「ここは天国ですね」
大晦日の前日、男性はほっとした表情でそう言った。
約一ヶ月間に及ぶ初めての野宿生活から解放され、シェルターに辿り着いた瞬間、漏れた言葉だ。
寒さのためか、男性の手は赤く腫れ上がっていた。年齢は40代前半くらいだろうか。一ヶ月前、それまで住んでいた県での仕事をやめ、「東京に来ればなんとかなる」との思いで上京したという。しかし、仕事は見つからず、所持金は尽きてしまう。
辿り着いたのは東京・豊島区のある公園。そこで実に一ヶ月、生まれて初めての野宿生活を体験した。テントも小屋も寒さを凌ぐ毛布なども何もなく、公園のベンチの上で厚着をして眠る日々。今年は暖冬と言われるが、12月の朝方の冷えは壮絶だったそうだ。あまりの寒さにとても寝ていることなどできず、仕方なく歩き回ったという。お金がないので、食べ物を買うこともできない。落ちていたお菓子などで飢えを凌いだ一ヶ月。携帯は既に止まっていた。これでは仕事を探すこともできない。
自分だったら、と想像してみてほしい。街がクリスマスのイルミネーションに華やぐ季節。そして日に日に寒さが厳しくなる季節。毎日、じわじわと、そして確実に死に近づいていくような日々を。
男性を救ったのは、「池袋で炊き出しをやっているらしい」という情報だった。そうしてこの日、彼は初めて炊き出しの列に並んだ。この日のメニューは、肉と野菜たっぷりのスープをかけたご飯。久しぶりのマトモな食事が嬉しくて、彼は三回もおかわりしたという。そうしてこの日は幸運なことに、炊き出しだけでなく、年末年始恒例の「越冬」が行われていた。越冬とは、役所が閉まる時期に炊き出しや夜回りなどをする取り組みのこと。
通常の時期であれば、生活に困窮したり、住む場所も所持金もないなどの場合、役所に行けば生活保護の申請などができる。しかし、行政の窓口が門扉を閉ざしてしまう間は危険だ。そんな事情から毎年、各地で支援団体がボランティアで緊急避難所のような取り組みを行っている。炊き出しや夜回りだけでなく、医師が参加しての医療相談、専門家による生活相談などもある(この相談によって、役所が開いた後、様々な制度に繋がることができる)。病気など緊急性が高い人は、シェルターに保護する取り組みもある。本来であれば国がやるべきことだと思うが、多くの人が年末年始の休みを返上し、寒い中、走り回っているのだ。
冒頭の男性はテントで生活相談を受け、そのまま車でシェルターに行くことになった。役所が開く1月4日まで6畳間の個室に滞在できると知り、漏れたのが「ここは天国ですね」の言葉だ。
この日、このシェルターにはもう一人、推定30代の男性が入った。彼も2週間前、生まれて初めて路上生活となったという。
それぞれの部屋には、自由に使えるものとして食器やシャンプー、洗剤、布団一式や炊飯器、小さな冷蔵庫、そしてお米が置かれていた。
生活感溢れる雑貨類を見て、住む場所を失うということは、それらのこまごまとした生活用品すべてを失うということなのだと、改めて突きつけられた。
唐突だが、今、家にいる人は室内を見渡してほしい。布団とかティッシュとか水道とかガスとか電気とかコタツとかタンスとか、そんなものが一通り揃っているはずだ。が、住む場所を失うと、これらすべてを失うのだ。
この連載でも何度も書いてきたことだが、ホームレス状態の生活は、「住む場所がない」ゆえにお金がかかる。ネットカフェに泊まっているなら毎日のネットカフェ代。仕事に行っている間、荷物を預けるロッカー代。ロッカーが「タンス代わり」になる生活は、着替えのためにロッカーを開けるたび、出費を強いられる生活だ。自宅のタンスを開けるのはタダだが、ロッカーは現金がないと開け閉めできない。シャワーを浴びるのも有料。洗濯も有料。自炊して食費を節約することもできない。
またしても唐突だが、あなたがもし、所持金ゼロでたった一人、東京に放り出されたらどう生き延びるだろうか。「公園にテントでも張ってサバイバルするよ」なんて言う人もいるかもしれないが、現在、都内の公園に新しくテントを張ることなどまず不可能だ。公園の管理事務所が監視の目を張り巡らせている。「ホームレス生活」は、おそらくこの国の多くの人が思っているより、ずっとずっと過酷だ。
さて、こうして1月4日までの居場所と食事には困らないことが保障された男性だが、この背景には多くの支援者たちの素晴らしき連携プレイがあることを忘れてはいけない。
まず、男性が行った炊き出しをしていたのは、池袋で長くホームレス支援活動を続ける「TENOHASI」と「世界の医療団」。シェルターとして提供された場所は、「つくろいハウス」。詳しくはそれぞれサイトなどでチェックしてほしいが、各地の越冬現場などと連携し、「シェルター提供」に取り組んでいるのが「ふとんで年越しプロジェクト」だ。
2013年に始まり、初回では約20名、一昨年から昨年にかけての年末年始では約30名にシェルターを提供してきたという。各地の越冬現場などで体調を崩している人や女性などを、用意したシェルターに受け入れる取り組みだ。
越冬現場では、インフルエンザにかかっている人がいることもある。野外のテントなどでみんなで寝る越冬現場もあるので、そんな場所だと全員に感染してしまう。
支援者によると、今まで支援した人をざっくり分けると、「失業者」と「障害を持つ人」に分かれるとのこと。
冒頭で紹介した男性は「失業」から路上に行ったパターンだが、知的障害や精神障害などを抱えて路上に至り、保護されるケースもあるのだ。
昨年の報告「ふとんで年越しプロジェクト2014年報告〜路上をとりまく状況の変化に着目して〜」(大西連)を読むと、前回シェルターに入ったうち、20名が男性、6名が女性。平均年齢は47.7歳。また、「障害」を巡る衝撃的な数字も発表されている。以下、引用だ。
A〜C群のすべてに言えることとしては、総じて体調が悪い方が多く、3人に1人が何らかの精神疾患をわずらい、4人に1人が知的障害の手帳を所持しており、身体的な症状をもってる方も3人に1人。そして、複数の症状、障がいを持っている方が全体の24%を占めていることも明らかになり、このことからも、重篤な病気や障がいを持っている方が、結果的に路上生活にいたってしまっている実態が明らかになりました。
特に、障害手帳を所持している方が路上生活におちいっている状況というものは、非常に衝撃的でもあります。障害手帳を取得したということは、何らかの公的な支援を利用していたり、医療福祉的サポートを受けていたことを意味します。支援を受けていた人が、支援が断絶し路上にでてきている。もちろん、支援が断絶した理由にはさまざまなものがあり、本人に課題や原因があるものも含まれるでしょう。しかし、それを差し引いたとしても、そういった障がいや困難さを抱えて地域で暮らしていた人が、容易に路上生活におちいりやすい状況があるということ、また、そういった人たちが障がい等の理由によって、一人で制度にアクセスすることができずに路上にとどまってしまっている。路上生活者は国の統計では減っているといわけていますが、一人ひとりの路上に残されている人たちの状況は、より深刻化し、しかも、知的・精神障がいなど、見た目にわからない複雑さをともなっていると言えます。
ふとんで年越しプロジェクトの初日12月29日は、板橋の教会に行くチームに同行したのだが(日頃からホームレス支援をしている教会に、スタッフが医療相談、生活相談を依頼されて行った)、ここでも早速「障害者手帳をなくした」という路上生活の人との出会いがあり、大西氏の報告が裏付けられる結果となったのであった。
ちなみに初日には準備していたシェルターの半分が埋まったのだが、宿泊者の4割が女性、6割が知的障害者の手帳を持っていたとのこと。大西さんの報告にあるように、公式の「ホームレス数」は減っているものの、路上にいる一人ひとりの状況はより複雑になっていることが浮き彫りになったのだった。
一方、現場で出会う人の中には「失業者」でも「障害者」でもない人もいるという。「普段はネットカフェなどに泊まりながら働いているものの、年末年始で仕事がなくなると、ネットカフェ代がないのでそのまま路上に行ってしまう」層だ。不安定な居住環境で、数日の休みがそのまま路上生活に直結する層。彼らは決して「ホームレス」にはカウントされない。なぜなら、失業者ですらないからだ。しかし、この層は膨大な数存在するだろうことは想像に難くない。
この年末は、ふとんで年越しプロジェクトに同行した板橋の教会をはじめとして、横浜寿町、池袋、渋谷、山谷の越冬現場を回ったのだが、どこの現場にも、そのような層だと思われる若者の姿があった。
ここ数年の状況について、池袋で炊き出しを続ける「TENOHASI」事務局長の清野氏は言った。
「リーマンショック前は炊き出しに来るのは平均220人くらいで、それから一気に増えて2009年とかだと350人くらいでした。ここのところ、支援活動も充実してきたのでやっとリーマンショック前に戻ってきた感じです。ですが、炊き出しに若年層が来るようになったというのは一貫してます。リーマンショック前は40代だと『若い』ってびっくりしてたのに、今は本当に普通の恰好の若年層が並んでいる」
第一次安倍政権の時、安倍首相は「再チャレンジ」という言葉を繰り返したが、今はもう使われることはない。当時「若者」だった世代はもう中年で、そうして今、「一億総活躍」という言葉の下で、やはり若者たちは生活苦に喘いでいる。その一部は年末年始の炊き出しに並ぶほどに。
若者だけじゃない。各地の炊き出しには、車椅子のお爺さんや腰の曲がったお婆さんの姿もあった。大晦日に訪れた山谷では、年越しそばを食べた後、アスファルトの上にたくさんの布団が敷かれた。みんなで野外の布団で年を越すのだという。各地の現場でも、テントや野外で野営があった。年の暮れを、野外で過ごす人たちが大勢いたことを、この国のどれくらいの人が知っているだろう。
最後に。
「越冬現場巡り」には、「ぜひ現場を見たい」と申し出た山本太郎氏をお連れした。
寿町では皿洗いなどを手伝い、山谷では薪作りや年越しそば配食を手伝い、渋谷では「新国立競技場建設」を口実とした明治公園からの野宿者追い出しについて当事者からの訴えを聞き、野宿のおじさんに「段ボールへのサイン」を頼まれていた。
その姿を見ながら、「ああ、安倍首相は一生野宿のおじさんに段ボールにサインをせがまれることなんてないんだろうな」と思った。
きっと、知らないのだろう。でも、知らないのであれば、知ろうとすればいいのだ。見ようとすればいいだけのことなのだ。私自身もこういった問題について、現場を見るまでまったく知らなかった。完全に、「イメージ」で語っていた。自己責任だと思っていた。今はそんな自分を心から恥じている。
もし、この原稿を読んで何か感じた人がいたら、ぜひ炊き出しの現場などに足を運んでほしい。一度でもいいから、現場を見て、誰かと会話してほしい。きっとそこからしか、話は始まらないと思うのだ。
1月4日午前、役所の開庁とともに、長い長い年末年始が終わった。
この年末年始に繋がった専門家たちに支えられながら、多くの人の生活再建が始まる。
「いつかは私が助ける側になりたいんです」
シェルターに保護された女性の一人はそう言った。本当に、信じられないくらい大変なことがあって、路上に辿り着いた女性だった。
そんな彼女の言葉に、目頭が熱くなった。
シェルター
横浜・寿町にて
皿洗いを手伝う山本太郎氏
山谷で振る舞われた年越しそば
山谷の路上に敷かれた布団
多くの人が家族でゆっくり過ごす年末年始。それとは対称にある厳しい「越冬」が毎年、各地で行われています。渋谷区では、年末年始期間中に3つの公園で鍵がかけられ、今年は渋谷区の仮庁舎予定地の真横で越冬活動が行われていました。無人で暗いままの仮庁舎のプレハブ建物と、「見ないふり」でそばを通り過ぎる街の人たち。そのなかに埋もれたような公園に、行く場所を失った人たちが静かに集まっている姿が、いまの社会の姿を象徴しているようでした。
今は当たり前のことができない時代だと痛感しています。働かざるもの食うべからずという言葉があります。これはある面その通りと思えるところもありますが、働きたくても働けないときはどうすればいいんでしょう。弱い立場の人がもっともっと悲惨な境遇に追いやられてしまう今の社会。そこに目をやらずに、国家天下を言う議員たちの多いこと。戦闘機や武器を一つ買うのをやめたら、どれほど多くの人間を救うことができるかを考えましょう。
本当に!。明日は我が身と思いました。
こういう記事、もっともっと世間の目につくようにするべきだと思います。
山本太郎さんて、日本でただ1人の期待できる方かもしれません。頑張って欲しいです。
安倍さんのパートナー昭恵さんは、2011年2月に、TENOHASIの炊き出しを視察し、清野さんに説明を受けてるんですよね夫婦の話題にしたのではないかと思うんですけど(?推測。)、夫は何かを感じたのか感じていないのか。
その後の政策には出てきていないですよね。
同じ人間として感じる心があってほしいけれど。
雨宮さん、横浜にいらしてたんですね。
この世から、悲しい人、苦しい人が、一人でも減りますように。自分も含めて。