雨宮処凛がゆく!

 都知事選投開票日から一週間後の2月16日、東京・渋谷で『脱原発出直しDEMO』が開催された。

 サイトの呼びかけ文は、あまりにもシンプルだ。

 「都知事選は終わった。色々あった。しかし原発はそのまま。国家戦略特区はこれから。軍靴の響きもコツコツと。声を上げ続けよう。みんなで!」

 Twitterで、デモの告知を見たのがこの数日前。

 「出直しデモ」という響きに、なんだかものすごく勇気づけられた。

 これは絶対に行かなくては!

 そうして16日。いろいろ出直してきた。

先頭の横断幕

 今、顔を合わせること。それこそが重要なのだ。

 デモの集合場所に着いてそうそう、痛感した。

 都知事選でいろいろあった人たちが、またひとつのデモで一緒に歩くこと。

 集合場所には既に機材がセットされていて、鳴りものを持った人たちの姿もちらほら見える。

 その中で見知った顔を発見すると、すぐに何人かが握手を求めてきてくれた。

 なんだかその瞬間、いろんな思いが溶けていく気がした。

 ネット上では、今もいろいろな言葉が飛び交っている。

 だけど、できるだけ、人に会おう。直接会って、話をしよう。

 今、一番呼びかけたいのがそのことだ。

 渋谷の公園を出発したデモは、1時間半かけて、ハチ公前、宮益坂、表参道、原宿駅を回ってまた渋谷に辿り着いた。
 いろんな人が参加していた。

 子どもを連れたお母さんたちもいれば、「特定秘密保護法」のプラカードを持った人たちもいた。参議院議員の山本太郎さんも参加してマイクを握った。

 このデモの少し前、福島から東京に避難している方から、思いを綴った文章を送って頂いた。あの事故から、あと少しで3年。今も14万人が避難しているという現実を忘れないために、引用させて頂きたい。

山本太郎さんも参加

「(前略)友達の畑では、野菜が今年も出荷制限。果物も50ベクレルで、結局、出荷を諦めて廃棄したそうです。
 また、人が住んでいる地域に、放射性廃棄物の焼却場が住民の反対を押し切って作られ、更にその焼却場が爆発事故を起こしたのに、環境省がそれを黙殺するなど、信じられない程理不尽なことが今も続いているのが福島です。
 にもかかわらず、国は避難者を福島へ戻す政策を打ち立てました。
 今、私たちの生活は日に日に、経済的にも精神的にも追いつめられています。(中略)
 もしも、この国の原発が全て消えても、福島が元通りになる訳ではありません。でも、今、私が声を枯らしているのは、もう二度とこの国の子どもたちに、福島と同じ涙を流してほしくないからです。
 東京の子は、目を輝かせて将来の夢を語ります。でも、私たちの子どもは、将来の夢を聞かれても、お父さんと暮らしたい、とか、自分の家に帰りたいとか、芝生で転がりたいとか、そんな夢しか語らないのです。(中略)
 避難のバスに取り残され、来ないバスを待ちながら亡くなった人。せっかく津波から助かったのに、原発から近かったせいで救助が来なくて、凍死してしまった人。あの日、原発に行ったまま帰ってこなかった消防隊員。
 こんな福島の悲しみの数々を、どうか知ってください。(後略)」

デモ隊

 あの事故の直後を思い出してほしい。

 私はすぐに、原発ゼロの方向で政治が動き出すと思った。再稼働の話が出てくるなんて、あれだけの事故を起こしたこの国が原発輸出に向けて動き出すなんて、あり得ないことだと思っていた。

 しかし、あれから三年経っても、この国は「脱原発」の決定すらできないままでいる。

 それどころか、人々の記憶の風化につけ込むようにして、国は再稼働の方向に進んでいるようにしか見えない。

 都知事選では、「脱原発」を掲げる都知事を誕生させることはできなかった。

 しかし、「脱原発」が声高に語られ、エネルギー政策への関心が高まったのは事実だ。

 今回の都知事選によって、原発問題に改めて踏み込んだ人もたくさんいる。

 だからこそ、そんな「脱原発デビュー」の人たちも巻き込んで、一緒に変えていきたい。

 そんな思いを新たにした「出直しデモ」だったのだ。

廃棄物ドラムと

 

  

※コメントは承認制です。
第287回 脱原発出直しデモ!!の巻」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    人の記憶は、時間とともにどうしても薄れ、怒りや違和感は日常に忙殺されていく。でも、あの3・11直後、多くの人が行き場のない怒りを抱き、不安の中で「このままではいけない」と感じたはずでした。まもなくそこからまる3年、もう一度、原点に立ち返りたいと思います。

  2. 多賀恭一 より:

    デモをすること自体が目的になってはいけない。
    デモから、日本の政策変更へどう繋げていくのか、戦略を構築すべし。

  3. 小沼紘美 より:

    茨城県の日立市から、2011.3.18に札幌へ自主避難した老人世帯です。北海道は、泊原発あり、幌延地層研究所(処分場?)あり、海を隔てて大間原発あり。しかも道内への原発避難者はおよそ2800人。札幌市内は約1500人。当事者たちは連帯し、学習し、鍛えられています。その中に身を置き、その上、このようにネットで繋がることができ、励まされます。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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