都知事選が始まった。
前回書いた通り、それぞれの候補者の政策を比較し、そうして私は、やっぱり決めた。宇都宮さんを応援しようと。
細川氏がどんなことを掲げるのか、非常に興味があった。また、それ以外の人たちの政策にも期待はあった。が、それぞれの政策を読み、やはり今の「生活者」の実態を、現場の声として最も知っているのが宇都宮さんだと思って、決めた。
だけど、そのことをこうして公表するにあたって、強調しておきたいことがある。
それは、当たり前のことだけど、自分と違う選択をした人についてどうこう言う気はさらさらないということだ。同時に、私の選択についても、あれこれ言われたくはない。
「一本化」を巡るもろもろは、「脱原発」を目指す人の間で分断を産んでしまっている面は否めない。
だからこそ、今、改めて、書いておきたい。
今回の都知事選、私自身、今までにないくらいに悩み、たくさんのことを考えた。そして私の周りの人たちも、本当に悩み抜いていたことを知っている。
誰かが本気で考えた果ての選択を、否定したり批判したりする資格は誰にもない。少なくとも、私は他人の選択を批判できるほど偉くもないし、頭も良くない。「自分と意見の違う誰か」より自分の方が考えているなんて、そんなおこがましいこと、絶対に思いたくない。その上、超能力者でもない限り、この都知事選の結果がどうなるかなんて、誰にもわからないのだ。
自分と違う選択をした人だけでなく、距離をとって静観することに決めた人たちの心にも、ちゃんと思いを馳せていたいと思う。
とにかく、どんな結果になろうとも、このことが禍根を残すようなことにだけはなってほしくない。そのためには、それぞれの立場の人たちが、「自分と違う意見の人」を尊重することが重要なのだと思う。というか、「違う意見の人を認める」「考えの違いを受け入れる」って、民主主義の基本中の基本ではないだろうか。
きっと誰しもが、「民主的な都政」を望んでいるはずだ。
それなのに、その都知事選で誰を応援するかによって「敵」「味方」に別れてしまったり、誰かの選択が批判されてしまうなんて、まったくもって本末転倒だと思うのだ。
多様な意見が尊重されること。意見の違いで排除されないこと。
それこそが、私たちが求めていたものではなかったか。
311以降、私たちはいろんな壁を乗り越えてきた。これまでだったら考えられないようなたくさんの人たちに運動が広まり、多くの人と連帯する喜びを噛み締めてきた。時には、左右が共闘するような場面だってあった。この3年近く、私たちはさまざまなものを培ってきた。多くの人が、「都知事選候補の選択」という一点によって「誰かを見る目」が変わらないほどの信頼関係を、たくさんの人と築いてきたはずだ。
だから、基本的には楽観している。
そしてもし、本当に万が一、私にとって、そして脱原発運動、反貧困運動にとって好ましくない結果になろうとも、それを決して「誰かのせい」にはしたくない。
これまで8年近く、反貧困運動などにかかわってきて、痛感していることがある。
それは運動が停滞したりうまくいかない時、人は「犯人探し」をしたくなる誘惑にかられるということだ。
「こういう問題があるから、うまくいかないのだ」「この人が原因で、いろいろなことが進まないのだ」。
だけど、それは大抵の場合、勘違いでいいがかりで責任の丸投げだ。私の場合、いろいろとうまくいかないことを認めるのが苦しくて、「誰かのせい」「何かのせい」にしてきたことが、恥ずかしながら、何度かある。だからこそ、もう2度とそんなことはしたくないと思っている。
投開票日まで、あと10日ほど。
今、この国はとてつもなく大きな分岐点にあるのだと思う。
その中で、自分に何ができるのか。意見の違う人たちとも話し合いながら、模索していこうと思う。
※私の「宇都宮さんへのメッセージ」はこちらでご覧頂けるので、興味のある方はぜひ。
とてもとても残念なことに、あちこちで見受けられる「分断」。政策そのものの論争ではなく、誰かを「支持した」ことを理由の批判からは、何も生まれません。目指すところは一つ。互いの選択を尊重し合いながら、それぞれに「できること」を続けていきたいと思います。
内ケバ始めたら敵の思うツボですしね。それだけはやめましょう。
>「違う意見の人を認める」「考えの違いを受け入れる」って、民主主義の基本中の基本ではないだろうか。
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物事には全てプラス面(美点・長所)とマイナス面(弱点・短所)があり、基本的に人間はプラスとマイナスとの差し引きを自身の主観によって判断し、選択をしている訳であり、その事を冷静に見つめ、他者の意見を受け入れようとする人は、たとえその人が「頭も良くない」と自分を評しても、他者はその人をその様に見做さないでしょう。そして宇都宮さんでもマイナス面は必ずあり、それによって他者はプラスとマイナスの差し引きした結果、宇都宮さん以外の人を選択するのですから、仮に宇都宮さんが都知事になったとき、自身に対するマイナス評価を冷静に認識し、自身のスタイルを維持しつつそれらのマイナス面を克服・是正していけば、都知事選では宇都宮さんに投票しなかった人々も次々と信頼していき、連携と融和の正のスパイラル(連鎖)になるでしょう。
私の知人(精神科医)が言ってましたが、信頼と連携の正のスパイラルと、相互不信と対立、敵対が連鎖する負のスパイラルは、構造的には全く同じであり、問題はそのシステムを運用する人間自身の問題であるそうです。
「敵」を作り、それに対して感情的かつ容赦なく批判する事に躊躇いを持たない一部の宇都宮さん支持者はさておき、宇都宮さんご自身が正のスパイラルの運用に積極的な人であれば良い、と私としては期待しております。
>それなのに、その都知事選で誰を応援するかによって「敵」「味方」に別れてしまったり、
>誰かの選択が批判されてしまうなんて、まったくもって本末転倒だと思うのだ。
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物事には全てプラス面(美点・長所)とマイナス面(弱点・短所)があるという真理に従えば、例え「安倍外交」・「日米安保」・「原発」という左側の人々が冷静さを失いがちな物事でも、実際には何らかのプラス面があるのです。
しかし自分が支持する物事のプラス面と自身の支持しない物事のマイナス面ばかりを過大に評価し、自身の支持する物事のマイナス面と自身の支持しない物事のプラス面を直視せず、他者からそれらを指摘されても反射的に自身の内側から排除し、自身の価値観が「正しい、まっとうだ」と思い込む一方、違う意見の他者を「人間的におかしい、歪んでいる」と思い込み、怒りや感情に歯止めを持たない事にも躊躇いが無く、価値観が違う他者を積極的に攻撃、排除するようになったとき、相互不信と対立、敵対が連鎖する負のスパイラル(連鎖)となります。
また、自民党(とその支持者)に敵対する姿勢が著名な人ならば、たとえ脱原発や平和主義などで基本的な価値観が近しい人に対しても、僅かな価値判断の差異で容易く敵対というのも自然の成り行きです。
そして、こういった構造は宇都宮さんが「許されない」と批判する排外ナショナリズムと同じ構造であるのです。
「誰かが本気で考えた果ての選択を、否定したり批判したりする資格は誰にもない。」
本当にそう思います。
例えば、私達の悲しみのひとつである、『避難する』『避難しない』という選択によって、福島の中に
出来てしまった分断も、各々が人生をかける程の辛い辛い選択を悩み抜いての結論なのだから、
本当はそれを誰も責める権利なんて無いはずなのです。
でも、現実には 日々責められ、また自分を責め続け、今も尚、皆、悩み続けています。
もう3年も経つのに・・。
団結できれば大きな力になるのに、分断してしまうのは、とても愚かで悲しい事です。
「他者の選択に思いを馳せる」 それが出来る人はとても素敵だと思います。
人間って、誰でも嘘をつくし、間違いもする。3歳の子でも嘘をつくし、偉い先生だって間違うことがある。
それは候補者も有権者もみんな同じだから、完全でない自分と、完全でない他者を許し認めることから
民主主義って始まるんじゃないかと思います。
いつも楽しくコメント読ませていただいてます。最近は、執筆者のコラムを読む為にマガ9読んでるのか、ピースメーカーさんのコメントを読む為なのか、よくわからなくなってきました。
別に<価値観が違う他者を積極的に攻撃、排除する>つもりはないのですが、質問させて下さい。
物事には全てプラス面(美点・長所)とマイナス面(弱点・短所)があるとの事ですが、日本によるアジア太平洋戦争(分けたほうがいいかもしれませんが)も、そうだとお考えでしょうか?
今最も重要なことは原発をやめることではないでしょうか。もし福島原発が使用済み核燃料プールまで崩壊していたら東京はもちろん日本の半分は壊滅していたでしょう。自民党であろうと共産党であろうと脱原発をやってもらいたと痛切に願っています。原発反対集会は、現政権に脱原発方向転換せよと抗議しているのです。
東京都知事選は、原発推進か脱原発かの戦いだと思います。このような時に脱原発派が二分化して争っている場合ではないと思います。都政の様々な問題はありますが、原発推進派が勝ってから戦うか、脱原発派が勝ってから戦うかは雲泥の差があると思います。今は脱原発一本化して戦うべきだと思います。
>物事には全てプラス面(美点・長所)とマイナス面(弱点・短所)があるとの事ですが、
>日本によるアジア太平洋戦争(分けたほうがいいかもしれませんが)も、そうだとお考えでしょうか?
:
まず言えるプラス面は、日本がアジアで大暴れしてヨーロッパ諸国の植民地構造をズタズタにした結果、植民地主義が終焉し、戦後、アジア諸国が独立したという事(勿論、インドネシア独立に加担した日本兵などの例外は除き、当時の日本の国家的意思は「ヨーロッパ諸国に成り代り、自分が宗主国になる」というものでしたが)です。
マイナス面はその為に膨大な人的・物的被害を出し、現在の価値観では到底プラスでマイナスを補えません。
それに加えて、リベラルや左派の人々が主張するプラス面は、アジア太平洋戦争による犠牲の結果、憲法9条が誕生したというロジックでしょう。 そう言われれば確かにアジア太平洋戦争が無ければ、憲法9条がこの世に誕生することは皆無だったでしょう。 とはいえ、その憲法9条にもプラス面(美点・長所)とマイナス面(弱点・短所)があり、マガジン9を愛読される人々の9条に対する主観的な愛情はさておき、日本国民のトータルとしてはプラス面よりマイナス面の方が大きいと感じる人々が増えつつあり、それが積極的に9条改正を望まないにしろ、安倍政権の外交・安全保障政策を黙認する風潮となっている今日この頃の現状であるといえるでしょう。
処凛さんのそういうところが好きだし、マガ9読んでて良かった、とときどき思う、今回もそうした記事の一つでした。うむ。これぞマガ9たる所以みたいな記事。
ただ今回の選挙に限って言えば、そもそも一本化も何も、マスコミ様がフツーーーに舛添候補のDV疑惑や女性蔑視・老人蔑視の暴言について追及していればまず彼の勝ち目はない気がするのですが。それが週刊ポストなどわずかな週刊誌以外は一切口を噤んでいることの奇妙さを飛ばして、一本化の話に関心をすり替えられていないですか私たち。
まずは東京都民全員に大マスコミが報じない舛添氏の人となりを知らしめることのほうが本来のような気が私はしています。
返信有難うございます。
>まず言えるプラス面は、日本がアジアで大暴れしてヨーロッパ諸国の植民地構造をズタズタにした結果、植民地主義が終焉し、戦後、アジア諸国が独立したという事
日本が、大暴れしなかった国も、戦後、独立したと言う事を考えると、プラス面かどうか判りませんが、ピースメーカーさんの認識は、よくわかりました。
ありがとうございました。