びたくないけれど、少なくとも「届いている」のは確か。
声をあげることをやめてしまったら、そこで終わり。
こんなことで、あきらめてなんてやらない。忘れてなんかやらない。
それを見せつけるためには、「続ける」しかないのです。