その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
沖縄密約文書の開示請求訴訟に対する控訴審の判決が、9月29日、東京高裁であった。本来なら先月取り上げるべきテーマだったが、月末ぎりぎりで、メディアの反応なども見届けるため、今月に回してじっくり論じることにした。
判決の内容は、国に開示を命じた一審判決を取り消し、「文書はあったが、密かに廃棄してしまったようである。ないものは開示できないのだから、不開示の決定は適法である」というひどいものだったのだ。
立法・司法・行政が互いにチェックしあう「三権分立」は、近代国家の大事な仕組みである。行政に対する司法のチェックが甘いことは、これまでにもしばしば指摘されてきたところだが、歴史的にも重要な国家間の外交文書を「故意に廃棄してしまったらしい」とまで認定していながら、ないものは仕方がないと、まるで『捨て得』というか『捨てたもの勝ち』を奨励するかのような判決を出して、司法の使命は果たせるのだろうか。
この訴訟のこれまでの経緯はこうだ。1972年の沖縄返還に際して、米国が負担すべき財政負担を日本側が肩代わりするという日米両政府間の密約があったが、日本政府は「そんなものはない」と言い続けた。
ところが、それから30年余の歳月が経ち、米国から密約の公文書が出てきた。そのうえ、当時、交渉にあたった元外務省アメリカ局長、吉野文六氏も密約の存在を認めた。それなのに、政府は「そんなものはない」と国民にウソをつき続けたのである。
そこで、2001年に制定された情報公開法に基づき、密約文書の開示を請求したところ、そんな文書は存在しないという理由で「不開示」の決定がなされた。それを不満として起こしたのが、今回の開示請求訴訟である。
一審の法廷には、吉野文六氏や米国の公文書館から密約文書を見つけ出した琉球大学教授、我部政明氏らも証人に立ち、これらの文書の開示は、国民の「知る権利」にとっても、また、歴史を歪めないためにも大事なことだと訴えた。
一審判決では司法の健在ぶりを示したのに
昨年4月にあった一審判決は、この国民の「知る権利」の重要性に理解を示し、「密約の文書があったことは明らか。探してもなかったというだけでは不誠実。重要文書なのだから廃棄したのならその経緯は分かるはず」と、国に文書の開示と国家賠償まで命じたのである。
この一審判決を聞いたとき、私は「日本の司法はまだ死んではいなかった」とあらためて思った。私がこの訴訟の原告団の一人に名を連ねているのも、「政府のウソを正すのは、本来、メディアの役割ではないか」との思いが原点にあったからだが、国民の一人として司法のチェック機能にもひそかに期待していたからだ。それだけに、今度の控訴審判決を聞いたときの落胆は大きかった。
もっとも、控訴審判決でも、従来の政府や外務省の言い分より前進した部分もないではない。密約文書が国家間の重要な外交文書であることは認め、「通常の管理方法とは異なる場所に、限られた職員しか知らない方法で保管され、密かに廃棄された可能性が高い」とまで認定していることだ。
しかも、秘密に保管し、密かに廃棄した理由として「沖縄返還が米国からカネで買い戻すという印象を日本国内で持たれたくない」と日本政府が考えたからだと、動機まで推認しているのである。
しかし、そのあとがいけない。政権交代によって隠す理由はなくなったのだから「探してなかったことは信じられる」とし、「ないから開示できないという決定は適法だ」というのだから驚くほかない。
こっそり廃棄した政府の責任については、「この裁判は、その責任を追及するものではない」のだから裁判所が判断する必要はないと突き放しているのである。
さすがに、この判決にはメディアも一斉に疑問の声をあげた。新聞各紙の社説の見出しだけみても「過去の問題ではない」(朝日)「ずさんな文書管理を指摘した」(読売)「廃棄疑惑に国は答えよ」(毎日)「説得力ない『密約』控訴審判決」(日経)「機密文書の保存は必要だ」(産経)「文書廃棄は歴史の冒涜」(東京)といった調子である。
しかし、ことは国民の「知る権利」にかかわる、つまりメディア自身にかかわってくる問題なのだ。他人事のような論評ではなく、国民に代わってもっと激しく怒りをぶつけてもいいのではないか。
たとえば、朝日新聞の解説記事の見出しには「国に厳しい判決」とあったが、この判決のどこが「国に厳しい」のか。確かに、国がないと言っていた文書が実はあって、こっそり廃棄してしまったらしいと認定したところは厳しいともいえるが、その責任は一切問わず、「ないものはない」のだから不開示は適法だというのでは、「国に大甘な判決」というべきではないのか。
10年前の外務省高官全員に訊いてみよ
原告団はこの判決を不満として上告したので、「まだ、最高裁がある!」と司法へのかすかな望みも持ち続けながら、一方、ここまでくれば今度こそメディアの出番である。「重要文書を誰が破棄したのか」それを探り出すのはメディアの仕事ではないか。
判決が推認しているように、「通常とは異なる方法で、限られた人たちの間で保管され、密かに廃棄された」のなら、外務省の高官たちがかかわっていることは間違いない。しかも、その時期は、「国民に知られたくない」というのが動機なら、情報公開法が制定される直前が最も可能性が高く、そうだとしたら僅か10年前のことだ。
当時の高官たちはまだみんな生きていると思われるから、その全員に当たって訊いてみることだ。そのなかに一人でも、吉野文六氏のように「歴史を歪めないために、生きているうちに本当のことを話しておきたい」と考える人がいたら、事実が判明する。
もし、一人も現れず、全員が「知らない」と答えたとしても、それをそのまま報じることだ。そのうちの誰がウソをついていたか、やがて歴史が明らかにしてくれるだろう。メディアは、そのときのための資料をいま整えておくことが大事なのだ。
「発表依存」のメディアではダメだ!
最近のメディアは、このような愚直な方法で真実に迫ろうとしている姿を読者や視聴者に見せる機会が少ないのではないか。福島原発事故の報道も、東電や保安院や政府の発表に依存して、「何が起こったのか」自らの手で愚直に真実に迫ろうという努力が足りなかったことを多くの人たちが指摘している。「まるで、戦時中の大本営発表と同じだ」という厳しい批判の声も少なくなかった。
今年の新聞週間は、多くのメディアが東日本大震災の報道の跡を検証しており、そのことを率直に反省しているメディアもあった。メディアに対する読者・視聴者の信頼感の低下には著しいものがあり、それを挽回する意味でも、一社でもいいからメディアが取り組んでもらいたいものである。
ついでにもう一つ、メディアにぜひやってもらいたいテーマがある。官房機密費の使途である。2年前の総選挙で政権交代がはっきり決まってから、当時の自民党政権の官房長官が機密費の金庫を空っぽにして2億5千万円を持ち出した「事件」があり、告訴を受けて調べていた東京地検が「不起訴にした」ということが先日、小さな記事となって報じられていた。
これも一種の「司法のチェック機能の働かなかったケース」であり、メディアの出番であろう。その使途を徹底的に追跡し、明らかにする調査報道に取り組むメディアが、一社くらいあってもいいのではないか。
官房機密費の一部はメディアにも流れているという「うわさ」は絶えない折だけに、その汚名返上のためにもメディアの奮起を促したい。
官房機密費といえば、民主党は政権をとったら使途を明らかにすると約束していたはずなのに、いっこうに明らかにしない。その点のメディアの追及もどうなっているのか。
興味深い読売新聞「白紙広告」の試み
話は変わるが、今年の新聞週間に読売新聞社が面白い試みをやってみせた。10月20日の夕刊の広告を真っ白にしたのである。小さな文字で「きょう、10月20日は、新聞広告の日です」と入っているのをみて、そうか、新聞広告を逆に目立たせるための趣向かと納得した。
それにしても、夕刊のすべての広告費を犠牲にして「新聞広告の宣伝をするとは、思い切ったことをしたものだ」と思ったら、そうではなかった。あとのページの全面広告のところに小さく「この広告特集は、社団法人東京都医師会の協力で実現しました」とあり、そういうことかと納得した半面、今度は「医師会ってそんなにお金持ちなのか」とびっくりした。
もちろん、真っ白にした広告のすべての広告費を持ったわけではないだろうが、それにしても、である。
それはともかく、落ち目の新聞広告をなんとかしたいという涙ぐましい努力の跡には、頭が下がった。と同時に、昔、「販売の神様」といわれた務台光雄氏が「読売新聞の題字さえあれば、白紙の新聞でも売ってみせる」と豪語したという『伝説』があり、新聞が隆盛だった時代を懐かしく思い浮かべた次第である。