生き地獄天国―雨宮処凛自伝
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今月、私の一冊目の本「生き地獄天国」がちくま文庫になった。
この本を出したのは25歳。今から7年前。私が脱フリーターするきっかけとなった記念すべき一冊である。
で、7年後の「最終章」を書くために久しぶりに、というか書いてから初めて読み返したのだが(私は基本的に自分の書いた本は読み返さない、というか読み返せない。恥ずかしくて。例外なのは「自殺のコスト」「バンギャル ア ゴーゴー」「生きさせろ!」のみ)、自分で言うのもなんだが、ものすごく面白かった。
その面白い、というのは、自分自身の経歴というより、90年代を読み解くにあたって、何か今を思いきり示唆している部分があまりにも多いからだ。
小学校時代のいじめから始まるこの自伝は、80年代後半から90年代前半のバンドブームを皮切りに、ゆっくりと時代とシンクロしていく。そうして95年、そのシンクロは第一次のピークを迎える。阪神大震災とオウム事件と戦後50年。当時のサブカル・アングラ雑誌にはいつも世紀末の匂いがして、世の中は就職氷河期とか不況とか言われていて、私はフリーターでここからどうやって抜け出していいのか出口がなくて自分を定義する言葉が「時給900円の使い捨て労働力」だけで、だけどまだこの国は「豊か」なんて言われていて、それでも自分の気持ちを表すには「閉塞」なんて言葉が一番しっくり来て、鶴見済の「完全自殺マニュアル」と「ゴーマニズム宣言」が愛読書で、「終わりなき日常」なんて言葉に窒息しかけてて。そんな頃の気持ちを、「生き地獄天国」から引用しよう。
「私は何もできずに、一生ここで不満ばかり言いながら燻っているだけなのだろうか? いつまでたっても部外者で傍観者なのだろうか? /わけのわからない苛立ちや正義感がごちゃまぜになって、私の中で、出口を探して喘いでいた。世界を壊したいのか自分を殺したいのか、ただ何かの役に立ちたいのか、自分でもわからなかった。私は何を望んでいるんだろう。/オウム事件をきっかけに、私は世の中や社会に対して一人であれこれ考えるようになった。/私と同じ年くらいの人が宗教に走ること。私がいつも手首を切ってしまうこと。世界とか世の中からとり残されてるカンジ。私が何をしようと、この社会には何の影響もないこと。絶対に何も起こらないし変わらないと思ってたこと。私もそこに組み込まれてるから、どこにも行けないと思ってたこと。平和という名の退屈よりも、ハルマゲドンに魅力を感じてしまうこと。/まだ考えはじめたばかりだから、何の答えも出ない。だけど、私が手首を切るのも、こんなに生きていくのが難しいのも、今の社会と関係あるのかもしれない、なんて思ったりもする」
ここまで引用して、私は25歳の自分に若干ビビっている。よく「書き手の敵は若い頃の自分」なんて言われるけど、なんかすごく予言してると思うのだ。この当時から、私がプレカリアート運動にかかわることは決まっていたような気さえする。が、この後すぐ私が走ったのは「右翼団体」。当時は「平和という名の退屈」という言葉がまだ似合った。それをたたき壊せば、なんとか生きていきやすくなる気がした。
そうして自伝は途中から暴走を始める。「ターボ全開ブッちぎり逆ギレ人生」だ(単行本発売当時のこのコピー、自分で考えた・・・)。どこにでも飛び込み、サブカル人脈を増やしまくり、一水会の鈴木邦男さんや見沢知廉さんと知り合い、見沢さんに右翼・左翼のビデオなどを山程見せてもらって教育してもらい、サリン事件後オウムを脱会した元オウム信者たちと出会い、自分でいきなり「自殺未遂イベント」を企画して開催し、そして96年、某右翼団体の集会で「覚醒」。なぜなら、彼らは集会で断言したからだ。終身雇用制が崩壊し、既成の価値観が音を立てて崩れていく戦後日本で、私たちが「未来に希望を失ってさ迷う魂の死刑囚」であることを。まだ「経済大国」と呼ばれたこの国で、「明るい未来」を一ミリも描けなかった私がすがれたのはそこだけだった。
そうして団体に入り、街宣で演説しまくり、それだけでは飽き足らず、右翼や左翼やオウムや在日の人々をゲストに呼んで「平成のええじゃないか」という「世直し」イベントを何度も開催したり(この時点から左右&在日で共闘。しがらみとか一切ないんで)、街宣だけでは足りなくて「維新赤誠塾」という愛国パンクバンドを結成し、ライヴをするごとにライヴハウスを出入り禁止になったりする。そのうちそんな私の「自分探しの旅」はどんどん大がかりになってきて、初めての海外旅行で北朝鮮に行くわ、2回目の海外旅行でイラクに行って更に反米愛国バンドとして国際音楽祭でライヴ、その様子がバグダッドテレビで全国放送され、それを見て喜んだサダム・フセインが大統領宮殿に呼んでくれてサダムの息子、ウダイ・フセイン(イラク戦争で死亡)と会見するわ、となんだかトンデモないことになってくる。
そうこうしているうちに、私は「自分が思想に依存している」のではないかと思い、右翼団体を脱会。エピローグ「世界の輪郭」にはこうある。
「私は世界がどこにあるのかわからなかった。私だけが世界の仲間外れだと思ってた。こんな世の中どうやってシラフで生きていけばいいのか、見当もつかなかった。(中略)依存を繰り返して、私は世界の輪郭を掴むことができた。何もないここ、何もない自分から全速力で逃げようとして、時には自分を強く見せるために何かにすがって、どうにか一人で立てるようになった。(中略)通信とか交通とか情報網の発達なんかで『世界は狭くなった』なんて言われてるけど、私はそれとは全然関係ないやり方で、一応世界を狭くした。ずっと敵だと思ってた世界は、今、私の目の前に広大なレジャーランドとして広がっている。手を伸ばせば、すぐ届く場所にある。」
ものすごく極端なやり方だけど、「世界の当事者になる」方法、そして「自分が生きる世界を面白くする方法」が、この本には詰まっている。って、なんだか自画自賛だが、「右傾化」第一世代の90年代の証言として、あまりにも貴重だと思うのだ。読んでね。
オールニートニッポン放送直前。既に酒入ってます。
左から白石さん、「絶望男」という本を出す白井勝美さん、
私、宇都宮弁護士、派遣ユニオン関根さん。