雨宮処凛がゆく!

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マイソウルメイト・ヴィンセント。フランス人の映像作家。
ヴィジュアル系をこよなく愛す彼とは、会うたびに
「V系カラオケ大会」を開催。

 『ともだち刑』という、数年前に単行本として出版した小説が文庫になることになり、今、数年ぶりにその小説を読み返している。

 書いたのは03年から4年にかけて。ということは私が28歳から29歳にかけて書いた小説で、「群像」の04年9月号に掲載され、翌年、単行本として出版された。

 読み返しながら、自分で言うのもなんだけど、当時の自分の「文章」とか「表現力」に驚いている。ホントに図々しいけど、もう数年前に書いたものって完全に「他人のもの」として読めるので、妙に感心しながら読み返している。

 で、「感心できるほどの文章が書けた」ということには明らかに理由がある。「群像」に今も連載しながらも「文学」の世界にまるっきり疎い私にはよくわかんないんだけど、「純文学」誌である「群像」に小説を書く、ということはなかなかすごいことらしく、当時、編集者の人がつきっきりで、それはもう懇切丁寧に「純文学を書く」ということのトレーニングをしてくれたのだ。で、何度も何度も何度も書き直しているうちに、数年後、自分が読んでも耐えられる程度の作品になっていたのである。

 と、こういうことを考えるといつも、「不条理」感が私を襲う。それは自分に降りかかる不条理さではなく、私以外の人たちに降りかかっているだろう「不条理」さだ。

 どういうことか。例えば、「希望は、戦争」の赤木さんは「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」ということを言っている。働き、賃金を得ながらトレーニングさせてくれということだ。それはあまりにも真っ当な要求で、そもそもひと昔前の日本の企業というものはそういうものだったと思う。とりあえず正社員として採用して、給料を払いながら仕事を一から教えていくというやり方。が、今はどうか。企業は即戦力ばかりを欲しがり、「新人を育てる」などという余力、余裕はないというところが圧倒的多数だろう。そうして「フリーターやニートに職業訓練を」的な言い方ばかりが幅を聞かせるわけだが、職業訓練を受けたって、その間、一円にもならない上に、その間の生活費まで確保しなければならない。それで就職できるなんて保障は一切まったく全然ないし、下手をしたらその間の時間と生活費ごと、ドブに捨てるようなことになる。 

 だからこそ、なかなか「再チャレンジ」(懐かしい言葉だな・・・)できないわけだが、どっかの企業が採用してくれて、育ててくれたら誰だって当り前だが普通に「仕事」くらいできる。もちろん、向き不向きはあるだろうが、現在正社員である人たちと、フリーターなど非正規の人たちの間に、歴然たる「能力」の差があるとは絶対に思えない。結果的に「差」が出ている分に関しては、それは「仕事をしていく上で学んだ」ということに過ぎない。最初からその機会を与えられていない人たちが人格まで否定されるような状況は許されるべきではない。

 こんなことを強く思うのは、私自身がまさに「仕事をしながらトレーニングさせてもらった」からだ。しかも相当良質な「教育」をしてもらった。編集者にマンツーマンで、物を書くということについてものすごく勉強させてもらった。そうして小説やエッセイなどを書き、出版してきたわけである。

 こんなことを言うと、「結局雨宮さんはニートよりは努力し、戦略的な生き方をしている」というようなことを言われることがある。が、「物書き」になるということについて、自分で言うのもなんだが、私はまったく「努力」していない。なってからは少しは努力しているが、なるための努力は1ミリもしていない。だって、私が本を出すきっかけは、私が右翼団体を脱会するまでを描いたドキュメンタリー映画「新しい神様」が劇場公開されることになった、というそれだけのことだ。ということは、私が物書きになる、そのチャンスを作ったのは、「右翼団体に入った」ということである。誰が「戦略的に」、或いは「キャリアアップ」のために右翼団体に入るだろう・・・。まったくの奇跡のような偶然で、物を書くようになり、そうしたら編集者の人がいろいろ教えてくれたのだ。そしてただのフリーターだった私は「物を書く」ということを、仕事をしながら学んでいったのである。

 結局、そういう「チャンス」や「機会」があれば、そしてそれをしながらお金が得られれば、「スキルアップ」なんて誰だってできる。そういう機会がないからなかなか能力形成ができない、というだけの話で、だけど今ほどその「機会」を得るのが難しい時代もないだろう。一方で、フリーターの頃の自分が「努力」していなかったのかと問われると、私は今よりも「努力」していたのではないかと思うほどだ。そう、努力していた。クビにならないために、少しでも長くその仕事を続けられるように、自分なりに努力していたのだ。だけど、その努力が顧みられることは一切なかった。

 日本の企業社会に、「人を育てる」という感覚が戻ってくれば、事態は少しはいい方向に変わるのではないか。そんなことを、『宝島』4月号に掲載された赤木さんの文章を読んで、また改めて思ったのだ。ちなみにその文章のタイトルは、「国はフリーターを『徴兵』し イラクへ派遣して下さい」。・・・赤木さんらしいと言えば、らしい。どんな文章か、確認は各自でよろしく。

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森達也さんと、「全身当事者主義」出版記念イベントで。
森さんの新刊「死刑」は凄い!

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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