雨宮処凛がゆく!

 7月5日。

 集団的自衛権行使容認のための閣議決定がなされてから初めての土曜日、新宿で開催されたデモに参加した。

 みんなが手にするプラカードに書かれた言葉は「戦争反対」「あなたたちに改憲の権限はない」「解釈改憲無効」などなど。午後6時に出発したデモ隊は450人に膨れ上がった。この日は昼にも新宿で閣議決定に抗議する「怒りのドラムデモ」が開催され、こちらには1600人以上が集まったという。

 ふたつの大きなデモが行なわれた新宿で、人々の反応は、信じられないほどに好意的なものだった。今まで参加したどのデモよりも、デモ隊は街に好意的に受け入れられた。そのことが、逆にとても切なかった。沿道の人たちとデモ隊が同じ危機感を共有していること。この国は、そこまでの事態になっているのだ。

 閣議決定を受けて、いろんな人がいろんなことを語っている。そのどれもが、近い未来の絶望的な姿を暗示している。私自身も、楽観的なことは語れない。

 この数日、これまで自分が書いてきた、「貧困」と「戦争」の親和性についてをテーマとしたものを読み返していた。たとえば08年、「9条世界会議」でイラク帰還兵のエイダンさんと会った時のことは、この連載の54回でも書いている。アメリカでもっとも貧しい若者が取り込まれる陸軍。そんな若者たちがブチ込まれたイラク戦争で次々と「壊れていく」兵士たち。徴兵制はないけれど、目に見えない「貧困という名の徴兵制」がしかれたアメリカの現実だ。

 そんなことを考えていて、数年前にある人に取材したことを思い出した。それはジャーナリストの安田純平さん。04年4月、取材で訪れていたイラクで「人質」として拘束された安田さんの事件の少し前には、高遠菜穂子さんら3人が拘束され、「自己責任」という大バッシングがこの国に吹き荒れた。結局、安田さんは無事に3日で解放されたものの、その後、07年5月から08年2月まで、戦後のイラクで「料理人」として働く。「戦争の民営化」の実態を知るための、いわば命がけの潜入取材だ。

 安田さんへの取材は、09年に出版した『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)の8章「民営化された戦争――イラクで『料理人』として働いた安田純平さん」で詳しく書いた。 

 03年に始まったイラク戦争は、様々な民間軍事会社が乗り込み、荒稼ぎした戦争でもある。建設、警備、食事作りや洗濯など軍の後方支援を専門とするものもあれば、戦闘自体を請け負う会社も参入。また、イラク戦争「終結」後、多くの企業が「復興」を見込んでイラクに進出したが、そういった企業の社員を警備するのも民間軍事会社の仕事だ。

 さて、そんな戦後のイラクで働くため、安田さんがクウェートのエージェントを2ヶ月半まわって掴んだ仕事はというと、「イラク軍の基地建設現場への食事提供」だった。7ヶ月間そこで働くが、その後、勤務先が変わり、「バグダッドの民間軍事会社への食事提供」をする。月収は300クウェートディナール(当時のレートで13〜14万円)。食費、住居費はタダ。死んだ場合については、契約書には「クウェートの法律に準ずる」というような表現があったものの、はっきりとはわからない。毎日3食の食事を作り、休日はなし。40メートル四方のコンテナの区画から出ることもできず、当然、街を出歩くこともできない。「誘拐される」からだ。また、夜になれば近くに爆弾が降ってくることもあったという。

 そんな当時のイラクで一番危険なのは、イラク内での移動。民間軍事会社の車が護衛としてつくのだが、180キロ走ると、その護衛だけで150万円かかる。というか、それだけ民間軍事会社が儲かる仕組みだ。そんなイラクで当時もっとも命を失っていたのは「移動中のトラック運転手と民間軍事会社の警備員」。当時のイラクには、仕事を求めてネパール、フィリピン、パキスタン、インド、バングラディシュ、スリランカなど貧しい国の労働者が出稼ぎで多く来ていた。出稼ぎでやってきた労働者は、自分は「米軍の後方支援をしている」という意識はない。が、イラクの武装勢力側からすれば、「敵の協力者」だ。04年8月には、ネパール人などの出稼ぎ派遣社員12人が武装勢力に誘拐されて殺されている。彼らはヨルダンのアメリカ系派遣会社に「調理人および清掃人」として雇われていた。このような事件は多く起きているが、彼らの死は当然、「戦死者」としてカウントされることはない。

 また、05年5月には、イラクで日本人傭兵が武装勢力に襲撃され、死亡している。亡くなったSさんは、陸上自衛隊で2年過ごしたのちフランス軍の外国人部隊に21年間在籍、その後、イギリスの民間軍事会社「ハート・セキュリティ社」に入社、傭兵としてイラク入りしたという経歴を持っていた。彼を襲撃した「アンサール・スンナ軍」が公開した映像には、横たわるSさんと、「イラクでアメリカ軍の仕事を希望するすべてのものはこれを見よ」という文章が映し出されていたという(『戦争民営化 10兆円ビジネスの全貌』)。

 また、その前年の04年3月には、イラクのファルージャで4人の男性が殺害され、「見せしめ」として遺体が橋からぶら下げられた。彼らは米軍兵士ではなく、民間軍事会社の職員。うち一人は元アメリカ海軍特殊部隊の隊員だった。

 このように、イラク戦争には多くの民間軍事会社が進出した。

 私が安田さんに話を聞いたのは08年。

 当時の時点で、彼は以下のように語っていた。
 「現代の戦争というのは、民間業者を使わないとたぶんできないと思うんですよ。要するに格差を利用して、安い労働力を使う。全部兵士にしてしまうとコストがかかってしょうがない。(中略)まず格差が前提であって、貧しい人がいることが条件。そういうところに日本人が行ってもおかしくない」

 何か、5年前のこの言葉が今、妙なリアリティを持って迫ってくる。

 また、彼は以下のようにも語っている。
 「例えば、日本国内の基地の中では陸自なんかだと、給食を民間に委託してるんですよね。そういうのを増やしていくという話は自衛隊の中でもあって、当然、海外派遣が増えれば、そういう業者も増えますよね。イラクでは物資の輸送も現地の輸送会社にやらせてたって話で、日本大使館の警備も民間軍事会社がやってますから、当然、民間委託っていうのはされる。それに日本の業者が出てきてもおかしくないですし、それで行く人もいるでしょうね」

 今、「自衛隊」がどこかに派遣されるのでは、と多くの人が懸念しているが、自衛隊が動けば、当然民間の業者も動くわけである。そしてそこで働くのは誰なのか。安定したお金持ちでないことだけは確かだろう。

 安田さんはイラクで、「戦争に参加している」という意識もない出稼ぎ労働者を見て、思うところがあったという。
 「例えば米兵に飯を食わすということは、完全に後方支援です。それがなければ戦闘ができない。本来であれば軍人の仕事なんですね。だから完全に戦争に参加していることになるんですけど、現場の労働者というのは、そういう意識すらまったくない。しかし、米兵に飯食わせるということは、米兵に弾渡すのと同じですから。働きに行くのならば、イラク人が何十万人と死んで、何百万人と難民になっている、このイラク戦争に参加する気があるのかどうか。民営化というのは、そういう意識を持たずに参加できてしまうところが非常に問題だと思います」

 何度か書いている通り、私はイラク戦争直前、イラクを訪れている。

 当時のイラクでは連日の新聞一面に「世界中で行なわれているイラク反戦デモ」の写真が掲載され、日本の反戦デモの写真が新聞の一面を飾っている日もあった。
 「日本でデモをしてくれてありがとう!」

 何人ものイラク人に、そんな言葉とともに握手を求められた。

 しかし、それからすぐにイラク戦争が始まった。自衛隊が派遣され、自衛隊撤退を要求した人質事件が立て続けに起こり、安田さんも人質の一人となった。

 あれから、10年。イラク戦争開戦最大の根拠だった「大量破壊兵器」は、影も形もなかったことが明らかになった。信じられないほど多くのイラク人の命が失われたのに、間違った情報で戦争を始めた人々の「責任」は、日本ではいまだ一度も問われていない。

 今、イラクの人々は、この国が「集団的自衛権行使容認」に舵を切ったことを、どのように受け止めているのだろうか。

 私たちは、世界に対して、これほど「反対」を表明していることを、発信し続けなければならないと思うのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第302回 戦場で働くということ。の巻」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「戦場で働く」ことが、これほどリアリティを持って感じられるようになるとは、数年前には想像もしませんでした。安倍政権の支持率が5割を切ったとの報道も、そうした危機感が急速に広がっているからなのでしょう。
    10年前のイラクでの戦争を検証すること。そして、実質的な徴兵制につながりかねない、経済格差の拡大に歯止めをかけること。集団的自衛権の行使容認に向けて突き進むよりも、やるべきことは山積しているように思えます。

  2. 多賀恭一 より:

    ブッシュ大統領が石油目当てに始めたイラク戦争。
    次のオバマ大統領が収束を目指すと、
    イギリスとフランスが石油目当てにリビアへ武力介入。
    さらにロシアがウクライナに、
    中国が南沙諸島に火の粉をかけている。
    常任理事国は世界の平和に役立っているのだろうか?
    日本も世界の平和に役立たない国に成ろうとしている。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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