雨宮処凛がゆく!

 さて、「あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜」は今回で完結だ。その1その2を読んでいない人は、ぜひ読んでからこの先に進んでほしい。

 この最終回更新の少し前、ある裁判の判決が下された。
 それは労災で妻を亡くした男性が、夫を亡くした妻なら年を問わず遺族年金が受け取れるのに、男性だと55歳以上でないと受給資格がないことに対して起こした裁判。6月19日、控訴審判決で大阪高裁は、この男女格差に「合憲」という判決を下した。働く女性の平均賃金が男性の6割以下で、女性の非正規雇用の割合が男性の3倍近いことを理由として「受給要件を性別で分けることは合理性を欠くとはいえない」と判断したのだ。
 非常に残念な判決である。この判決は、まさに村上さんたちが取り組んでいる問題に直結するものだ。
 ということで、本文。

 震災から3カ月後の2011年6月、村上さんたちは小宮山厚生労働副大臣(当時)に要望書を提出した。遺族年金を父子家庭にも拡充してほしい、また、母子家庭だけを対象とした職業訓練や貸付金などの制度を父子家庭にも拡充してほしいという内容だった。しかし、課題は被災地だけにとどまらない。

 「津波で住むところがごっそりなくなったので、転居する人がたくさん出ると思ったんですね。だから被災地に限定した支援だと、被災して全国に散らばった人をすくい上げられない。全国どこにいたとしても、父子家庭が要支援者として認められないといけない。その時に考えたのは、3年後のことです。初めの1年は、いろんな支援が入っていたのでなんとかなると思った。だけど3年後って考えると、生活再建の道筋を作らなくてはいけない。経済支援の下支えがあって、働きながら生活を再建していくには、資格を取ることも必要だし、子どもの学費の貸付も受けられるといい」
 
 そうして村上さんが訴えたのは、以下の4つ。

  1. 遺族年金を父子家庭にも支給すること。
  2. 「母子及び寡婦福祉法」に基づき、母子家庭などに支給される子どもの学費や生活資金の貸付制度を父子家庭にも拡充すること。
  3. 国家資格などを取得する学校に行っている間、月10万円の経済支援を受けられる”高等技能訓練促進事業”を父子家庭にも拡充すること。
  4. 働くことになんらかの課題を抱えている人を雇用すると企業に助成金が入る”特定就職困難者雇用開発助成金”の制度を父子家庭にも拡充すること。

 どれも母子世帯は対象なのに、父子世帯は排除されてきた制度である。というか、その根拠がどう考えてもわからないし、合理性などひとつもない。おそらく、法律を作る偉い人たちの漠然とした思い込みなのだろう。村上さんたちが声を上げるまで、このことが21世紀まで放置されてきたことにこそ驚愕する。ジェンダーの縛りって、本当に根深い…。

 さて、これらの法律を変えるために村上さんたちがしたことは、やはり意見書の採択だった。

 「震災から1年の間に、何がなんでも父子家庭支援は必要だって中央政府に知らしめる必要があったので、日本全国の声にしないといけないと思いました。それで考えたのが、47都道府県の半分くらいの自治体から、父子家庭への支援拡充を求める意見書を採択させること。『震災父子家庭』という言葉を作って協力を呼びかけて、まずは政令指定都市である仙台市議会での採択を目指しました。あと、仙台市議会で採択された意見書の文面をもって被災3県の議会と被災した市町村議会での採択を行いました。それからとある政党の協力を得ながら、合わせてFacebookで県議を探してメッセージ送りまくって。最終的には22の都府県議会と104の市町村議会で採択されました。そうして震災の年の10月から1年間、全国から意見書が国会議員に届き続けた。その間に復興大臣にも会いに行きました。一番力になったのは、あしなが育英会とか、いろんなNGOとかが『父子家庭支援、必要だよね』って言ってくれたこと。言葉を尽くすと、みんなわかってくれるんです。それで少しずつ、広まっていきました」

 そうして彼らの訴えにより、法律が実際に変わっていく。
 2013年には「高等技能訓練促進事業」「特定就職困難者雇用開発助成金」が父子家庭に拡充。
 2014年4月からは、遺族年金が父子家庭にも拡充されるようになる。
 そうしてこの年の10月、子どもの学費や生活費の貸付制度の根拠となる「母子及び寡婦福祉法」が、「母子及び父子並びに寡婦福祉法」に改正される。法律名に「父子」が入り、各種支援が父子家庭にも拡充されることとなったのだ。

 「小卒でも法律変えられるんだ、って思いました(笑)」

 村上さんはそう言うが、こんなに多くの法律改正にかかわった人、運動歴の長い私でも初めてだ。

 しかし、ただひとつ、「遺族年金」についてだけは納得いかないものが残った。対象が「2014年4月以降に妻を亡くした家庭」だからだ。震災で妻を失った震災父子家庭も、2014年3月31日という、法施行とたった1日違いで妻を亡くした家庭も対象外。村上さんは現在、対象外の父子家庭も対象にするよう、特例法での救済を呼びかけ、署名を集めている。

 「遺族年金の話は、ただ『金くれ』ってことじゃないんです。生活が苦しい父子世帯からは、妻じゃなくて自分が死ねばよかった、という声もあります。そうしたら遺族年金が出たのに、と。父子世帯の多くは、子どものケアをしたくても、子どもとの時間をとれない。仕事を選択しないと生きていけない。ひとり親家庭の最大の課題は、母子父子ともに、仕事、家計、しつけなんですね。仕事しないと経済的に困窮するし、仕事を取れば子どもたちに目が届かない。届かないってことは、生活習慣や学習習慣がつかない。交友関係も掴めない。親が地域のコミュニティで役割を果たさないと子どもは地域で孤立する。そうすると子どもたちはどんどん居場所をなくしていく。それと、震災を経験した子どもの多くは喪失体験をしているので、心のケアも必要なんですね。家でそのケアができればいいけど、親も傷ついている。その上、働かないと生きていけない。妻が津波で流されて、残された子どもを一生懸命育てたいって父親たちは思っています。でも、実社会ではなかなか手をかけてあげられない。そこに遺族年金が支給されたら、親1人子ども1人で年間100万円くらい、第二子がいれば年間120万円少し。月に10万円くらいです。それがあれば、どれだけ子どもたちとの時間を得られるか」
 
 村上さんの言う通り、お金の問題じゃないのだ。賛同してくれる方は、ぜひ、署名してほしい 。
 村上さんは現在、障害を持つ人々への就労支援の仕事をしている。3年前から正社員として働きつつ、子育てをし、活動を続ける日々だ。子どもは今、中学1年生と2年生。仕事しながら猫2匹の世話をするだけで「大変」とか言ってる自分が恥ずかしくなる奮闘ぶりである。

 彼には、今回の震災を通して見えてきたことがあるという。

 「家族が総合力で勝負していく時代に入ったのかなってことです。家庭内の仕事、地域での仕事、外での仕事、それぞれ100%ずつやらなくてもいい。問題なのは、仕事100で家0、家100で仕事0みたいな関係だと、片方が倒れた時に調整がつかないってことですね。実際、震災離婚の原因でもそういうケースが多い。今まで仕事100だった夫が、仕事を失って、ただのお荷物になってしまうとか。自分自身を奮い立たせるものが仕事しかないという男性が多いんですね。子育てやパートナーではなくまず仕事で、自尊心を保つ糧もそれしかない。本当は、アイデンティティってもっと広くて柔軟なはずなんですよね。でも、『こうあるべき』って自分に強いて生きてきた人ほど、支えがなくなった時の転び方が半端ないんです」
 
 思い当たるところがある人が多いのではないだろうか。そういえば、村上さんに最初に会った2012年、仙台市で開催されたイベントで彼はマイクを持つと、会場の人々に向かってこう言った。

 「会場の皆さんにぜひ想像していただきたいのですが、もし突然奥様が亡くなられたら、一人で子育てしながら今の仕事を続けていくことはできますか?」
 
 多くの既婚・子持ち男性が、首を横に振るだろう。しかし、死別、或いは離別という形で、それはいつ訪れたっておかしくない。
 だからこそ、日頃から「男だから」「女だから」「母親だから」「父親だから」などという縛りからできるだけ自由でいるべきだと思うのだ。ジェンダーの縛りは、時に自分自身の首を締めてしまう。

 長いインタビューもそろそろ終わりだ。
 最後に、村上さんは言った。

 「今、私がこういう活動をしている根っこには、自分の子どもの頃の状況があると思います。今言われている『子どもの貧困』と同じ状況ですね。だから提案者になっているのかな、と思いますね。
 震災前から言ってるんですけど、要支援者を提案者に育てていくことが大事だと思いますね。支援が必要な人を、『可哀想な人』にしちゃいけない。いろんな人が訴えてくれたからこそ見つかった問題がある。あなたが言葉にしてくれたから気づいた、そんなことがたくさんある。
 それと、自分が自分らしく生きるのに、父性も母性もないんです。ありのままの自分だから伝えられることがある。そう信じてやってます」

 午後9時。取材を終えて帰途につくのかと思ったら、村上さんは「職場に戻るんで」と仕事場に向かった。
 子どもはそろそろ反抗期。
 「反抗期は面白いですよ。喧嘩できて楽しい、みたいな。あと、息子が大きい病気たくさんしてるんで、もう子どもは生きてればいい」
 そう笑った村上さんは35歳。あまりにも頼もしい同志である。

 村上さんのようなシングルファザーが、今、この瞬間も仕事と子育てに追われている。震災で妻を失った喪失感に耐えている人もいれば、様々な事情から離別し、慣れない家事と子育てに悪戦苦闘する人もいるだろう。
 そんな父子家庭が、時間やお金の少しの余裕を得ること。村上さんたちが求めてきた/求めているのは、ある意味、とてもささやかなものである。
 この原稿は、そんなシングルファザーたちへのささやかなエールだ。
 ひとり親家庭が生きやすい社会は、おそらく、誰にとっても生きやすい。
 

おわり

下記、村上さんたちが署名を集めているキャンペーンサイトです。ぜひご署名を!

「2014年4月以前に妻を亡くし遺族年金の対象とならない父子家庭の父と子を救いたい一一特例法にて救済を求めます!」
http://urx.nu/iOoT

 ちょうどこの連載と時期がかぶったのだが、現在、全国各地で安保法制をなんとか阻止しようとする動きが怒濤の勢いで続いている。
 6月14日には2万5000人が国会を包囲し、同日のSEALDsの渋谷デモには若者を中心に6000人が参加。また、20日には「戦争をさせない北海道大集会」に参加したのだが、こちらには5500人が集結。同日、「女の平和 国会ヒューマンチェーン」には1万5000人が赤いものを身につけて集まり、その翌日のSEALDs関西デモには2000人が集まった。他にも私がしっかり把握していないだけでいろいろなアクションがなされたようである。
 来週にでも、この怒濤の動きについて、伝えたい。

戦争をさせない北海道大集会。
みんなで「戦争させない」プラカードを掲げました。圧巻!

「女の平和」に連帯して赤い服で参加☆
小樽商科大学名誉教授の結城洋一郎さん(左)、北星学園大学教授の岩本一郎さん(右)も赤いものを身につけて連帯アピールしてくれました!

 

  

※コメントは承認制です。
第340回 あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その3)」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    男女平等といいながら、いまだに根強いジェンダー意識のこと、一方で非正規職の男性の増加や、共働きでないと生活ができない現実、ひとり親の子どもの貧困率、震災から時間が経つなかで自力での生活再建を迫られている被災者――。いまの社会が抱えているさまざまな問題が、村上さんの提起のなかに詰まっているように思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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