雨宮処凛がゆく!

 4月。新しい年度の始まりであり、新学期の季節である。

 晴れやかな気持ちで新年度を迎えた人も多いと思うが、この4月から「子どもの貧困」が更に深刻化するようなことが始まってしまった。

 それは「就学援助」の縮小だ。

 就学援助とは、経済的に苦しい家庭の子どもに学用品や給食費を補助する制度。修学旅行費なども出る。現在、この制度を使っているのは公立小中学生の6人に1人、約155万人。自治体によっては、3人に1人がこの制度を使っているという地域もある。

 就学援助を使っている子どもが多い地域というのは、それだけ「子どもの貧困」が深刻な地域ということだ。なぜなら、就学援助を受けるには「一定程度以下の年収」という所得制限がある。ある程度の収入がある人が受けようと思っても受けられるわけではないのだ。

 それでは、その「基準」はどのようにして決められているかというと、「所得が生活保護基準の1.2倍未満」などの水準が多い。これ以下の所得しかない世帯のみが、就学援助の対象となるわけだ。しかし、今、収入が変わらなくても、就学援助の対象から漏れてしまう子どもが出てきている。なぜ、そんなことが起きるのか? それは「生活保護基準が引き下げられた」からだ。

 安倍政権が発足して、真っ先に手をつけた「生活保護引き下げ」。これに反貧困活動家たちがずっと反対の声を上げてきたことはこの連載でも触れてきた通りだ。生活保護基準が下がると、就学援助をはじめとする様々な制度に影響が出てくることについても警鐘を鳴らしてきた。しかし、それでも引き下げは強行され、そうして今月、「最悪の予想」がそのまま的中し、就学援助から漏れる子どもたちが出てきたというわけである。

 また、昨年末には生活保護法が制定されて、初めての大改悪が成立してしまった。扶養義務が強化され、口頭申請が基本的に認められないなどの改悪は、「水際作戦の合法化」と批判を受けながらも、反対世論が盛り上がることなく、国会で「改正案」があっさりと通った。

 そんな今だからこそ、読んでほしい本がある。それは『母さんが死んだ しあわせ幻想の時代に』(水島宏明著・ひとなる書房)。90年に出版された本書は長らく入手できない状態となっていたのだが、「生活保護大改悪」を受け、復刊。ずっと読みたかった本なので、一気読みした。

 内容はというと、87年1月に札幌で起きたシングルマザー餓死事件のルポルタージュだ。小学生から中学生まで3人の子どもを抱える39歳の女性は、生活保護の申請を何度も断られ、自宅で餓死死体となって発見された。

 本書を読み進めていくと、この女性・岡田恭子さんがどれほど必死で働き、生きようとしていたかがわかる。

 ギャンブル癖のある夫との離婚。しかし、母子寮に入り、3人の子どもを必死で育てる。母子寮に入ると同時に受けた生活保護。やがて病院の雑役の仕事が決まる。しかし、その収入だけでは最低生活費に満たないので、不足分が生活保護費として支給されていた。その間は、貧しいながらも充実した生活の様子が伝わってくる。

 しかし、歯車が狂い出したのは白石区の市営住宅に転居してからのことだ。収入は同じなのに、白石区は彼女に「辞退届」を書かせ、生活保護を切ってしまうのだ。

 それから、5年。彼女は「最低生活費」に到底満たない額で、それでも必死に働き、生きてきた。病院の仕事のあとに居酒屋でパートをし、交通費を節約するために、電車通勤から自転車通勤に替える。が、収入は大人1人と子ども3人で暮らす最低生活費にはまったく届かない。彼女は友人から借金をするようになり、サラ金にも手を出す。そして結果的には、「借金」が友人との関係までをも断ち切ってしまう。

 そうして亡くなる約1年前、三男が不登校となってしまう。心配した彼女は病院を休職。これで生活保護が受けられると誰もが思ったものの、福祉事務所は生活保護を受けさせない。結局、彼女は喫茶店や居酒屋で働き「1日3000円」程度を貰うという綱渡りの生活を続ける。

 すべての収入が途絶えてしまうのは、亡くなる3ヶ月ほど前だ。恭子さんが、体調を崩して寝込んでしまったのだ。が、お金がないので病院に行くこともできない。子どもたちはこの頃から、近所の人にお金を借りて食事をするようになる。

 そんな恭子さんに助けの手が差し伸べられた瞬間もあった。どんどん痩せていく彼女を心配した友人の一人が、福祉事務所に電話を入れたのだ。翌日、ケースワーカーが自宅を訪問。すると、恭子さんは既に立っていられないほど衰弱していた。が、ケースワーカーは「明日保護課に来て下さい」と言って帰る。翌日、福祉事務所を訪れた恭子さんにかけられた言葉は、「若いんだから働きなさい」「9年前に別れた夫に養育費をもらえ。もらえないなら、養育費を払えないという夫からの証明書を持ってこい」というものだった。
「やっぱり恐ろしい目にあった。あんなところには、もう二度と行きたくない」。恭子さんはこの日、友人にそう話している。

 おそらくこの頃、彼女の中に残っていた最後の気力の糸のようなものが、ぷつんと切れた。

 家賃は1年分滞納している。ガスも止められ、郵便受けに届くのはサラ金からの請求書ばかり。もう借金を頼めるような相手もいない。綺麗好きだったのに部屋の中はゴミだらけになっていく。しかし、恭子さんは、自らの窮状を絶対に話さないよう、子どもたちにはきつく口止めしていた。近所の人が彼女について聞くと、子どもたちは「働きに行っている」と答える。だからこそ、救いの手は届かない。そうして亡くなる1ヶ月以上前から、彼女はこたつで寝たきりとなる。子どもたちが何か食べさせようとしても、力なく首を振って拒み、最初は這ってトイレに行っていたものの、しまいには行けなくなってしまった。

 そうして87年1月23日、恭子さんは変わり果てた姿で発見されるのだ。

 本書を読みながら、何度か既視感に目眩がした。2012年、札幌で起きた姉妹餓死事件と類似点がありすぎるからだ。そして舞台は、やはり札幌市白石区。姉妹の姉は3度も福祉事務所に助けを求めていたが、「若いから働ける」と追い返されていた。

 27年前の、餓死事件。そして、2年前の餓死事件。

 先に書いた通り、昨年末「改正」された生活保護法は、「扶養義務」を強化するような内容になっている。恭子さんは「別れた夫に養育費をもらえ。もらえないなら、養育費を払えないという夫からの証明書を持ってこい」と言われて追い返されたわけだが、「改正」された生活保護法では「とにかく親族などに面倒を見てもらえ」ということが強調されている。27年前の餓死事件の教訓など、まったく生かされていないのだ。しかし、別れ方にもよるが、「別れた夫」ほど連絡をとりづらい相手もいないだろう。その上、DVで逃げたというケースだって多々あるのだ。

 本書には、こんな印象的な文章がある。

 「海で遭難して溺れかけている人間にとって、遠くに見える救命ボートがたった一つの望みであるように、岡田さんも“生活保護”という名の救命ボートに必死につかまろうとしていた。貧困という暗い海に沈みかけながら――。それも一度ならず何度か・・・」

 貧困は、本当に溺れることに似ている。どうもがいてもあがいても、自分の力だけではどうにもならない。救命ボートが救命ボートとして機能しない国。それはとても、脆弱な国ではないだろうか。

 

  

※コメントは承認制です。
第292回 『母さんが死んだ』――27年前の餓死事件、そして更に広がる子どもの貧困。の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    札幌での姉妹餓死事件については、雨宮さんが調査団に同行した際のレポートを書いてくれています(こちら)。この27年前の事件もそうですが、助けを求めて手を伸ばすことだって難しいのに、やっとのことで伸ばした手をさえ、誰も握り返せなかったのはなぜなのか――。〈救命ボートが救命ボートとして機能しない国〉。そんな国が「美しい」はずはない、と思います。

  2. 山道 崇之 より:

    この本は我が家の本棚にも並んでいます。衝撃のひとつとして記憶しているのは、昭和56年の「123号通知」以降の行政の豹変です。国が生活保護の適正化(締め付け)を打ち出すと、生活保護に携わる地方公務員が「あなたまだ若いんだからソープランドで働けるんじゃない?」などというようなことを生活保護を申請する母子家庭の女性に対して言い始める。国のあり方ををどうとでも変えてしまう「号令」を端的に表しているのではないでしょうか。少しずつでも号令は困っている人たちのために。声を上げることは厭わないようにしようという思いを強くされた1冊でした。

  3. 多賀恭一 より:

    経済格差が最も大きく影響するのは、
    医療と教育。
    国・地方ともに財政がひっ迫する中で、この2点が切り捨てられてきている。
    格差に苦しむ個人は連帯しなければ生きていけないものだが、
    このことが知られていないことが問題だ。
    27年前も2年前も関係なく、
    格差に苦しむ人間は、孤立したら目の前に死が迫っていることを知らなければいけない。

  4. Yoshihiko Kaneko より:

    民主党がだらしないから、こんなことになってしまった

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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