デモ出発前。ゾンビ集団。
2015年5月2日午後。
原宿・渋谷に大量の「ゾンビ」が出現した。
街頭を徘徊するゾンビたちが掲げるプラカードには「私たちは死んでいる」「住むとこください」「戦争はサボろう」「反富裕」「給料上げろ」「タダ働きさせるな」「生活保護減らすな」などなど。そうして顔色の悪いゾンビたちは、時々覇気のないシュプレヒコールを上げる。
「健康第一」「野菜を食わせろ」「死んでも生きるぞ」「早起き反対」「労働反対」「週休七日」「残高ゼロ円」「会社爆発」「お前がお茶汲め」――。
この日、行なわれたのは「自由と生存のメーデー2015」。私が実行委員として参加するようになってから、9年。当初は「プレカリアート」「若年不安定層」「若者の貧困」など、ある意味「元気よさげ」なキーワードとセットだったこのメーデー。10年近い年月を経て、既に「若者」ではなくなった者たちはとうとうゾンビ化。自分たちの「半分死んでる」状況を存分にアピールしつつ、炎天下、デモというか路上徘徊を成し遂げたのだった。
ある意味、非常に感慨深いメーデーだった。
年に一度、メーデーの時にしか会わないという人たちとたくさん再会する日なのだが、全員が全員、状況が世間的には「悪化」していた。最低賃金ギリギリで働く層はうつ病となり、また生活保護を受ける者も増えていた。久々に会う人は、ここ最近、路上生活をしていることを教えてくれた。「時給が上がった」とか「正社員になれた」とか、ましてや「結婚した」とか「子どもができた」なんて話は一切なく、唯一聞いた「いい話」は、「生活保護を受けていた人が、就労支援を受けて週に何度か働くようになった」ということ。が、詳しく聞くと、日給は1000円。私たちの「希望」は、一体どこにあるのだろう。つか、アベノミクスって、どこの話? 改めて、思った。
デモ中。
さて、ゾンビデモの後は集会だ。集会タイトルは「ピケティっておいしいの?」。
ピケティ。長引く格差議論の中、この国でも「非正規の貧困」などについては既に語り尽くされた感があり、明確な処方箋を運動側も学者側もなかなか出せない中、「アベノミクス」なんて言葉でいろんなことが誤摩化され、忘れられそうになっている時に彗星のように登場したフランスの経済学者。
「来日フィーバー」前後には多くのメディアがピケティ一色に染まり、六千円近い著作はバカ売れ。膨大なデータを駆使して世界の格差を遡って分析する若き経済学者に多くの人が心酔したものの、結局、ピケティは貧困当事者にとってなんらかの足しになるのか? という問いからこのタイトルとなった。ちなみに「おいしいの?」とはある女子組合員の発言。あれだけブームになったというのに、彼女はピケティをイタリアのお菓子かなんかと勘違いしていたらしい。
ということで、集会では法政大学教員でベーシックインカムについての著書がある堅田香緒里さん、ユニオンぼちぼちの橋口昌治さんが問題提起をしつつ、様々な議論となった。
印象的だったのは、堅田さんが改めて「家事労働に賃金を」運動を問い返したこと。特に「資本と国家による女の分断」という指摘には、「女性の活躍」などが話題となる今、改めて考えたいテーマが詰まっていたのだった。以下、レジュメから少し引用しよう。
“資本や国家は、ヘテロセクシャルなロマンティックラブイデオロギーによって「良い女」(表の女)と「悪い女」(闇の女)に女を分断してきた”“その境界は、「家事労働の無償性=愛の労働としての家事労働」を受け入れるか否かにある。
受け入れる女=良い女(「主婦」)
受け入れない女=悪い女(「闇の女」)”
“問題は、不払いの家事労働を担わされ続けてきた「主婦」の構築(だけ)でなく、むしろ「主婦」と「売春婦」の分断である。この女の分断を通して、国家・資本・男総体による女総体の支配(家父長制)が維持されている”
“「分断」に抗するような「共謀」としての「家事労働に賃金を」要求。そして、その先にある要求として、BI(ベーシックインカム)”
私もゾンビメイク。
これらのキーワードだけでも、竹信三恵子さんの提唱した「家事労働ハラスメント」が「家事ハラ」としてまったく違った意味で使われた某コマーシャル問題とか、日テレの女子アナに内定した女性に水商売バイトの過去があり、内定を取り消されそうになった問題とか(これについては第323回「『女の幸せ』とか言われる問題。の巻」に書いた)、「名誉男性」的女性じゃないと現政権の中では決して生き残っていけない問題とか、そういう政権が強調する「女性の活躍」の具体性とか、とかくこの国にはびこり、多くの女性を生きづらくさせている「性のダブルスタンダード」問題について、いろんな思考が広がったのだった。
そうして今後、「女性の活躍」という言葉を聞くたびに、まずは「いろんな力・思惑によって分断されがちな女性」について考えなくては、という思いを新たにしたのだった。
そんな充実の議論を経て、ゾンビたちは集会後、代々木公園に移動。公園飲みとなり、その翌日、私は横浜・臨港パークへ。
この日の感動は、これを読んでいる多くの人が共有しているものだと思う。炎天下、憲法集会に集まったのは3万人以上。スピーチの一発目という大役を頂き、恐れ多くも大江健三郎さんの前で「戦争と貧困の親和性」などについてお話させて頂いたのだが、ついうっかりどうでもいいサービス精神を発揮してしまい、「この暑い中、熱中症で誰か倒れたら全部安倍のせい」などと発言したところ、某新聞に「憲法記念日 『すべて安倍のせい』と護憲派が横浜でスパーク」と書かれるといういい思い出もできた初夏の1日だったのであった。
ということで、戦後70年の憲法記念日。あれだけの人が集まったことは嬉しいが、事態は怒濤の勢いで悪い方向に進んでいる。
経済のためには原発が必要とか、経済成長のためには一部の人が使い捨てられても仕方ないとか、日本が「一人前の国」として認められるためには自衛隊員が死んでも仕方ないとか、そういう「何かのために人の命が犠牲になる」システムを全部、終わらせること。まずは人間が生きる、その営みこそを尊重すること。そこから始めることの大切さを、あの日会った人たちから、たくさん学んだのだった。
憲法集会にて。豪華メンバーです!
ゾンビデモや憲法集会で、多くの人が声を上げているにもかかわらず、その声に耳を傾けず、粛々と進められる政治は、いったい誰のものなのだろうかと思わずにはいられません。憲法集会では、SASPLなどに参加している大学生たちの姿も見かけました。次の世代にまで平和憲法を引き継ぐためにも、これ以上ゾンビを生み出さない社会にするためにも、さらに強く声を上げて政治を取り戻さなくてはなりません。危機感は増すばかりです。
無償労働を受け入れる主婦が保守で商品化された女性が革新という見方は違うと思います。時局が緊迫している時は「女が主導して柱を周るな」だの「軟弱なヒルコやらエビスは捨てろ」だの「銃後の守り」だの言ってても、そうでない時は
「女で消費経済を回せ」「女はお客か商品」という本音を隠そうともしない、要するにどっちに転んでも保守オヤジが得するようにできているのだと思います。<いくら買えるか、いくらで売れるか>が女(人)の値打ちという価値観が支配する社会で家事労働に賃金を払っても<怖い女のオッサン>が<カワイイ女のオッサン>になるだけでは?また水商売が表稼業になっても、一般女性が<清純>をウリにした家政婦兼産む機械市場から<カワイイorセクシー>をウリにした商品市場へ追い立てられるだけで女性の地位の向上にはつながらないと思うのですが。
いい写真ですね!
内容もすごく分かりやすい。政治家や、政治評論家という人の中で、こんな風に、義務教育修了した者が分かる言葉を使ってくれる人はあまりいない。
女の分断、とても興味深いです。
私は結婚してやむなく仕事を辞めたあとに、投稿時の肩書を「無職」と書き続けたら、読者から「専業主婦も立派な職業。無職なんて書かれたくない!!!!」と激怒されました。
家事労働はものすごく高い対価の大変な労働だと思ってます。
私は自分が超グーダラだから、主婦とはとても名乗れなかっただけですが、無職=みっともない?恥ずかしい?うしろめたい? という偏見も強いんだと思います。
偏見とか差別とか、貧困・暴力、、、根っこはつながっていると思います。ラストの写真の皆さんは差別・偏見と闘ってきた方々。大好きです。処凛さんが超若造ポジションですね!