雨宮処凛がゆく!

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「素人の乱」の松本哉さんと対談。いい感じの貧乏臭い場所で対談しました。

 この間、「民主文学」で「プロレタリア文学」についての座談会に出席してきた。
 そのために、生まれて初めて「蟹工船」を読み、打ちのめされた。それと同時に、「蟹工船」の時代に逆戻りしていることをひしひしと感じた。
 共通点はいくつもある。例えば、集団で貧しい人々が蟹工船に乗り、働かされる。出身は、函館の貧民屈や東北の農家。「斡旋屋」が絡み、働く人々は蟹工船に乗るまでの汽車代、そして毛布代や布団代などを取られ、蟹工船に乗る時点で既に借金を抱えている。蟹工船は「工船」であって「航船」ではないので航海法は適用されない。法律の網をくぐった船の中で、人々は奴隷のように、モノのように働かされる。が、「労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事」だ。

 一方、現代のプレカリアートたちはどうか。「斡旋屋」ではなく、人材派遣会社は北海道や東北、沖縄などに多くの事業所を抱えている。どこも若年失業率が高く、最低賃金の安い地域だ。そこで「月収30万可能」などという誇大な求人広告をバラまき、人を集め、まるで人さらいのように群馬あたりのトレーニングセンターに連れていく。そこから全国の工場に「派遣」する。しかし、給料からは寮費や光熱費、そして布団やテレビやこたつやカーテンの「レンタル料」が差し引かれ、手元にはいくらも残らない。悪質な斡旋屋、ではなく派遣会社の場合、「○ヵ月以内に止めると往復の交通費が自己負担」ということもある。現場では「偽装請負」が横行し、法律の網をくぐり抜けた工場の中で、使用者責任が曖昧なまま、若者たちは劣悪な環境の中でモノのように働かされる。派遣労働者を管理する部署は「人事部」ではなく「工務部」「調達部」といった「部品などを扱う部署」。究極の「景気の調整弁」である彼らは、いらなくなればすぐに「雇い止め」となる。仕事と住む場所を同時に失い、しかも寮費の「ハウスクリーニング代」までも最後に請求されることもある。様々に毟り取られるシステムになっているので、地元に帰るお金もない。しかし、「労働者がネットカフェ難民になることなどは、六本木ヒルズにいる金持ちには、どうでもいい事」だ。

 こういったシステムを、「貧困ビジネス」と言う。貧乏な若者が貧乏であり続ける限り、派遣会社は儲け続けられるのだ。貧困ビジネスには、人材派遣会社だけでなく、消費者金融(日雇い派遣で働くと、給与明細の裏にサラ金の広告が印刷してあることがある)や敷金礼金ゼロ物件(賃貸物件ではないので、家賃滞納したらすぐに追い出される。最短1日。住む人はいきなりネットカフェ生活になってしまう)といったものも含まれる。どれも器用に「法律の穴」を抜け、合法的な顔をして今の社会に居座っている。

 「民主文学」2月号で作家の浅尾大輔氏は、派遣で働く女性が「蟹工船」を読んだという実話を書いている。彼女の感想は、「私の仲間たちが続々と出てくる」というものだった。そして「斡旋屋」というのは自分が働く派遣会社なのか、と聞くのだ。浅尾氏は「そうだよ」と頷く。そんな状況を、彼は「現代の『蟹工船』に自分も乗船している(!)という自覚を獲得したのだ」と書いている。
 その通り、私たちは蟹工船に乗っている。知らない間に。

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プロレタリアート/プレカリアートの共通必須アイテムといえば、はんてん。
シビれるリバーシブルはんてんの貼り紙があったので激写しました。

 一昨年、「生きさせろ! 」の取材を始めてすぐの頃、「自動車絶望工場」を読んだ。はじめの頃はその劣悪な世界にただただ驚愕していたが、読み進めるのと同時進行で現代の若者の取材を続けるうち、それほどひどい話に思えず、逆にこの時代の方が良かったのではないかと思えてきた。そうして取材中、あるフリーターの一言で、それは確信に変わった。「自動車絶望工場の時代の方が全然マシなんですよ」。なぜなら、仕事はきつくてもお金はいい上に場合によっては正社員登用もある(現在は派遣・請負だと手取りで12万ほど。正社員登用などまずない)。現在のように、テレビのレンタル料までいちいち毟り取られるようなシステムではない。そんな「自動車絶望工場」の「期間工」は、21世紀の派遣よりずっと「マシ」だというのだ。
 「自動車絶望工場」が過去の悲惨な物語ではなくなった現代、プロレタリア文学が再び輝き始めるのは当然のことなのかもしれない。そして今、プロレタリア文学ではなく「プレカリアート文学」と呼びたくなるものも徐々に登場している。少し前の作品だが、ECDの「失点・イン・ザ・パーク」は紛れもなくプレカリアート文学だろう。最近の作品だと、当事者発ではないが、桐野夏生の「メタボラ」が、製造派遣・請負の若者の過酷な世界を描き、まさにプレカリアート文学と呼びたくなるものだった。

 ここから更に、「現代のプレカリアート文学」が生まれてくるだろう。違うのは、昔の貧困と今の貧困は違う、ということだ。今の若者は携帯なんかを持ってるから貧困ではないとトンチンカンなことを言うオッサンなどがたまにいるが、彼らは反論する。
 「固定電話ひっぱる方が金がかかる。それに携帯がないと日雇いもできない」
 仕事を得るための携帯は、彼らにとっては命綱だ。
 この間会った自称「ネットカフェ難民」の男性は、スターバックスの廃棄食品を漁って食べていると告白してくれた。21世紀、「オシャレ」で「都会的」という記号の象徴であるスタバの廃棄食品を漁るネットカフェ難民という新たな貧困層は、知らないうちに乗せられた「蟹工船」で、どんな物語を描くのだろうか。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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