官邸前。
なんだかバタバタしていて、前回の更新から大分時間が経ってしまった。
で、前回の原稿で書いたのは、脱原発杉並の盆ダンス。8月18日に開催されたわけだが、その4日後の8月22日、とうとう「首都圏反原発連合」と野田首相の会談、というか「官邸内抗議」が実現したことはみなさんご存知の通りだ。
この会談には、様々な意見があると思う。しかし、私自身はあの日、官邸前で野田首相との会談に向かうみんなを送り出しながら、ただただ胸がいっぱいになった。群がるテレビカメラ。直前の告知だったにもかかわらず、応援のため炎天下に集まってくれたたくさんの人たち。そして、目の前に聳える首相官邸。3月から、首都圏反原発連合はここで抗議行動を続けてきた。最初の頃は数百人。閑散とした官邸前に響きわたっていた「再稼働反対」の声が20万人の怒濤のうねりとなり、そしてこの日、とうとう官邸内に乗り込むところまでたどり着いたのだ。「大きな音だね」とスルーしようとした野田首相をひきずり出すことに成功したのだ。
官邸前の「再稼働反対」のコールの中、会談の生中継を見た。野田首相を前に、反原連のメンバーは一歩も引かずに大飯原発の即時停止や他の原発も再稼働しないよう、冷静に訴えた。一緒に中継を見ていた女性は、終始感動の涙を流していた。暑い暑い炎天下、官邸前の路上で、私は歴史に新たな1ページが刻まれるのを、確かに見た。
私も応援に駆けつけました!
これが何になるのか、という意見もあるだろう。しかし、なんの組織でもなく、後ろ盾もない、本当に「民衆の動き」としか言いようのない官邸前抗議行動が、一国の首相を引きずり出したことの意味はあまりにも大きいと思うのだ。一人一人は無力かもしれない。だけど、私たちは、力を持っている。直接民主主義のひとつの実践を、こういった形で示したこと。主役は代表メンバーではなく、官邸前に集まってきた一人一人だ。その一人一人が、あの場を作った。この経験は、今すぐには役に立たなくても、5年先、10年先、或いは様々な政治の動きの中で抵抗しなければならない時、絶対に役に立つ。なぜなら、あの日に至るまでのすべての経緯が、様々なノウハウの蓄積の実践だからだ。
そして暑い中、大勢の人が駆けつけてくれた!
この日、野田首相と対峙した反原連メンバーはとにかくカッコよかった。中でも、「怒りのドラムデモ」のイルコモンズさんの言葉には胸が熱くなった。イルコモンズさんは野田首相の「ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」という言葉を引用し、自分たちは原発が止まるまで絶対に諦めない、絶対に抗議行動をやめない、と宣言。また、会談後の記者会見での発言も素晴らしかった。原発事故によってこの国の人たちの「心の制御棒」が引き抜かれ、「デモクラシーが再稼働した」、という主旨の発言だ。
3・11から1年半。確かに今、この国では民主主義が再稼働している。この1年半、デモや官邸前行動に集まる人の数は減るどころか増加の一途を辿っている。
おそらく、原発推進派の人の多くは、3・11以降始まった脱原発運動を、「一過性のもの」として見ていたはずだ。そして「すぐに収束する」とタカをくくっていたのだと思う。しかし、人は減らない。デモの数もまったく減らない。そして参加者たちはデモに参加するだけでなく、自分の地元で勉強会を開いたり放射能測定をしたりと、様々な活動をしている。ある意味、多くの人の日常に、デモに行ったり原発について考えたり、ということが「当たり前のこと」として組み込まれたように思うのだ。というか、福島第一原発の事故が今もって収束していない中、私たちの日常は根底から変わったのだから、こうなったのは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
9/7、特報首都圏に出演させて頂きました。
さて、反原連が野田首相に官邸内で直接抗議したことは歴史的なことだが、もちろん、これはゴールでもなんでもない。抗議行動はこれからも続く。
あれから、数週間。9月10日には民主党代表選が告示された。記者会見を見たものの、出馬する誰からも、熱意をもった脱原発への意見を聞くことができなかったことはあまりにも残念だった。
ということで、最後に告知を。
3年前に出版した飯田泰之氏との対談本『脱貧困の経済学』がちくま文庫として出版された。文庫化にあたって、「政権交代と3・11で何が変わったのか?」というテーマで追加対談をし、収録した。政権交代後の格差・貧困問題や東日本大震災、原発問題、デモの力などについて存分に語っている。
代表選を前に、ぜひ多くの人に読んでほしいと思っている。
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賛否両論があった「野田首相との面会」ですが、猛暑の日も雨の日も集まり続けた人々の波が、
抗議行動を「大きな音」から「無視できない存在」へと変化させたことは確か。
そしてもちろん、これはゴールではないし、意志表示の唯一の手段でもありません。
もっともっとたくさんの「新たな1ページ」を、私たちは刻んでいかなければいけないのだと思います。