雨宮処凛がゆく!

 終戦の日の数日前、ある映画を見た。
 それは『野火 Fires on the Plain』。現在全国の映画館で公開中だ。監督は塚本晋也氏。
 原作は、大岡昇平氏の『野火』。大岡氏は1944年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴き、翌年米軍の俘虜となる。終戦から4年後の49年、『俘虜記』で第一回横光利一賞を受賞。そうして終戦から7年目の52年に出版されたのが「戦争文学の代表的作品」と言われる『野火』だ。
 
 新潮文庫のストーリー紹介には、以下のように書かれている。
 「敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…」
 今まで、「戦争」を扱った映画は多く観てきた。しかし、映画館で観る塚本氏の『野火』は、今まで観たどの戦争映画よりも目を背けたくなるようなものばかりが焼き付けられていた。神経がえぐられるような、痛覚に直接触れるような描写の数々。爆音。そして匂い立つ血や、腐っていく皮膚の感触、うじ虫が這い回る音。そうして灼熱の太陽に灼かれる軍服姿の屍体の山。
 ご存知の通り、あの戦争では、日本人の軍人・軍属は230万人が亡くなった。そのうち、半分以上の死因は戦闘行為によるものではなく、餓死だ。
 映画には、ニューギニアで人肉を食べて生き延びてきた兵士も登場する。戦争の勇ましさや戦場の高揚感など一切ない、ただただひたすら飢えと病との絶望的な戦いが描かれる『野火』。
 
 そんな映画を観て、改めて「トラウマ」について考えた。戦後、この国にはそんな壮絶な経験をしてきた人たちが多く戻ってきたのだ。しかし、戦争は人間を「人を殺す兵士」に仕立てる訓練はしても、「普通の生活に戻れるようにする訓練」などは当然しない。また、当時は「PTSD」という概念すらない。そんな中、戦後のこの国は「心の問題」を置き去りにし、敗戦の屈辱を果たすかのように「経済戦争」に邁進し、高度経済成長の波に乗り、「戦争」を忘却して突き進んで来た。
 しかし、傷ついた「元兵士」は、現在進行形で苦しみの中にいる。70年経ってもだ。8月11日、西日本新聞は、戦争による精神障害で70年以上入院を続ける人がいることを報じた。過酷な戦場体験や軍隊生活の影響で精神障害を患い、今も療養中の旧軍人・軍属は九州だけで6人、うち3人が入院中なのだという。その中には98歳の男性もいるという。
 戦争による身体障害は「名誉の負傷」と讃えられたものの、精神障害は長く「恥」とされてきた。よって、「戦争によるトラウマ」は精神科病棟の厚い壁に遮られ、「なかったこと」にされてきた。社会も「そんなものは見たくない」とばかりに放置してきた。そうして「もはや戦後ではない」なんて言われるようになり(この言葉は戦争による傷を抱える人々をどれほど傷つけただろう)、戦争が「日本の夏の風物詩」となって数十年。

 一方で、住民の4人に1人が亡くなるという沖縄戦の経験者も苦しみの中にいる。朝日新聞6月19日に掲載された精神科医の蟻塚亮二さんのインタビューによると、戦後60年以上経って、戦場の記憶がよみがえるフラッシュバックや解離性障害などを訴える人が相次ぎ、1年間で事例は100を超えたという。「足の裏が熱い」と訴えた当時70代の女性は、「戦場を逃げ惑うなか、いくつもの死体を踏み越えた罰だ」と自らを苛んでいたという。あまりにも壮絶な経験から思い出したくもないと口を閉ざし、大人になってからは日々の暮らしに追われ、そうして人生の来し方を振り返る時期となり顕在化した「熱い記憶」。年月を経て発症するこの症状に、蟻塚氏は「晩発性PTSD」と名付けたという。

 戦後70年、戦争のトラウマは、ずっと私たちの傍らに当たり前にあったのだと思う。ある意味それが普通すぎて、トラウマだと気づかないほどに。
 最近、60代後半の女性と戦争の話をしていた時、彼女は言った。
「小さな頃、酔っぱらうとものすごく暴力的になるおじさんが近所にいて、当時は嫌だ、怖いと思うだけだったけど、その人は戦争に行って戻ってきた人で、戦争のことは絶対に話さなかったけど、あの尋常じゃない暴力性は、今思うとPTSDだったのかもしれない」
 また、私自身が数年前に訪れた「生きづらい人々」が集う自助グループでは、「父親の虐待が酷くてひきこもりになった」と語る中年男性が、神妙な面持ちで言った。
「だけどそんな親父は元軍人で、本人は気づいてないけど親父自身が戦争によるPTSDだと思うんです」
 戦後の日本社会は、トラウマを隠し、見ないふりをしつつも、時に暴力として噴出するそれを「家庭内」などに隠蔽し続けてきたのかもしれない。
 そうして戦後何十年経とうとも「戦争」を正面から検証せず、心の問題を置き去りにしたままで自衛隊の海外派遣にまで踏み切ったこの国は、その自衛隊員から50人以上の自殺者を出してもなお検証しようともせず、今、安保法制成立に向けて突き進んでいる。

 この夏、安倍首相は「70年談話」を発表した。
 映画『野火』の記憶が新しいままに読んだそれは、あまりにも無味乾燥な言葉の羅列でしかなかった。

 

  

※コメントは承認制です。
第347回 『野火』からトラウマを考える。の巻」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    西日本新聞が報じた入院・通院の履歴が残っている人だけでなく、その影には人知れず戦争による心の傷で苦しんできた多くの人がいるはずです。戦争がなければ違う人生を送っていたかもしれません。失ったものは、決して数で数えることはできませんし、何かと引き換えに満たされることもありません。だからこそ、「もう二度と戦争を起こさない」と、多くの国民が誓ったのではなかったでしょうか。

  2. 多賀恭一 より:

    つまり、安倍総理自身が、安保PTSDという意味ですか?

  3. 大宮のやっちゃん より:

    塚本晋也監督の「野火」
    大手配給会社で扱っていないことが残念です。
    あの大岡昇平・原作は、シニアである私の時代には
    国語教科書に載っていました。
    かつて、市川崑監督制作のモノクロ映画「野火」は、
    NHKBSで観ました。衝撃的でした。
    たぶん、吐き気を催すような、悲惨な映像も多々ある
    のでしょうが、耐えながらもぜひ鑑賞したいと思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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