日本女性会議にて
10月26日、27日にかけて仙台に行ってきた。女性の社会参加を考えるシンポジウム「日本女性会議」に参加してきたのだ。
全国、そして世界各国から集まった女性たちはなんと2000人。会場の仙台国際センターは熱気に満ち、刺激的な2日間だった。
震災から1年7ヶ月。仙台駅の周辺は「被災」という言葉が遠く思えるほど活気づいているものの、いまだ多くの問題が山積していることを改めて知った。
やはり話題となったのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題だ。
あの震災で、多くの人が家族を亡くし、家を流され、仕事を失い、生活の基盤を根底から破壊された。そうして震災直後から、多くの人が「生活再建」に奔走してきた。仮設住宅に入る人、新たな職についた人、自営業の仕事を再建するために走り回った人。その間に、行方不明の親族を探し、家族の葬儀をし、様々な手続きに追われてきた人たちがたくさんいる。そうしてあっという間に1年が過ぎ、1年半が過ぎる。ちょうど一息つける頃。そんな頃から、「心が折れた」かのように、メンタル的な問題が目立ち始めてきたという。
考えてみれば、ちょうどそんな時期なのだと思う。被災直後はとにかく呆然とし、しかし日本中が「頑張ろう」というかけ声に埋め尽くされていく中で多くの人が自らを奮い立たせ、ある意味「異様にテンションが高い」状態で「頑張って」しまう。報道も震災が中心で、日本中・世界中の関心と注目が集まる中、自らを鼓舞し、頑張り続けてきた人たち。しかし、そんな無茶な頑張りは長くは続かない。家族を失うなどしていなくても、被災地にいる多くの人が疲弊している。「被災はしているものの、家族を亡くしていない自分がなんとかしなくては」と、被災者が被災者を支援するようなことが長く続き、多くの人が無理に無理を重ねてきたこの1年7ヶ月。
そんな中、急に働けなくなったり動くことすらできなくなったりするのは、とても自然なことだと思う。人が様々な悲しみや喪失を乗り越えるのは、そんなに簡単なことではないからだ。端からは「元気」になったように見えても、そんな時、本人はギリギリだったりする。何度も躓き、後退を繰り返し、「底をついた」状態になって初めて現実を受け止め始める。それには膨大な時間がかかり、その時間は人によってまったく違う。
そういった事情から、被災地では今になって生活保護受給者が増えているとも聞いた。無理に無理を重ねてきた人たちが、ある日、突然仕事に行けなくなる。病院に行き、PTSDと診断される。少し想像力を働かせれば、誰だって理解できることだと思う。しかし、「生活保護受給者が増えた」ということだけを見て「バッシング」するような人が一部いることも悲しいけれど事実だ。震災から1年を過ぎた頃から、「雇用保険の受給期間を延ばすから働かなくなるのだ」「甘えている」「貰うことが当たり前になっている」といった批判をたびたび耳にするようになった。メディアでも目にするし、たまたま乗った電車の中でそんな会話をしている人たちに出くわしたことも何度かあった。そのたびに、とても悲しくなった。もちろん、実際に様々な問題が起きてもいるだろう。だけどごく一部のケースだけを取り上げて「被災者は甘えているのでは」などといった批判に短絡的につなげるのは、とても怖いことだと思うのだ。
あれだけの理不尽な震災に巻き込まれた人たちに、「立ち直れ」なんて誰も言えない。大切な人を失った人の苦しみは、本人にしかわからない。私自身も、いまだに7年前の見沢知廉氏の死をちっとも乗り越えてなんていない。きっとこれを読んでいる人も、様々な「乗り越えられない悲しみ・苦しみ」を抱えているはずだ。
だけど、時間が経てば経つほど人々の関心は薄れていく。そんな中で心ないバッシングがまかり通ると、当事者の人々は傷つき、心を閉ざしてしまうだろう。それはどっちにとっても不幸なことだ。私たちは、あの震災を経験した人たちから、学ぶべきことがたくさんあるのだから。
たまたま私は被災しなかっただけで、誰だっていつどんな悲劇に巻き込まれるかわからない。生活の基盤を破壊された地で生活保護受給者が増えることは当たり前のことで、考えるべきはどうやって被災していない私たちが彼らを支えるかではないだろうか。
数ヶ月ぶりの仙台行きで、そんなことを思ったのだった。
同じく
遠く離れた場所にいると、時に「もう1年7ヶ月」と思ってしまいがちだけれど、
当事者にとっては「まだ1年7ヶ月」に過ぎない。
先日東北を訪れたときにも、そのことを痛感させられました。
被災していない自分に、何ができるのか。
まだまだ、考え続けなくてはならないのだと思います。