雨宮処凛がゆく!

 この原稿がアップされるのは、東日本大震災からちょうど4年を迎える日だ。

 この週末には、反原発統一行動の国会前大集会に参加してきた。
 多くの人が寒い中、国会前に集まり「原発いらない!」「再稼働反対!」の声を響かせていた。
 私たちは、既に「原発事故後の世界」を生きて4年目を迎える。小さな頃に読んだSF的な物語なんかで、「核戦争後の世界」と同様に「世界の終わり」として描かれていた世界。
 そんな節目の日を前に、ふと、思った。もし、2011年3月11日が「いつもと変わらない日」だったとしたら――。そうしたら多くの命は奪われず、津波によって街や家やそこに住む人々の暮らしは破壊されず、そうしてきっと多くの人は、今に至るまで「原発」のことなど考えもせずに生きていたのかもしれないと。そして今、一基も動いていない原発は、当たり前に稼働していたに違いないと。

 そんな世界で、私たちは汚染水の心配などすることなく、「食品の放射能汚染」なんて当然考えもせず、また、シーベルトやベクレルといった単語とも無縁で生きていたはずだ。
 自分たちの足下に、自分たちの生活を一瞬で破壊するような「地雷」が埋まっていることに気づかずに生きていた日々。それが「幸せ」なのかと問われると微妙なところだが、直接的な被害を受けていない私ですら、改めて考えると「3・11以降、失ったもの」の多さに打ちのめされるのだ。今も原発事故によって避難生活を強いられる12万人以上は、この4年の間、どれほど「あの事故が起きなければ」と考えただろう。 

 あの日から、様々なことが問い返された。原発という、多大な犠牲を必要とするシステムやその背後にある巨大利権はもちろんのこと、政治の在り方、メディアの在り方も、これまでにない不信感とともに問い返された。
 一方で、戦後のこの国の在り方や、「原発を産業のない地方に押し付ける」という地方と都市の問題、経済成長のみを善とするような価値観を問い返すような動きも広まった。それは地域での集会という形をとることもあれば、脱原発デモになることもあり、また、個人のライフスタイルの変化として表れることもあれば、田舎への移住といった現象になることもあった。

 とにかく、この国の多くの人たちは、「3・11ショック」によって強制的に目を開かされ、そして究極的には「経済か、命か」という問いを突きつけられたのだ。
 そうして、多くの人が初めてデモに繰り出したり、初めて社会や政治に向き合ったり、初めて原発について考えたりとそれぞれの変化を遂げた。

 しかし、国や原子力を取り囲む状況はどうだろうか。
 安倍政権は再稼働路線をひた走り、そして先月、東電は放射性物質を含む大量の汚染水が流出していることを10ヶ月間隠し続けたことによって「隠蔽体質は何も変わっていない」ことを露呈させた。
 あれから、4年。増えたのは汚染された大量の指定廃棄物という現実の前に、ふと思考停止したくなる瞬間もある。だけど、決してそれだけはしないと決めた4年間でもあった。見たくない現実を、見続けることを、おそらく多くの人が、自らに課した。

 そして「震災から4年目」の今年は、戦後70年でもある。
 そんな節目の年、安倍内閣は自衛隊をいつでも海外に派遣できる恒久法や周辺事態法の地理的制約撤廃などに異様な執念を見せている。
 昨年7月、集団的自衛権行使容認の閣議決定の前後、様々な集会などで発言する機会があった。国の形が根本から変わるかもしれない、日本が戦争のできる国になるかもしれない――。他の登壇者の発言を聞き、自らも危機感を訴えつつも、どこかそれはまだ「実感」に根ざしたものではなかった。ただ、今、反対の意思を表明しておかないとトンデモないことになるかもしれない。そんな予感だけがあった。
 そうして、今。あれからまだ1年も経っていないのに、その危機感は具体的な法整備となって、私が思うよりも、とてつもなく早いスピードで現実になろうとしている。
 しかし、この国に住む人々はそんなことを望んでいるのだろうか?

 3月7日、内閣府が発表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」によると、自衛隊による国連平和維持活動や国際緊急援助活動について「現状維持すべき」と答えた人は65%。「積極的平和主義」のもとでの自衛隊の活動拡大には慎重な意見が多いことが明らかになった。
 それでは、自衛隊側はどう考えているだろうか?
 自衛隊の機関紙的な新聞と言われる「朝雲」は、2月12日のコラム「朝雲寸言」に、IS(イスラム国)による人質事件を受け、「自衛隊が人質救出をできるようにすべき」という国会質問についてのコラムを掲載している。内容を一言で言うならば、「ぶっちゃけ無理なんだけど」というものだ。
 コラムではまず、人質救出が「極めて現実味に欠けている」としつつ、米軍が昨年、ISに拘束されたジャーナリストの救出に失敗した事実に触れている。
 そうして、以下のように続くのだ。

 「国会質問を聞いていると、陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容だ。国民に誤解を与える無責任な質問と言っていい。
 これまで国会で審議してきた『邦人救出』は、海外で発生した災害や紛争の際に、現地政府の合意を得たうえで、在外邦人を自衛隊が駆け付けて避難させるという内容だ。今回のような人質事件での救出とは全く異なる。
 政府は、二つの救出の違いを説明し、海外における邦人保護には自ずと限界があることを伝えなければならない(後略)」

 この現場からの声に、安倍政権はどう答えるのだろうか。そして自分は何があっても絶対に危険な場所に行かない安倍首相は、自衛隊員になんと言葉をかけるのだろう。
 法政大学教授の山口二郎氏は、3月8日の東京新聞で、「存立の危機」という原稿を書いている。日本が直接攻撃されていなくても、国の存立や安全が脅かされたり、国民の権利が侵害される明白な危険がある状況を指しているらしい造語「存立事態」(その後、「新事態」とかになってますます意味不明に)について触れているのだが、氏は、「日本の存立を脅かしているのは誰かと問いたい」としつつ、以下のように書いている。

 「日本を存立の危機にひんさせようとしているのは、外敵ではなく、原発事故であり、人口減少であり、子供の貧困などである。
 そして、そうした実在の、眼前の危機を放置して、安保法制いじりにうつつを抜かしている政治家こそ、わが国を存立の危機に導いているのである」

 まったくもって同感だ。
 震災から4年、そして戦争が終わって70年。安倍晋三氏が首相として君臨しているという事態こそに、改めて危機感を抱いている。
 が、失望ばかりではない。
 この国では、この4年間で「社会のことを考え、当たり前に自らが発信する若者」がどっと増えた。中高生などの多感な時期に3・11を経験した層が今、大学生などになり、デモを主催するなど社会運動にかかわっている。
 3・11以降、「考える訓練」をしてきたからこそ、秘密保護法や集団的自衛権の問題に敏感に反応し、アクションを起こしている若者たちとの出会いは、私にこれ以上ないほどの勇気をくれるものだった。

 特に昨年秋に参加した「SASPL」(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)のデモは忘れられない。
 自由と民主主義にかかわる法律だから反対する、震災をないがしろにした経済発展なんていらない、普通の国になるための軍事力なんてほしくない――。サウンドカーに乗った大学生が次々とスピーチする中、一人の男子学生がマイクを握って、言った。

 「来年は、戦争が終わって70年です。想像してみてください。30年後、今ここにいる僕たちの子どもが、100年戦争をしなかったという祝いの鐘を、この地で響かせているというヴィジョンを!」

 あの日から、私の目標は「戦後100年」になった。
 毎年毎年、8月になるたびに「戦後○○年」とか言われるのって、「日本の夏の風物詩」みたいなものだと思っていた。10代の頃なんて、「また説教臭い季節が来た」くらいに思っていた。でも、実はそれってすごいことなのだ。とてもとても、奇跡のようなことだったのだ。

 震災から4年が経つ今、改めて、そんな思いを噛み締めている。

 

  

※コメントは承認制です。
第329回 3・11から4年、「戦後100年」に思いを馳せる。の巻」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    進まない原発事故の処理や、耳を疑いたくなるような政治の状況に、どっと疲弊してしまうのですが、振り返れば3・11以降、この状況を変えていきたいという声も、実際にそれを行動に移している人も確実に増えています。「民主主義が終わったのなら、また僕らで始めればいい」。以前に取材した、SASPL・奥田愛基さんの言葉が印象に残っています。「戦後100年」を誇らしい気持ちで迎えられるように、いま頑張らなくてはと強く思います。

  2. 多賀恭一 より:

    2014衆議院選挙の投票率52.66%。
    日本の民主主義は終わってしまった。
    まず、海外脱出を考え、敗戦で軍国主義が滅んだあとに戻るしかない。

  3. おーつか より:

    奇跡の「戦後100年」
    いい言葉ですね

  4. 時の河 より:

    「戦争できる国」になってしまったら、アメリカみたいに「戦争する国」になるのは目に見えている。

    そして、「戦争できる国」になった際、「日本が海外の戦争に参加する」という決定を国民が決めるのではなく、政治家が決めてしまうという状況こそ、真に危険な状況ではないだろうか。政治家がその戦争にどんな大義名分をつけようと。

  5. 多賀恭一 より:

    デモ活動が選挙に何の影響も及ぼしていない。
    首相官邸でのデモのリーダー達は、戦術を全面的に改善する必要がある。
    すぐに始まる統一地方選挙に影響させる戦術を考え出すべきだ。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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