柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata36
 

100億円をカジノに投じた大王製紙の前会長、1000億円を超す不正経理を隠そうとしたオリンパスの経営者陣――日本の企業のトップたちの劣化ぶりは、あきれるばかりである。
 1990年代あたりから日本の社会は全体的に劣化してきたように感じているが、なかでも企業の経営者たちの劣化は、ひときわ著しい。正社員を切って派遣社員に代えるというとんでもない愚行に飛びついて格差社会をひろげたのも経営者たちだ。恐らく、会社という組織の中でリーダーを選び出すシステムが壊れてしまって、ふさわしくない人間が経営陣に座るようになってきたからではあるまいか。
 メディアはどうか。メディアの中でも新聞・テレビの、いわゆる「組織ジャーナリズム」と呼ばれるところは、その例外ではないのではないか。福島原発事故の報道をめぐって「現場に肉薄しないメディア」のあり方が厳しく問われているが、考えてみれば、湾岸戦争、イラク戦争でバグダッドから記者を「総引き揚げ」してしまったあたりから続く現象だといえよう。
 「危険な地域には入るな」という内規を定めたところもあるといわれ、いまや「コンプライアンス(法令順守)ジャーナリズム」という言葉が、メディアの劣化を揶揄する言葉になりつつあるとさえいわれている。
 事なかれ主義の経営トップと、組織に従順な記者たち、という構図は、いまやメディアを考える最大の課題だといってもいい状況になりつつある。
 この問題とはやや性格が異なるが、読売新聞社のトップと関連企業の経営陣の間で起こった「巨人軍騒動」も、組織と内部告発者、あるいは、それが自社内で起こったときにその社はどう報じるべきか、といった問題を考えさせる事件だった。
 渡邉恒雄氏といえば、通称「ナベツネ」で通る、読売新聞社に君臨する独裁的な権力者として知られる人だ。そのナベツネ氏に対してプロ野球・読売巨人軍の専務取締役球団代表兼ゼネラルマネジャー、清武英利氏が反旗を翻し、突然記者会見して「決まっていたヘッドコーチの人事を鶴の一声でひっくり返そうとした」とナベツネ氏の横暴振りを涙ながらに訴えたのである。
 清武氏の発表した声明文の中に「大王製紙やオリンパスのように、企業の権力者が内部統制やコンプライアンスを破ることがあってはならないことです」という言葉があったのには、ちょっと驚いた。
 プロ野球の日本シリーズの真っ最中に起こった反乱劇、この騒ぎにスポーツ紙はもちろんのこと、テレビも新聞も大々的に報じるなか、読売新聞の報道だけは異常だった。一見、何も報じていないのかと思ったが、よく見たらスポーツ面の片隅に小さなベタ記事で載っていた。読売新聞だけしか読んでいない読者には、事情がよく分からなかったに違いない。
 ナベツネ氏側も反撃に出た。記者会見して「清武代表の発言はでたらめ、名誉毀損だ」と発表したうえ、巨人軍の親会社、読売新聞グループ本社の臨時取締会を開き、清武代表の解任を決めたのだ。
 このニュースは、読売新聞も一面から社会面までかなり大きく報じた。ただ、その内容は、清武氏の解任の理由を箇条書きにして詳しく報じているのに対して、清武氏の言い分は「間違ったことはしていないし、後悔も反省もしていない。不当な処分であり、法的処置を検討する」と僅か6行だけ。記事につけられた3人の識者の談話も、いずれも清武氏を批判するものばかりで、かなり一方的な報道だったといえようか。
 一般に、対立する事柄の記事につける識者の談話は、それぞれの言い分に沿って公平に振り分けることが多いのに、3人とも同じような趣旨ということ自体、ちょっと珍しいことなのだ。しかも、3人のうちの1人、評論家、大宅映子さんの談話は、朝日新聞にも載っており、その内容が両紙でまったく違うのだ。大宅さんに訊いてみると、読売新聞は自社に都合のいい部分だけを取り上げているというのである。
 メディアにとって、自社にかかわりのある記事をいかに報じるかは、難しいテーマである。今回のケースは、対立する両氏とも自社内の人たちだから、さらに難しい報道だったかもしれないが、終わってみれば、独裁者に反逆者が現れ、返り討ちにあったという図式で、面白くも何ともない一会社内の内紛のようにも見える。
 しかし、よく考えてみれば、独裁者に反逆する人が出てきたというだけでも大変なことで、チュニジア、エジプト、リビアと続いた「アラブの春」のように、ナベツネ体制の「終わりの始まり」となるのかどうか、これからの動きを注目していく必要がある。
 この巨人軍騒動で、鶴の一声でひっくり返ったヘッドコーチの人事の中に江川卓氏の名前が出てきたことには、二度びっくりした。江川氏といえば、32年前、ドラフト制度の取り決めを破って巨人軍に強引に入団した『前科』がある人物だ。
 ナベツネ氏は江川氏の起用に対して「悪名は無名にまさる」と言ったと報じられているが、32年前の江川問題でも、読売新聞社や巨人軍に対して轟々たる非難の声が巻き起こった事件だったのである。
 そのときにも、編集局の幹部だったナベツネ氏が「江川問題での読売新聞社の言い分を社説に書け」と指示して論説委員から拒否された、という話があったことを思い出す。
 そういう過去の歴史まで含めて考えれば、読売新聞も、今回の騒動を自社のことではあっても、もう少し公正で客観的な報道をしたらよかったのに、と思わざるを得ない。
 一方、この騒動に対する朝日新聞のその後の報道は、「池上彰の新聞ななめ読み」をはじめ、1ページをまるまる埋めた「清武氏の超大型インタビュー」、さらに2日連続で載せた「ナベツネ氏の超々大型インタビュー」と、まるで日替わり特集のように4日間連続で報じたのは、いくらなんでもやりすぎではなかったか。
 とくにナベツネ氏のインタビューには、巨人騒動に対する同氏の言い分だけでなく、日本の政治や経済についての分析や、読売新聞の社論の構築の仕方についての同氏の釈明的な言葉まで載せているのだ。ナベツネ氏は読売新聞の主筆であり、同氏の政治や経済問題に対する主張は読売新聞にいくらでも載せられるのに、である。
 こうした朝日新聞の異常な報道ぶりの背後に「競争紙のスキャンダル」を宣伝しようという意識が少しでもあったとすれば、公正な報道とはいえないだろうし、また、「そう思われないようにしよう」とばかりナベツネ氏を持ち上げるかのようなインタビューをしたのだとすれば、それも公正な報道とはいえないだろう。
 いずれにせよ、清武氏、ナベツネ氏とも「裁判を起こす」といっているので、今後はその経緯を中心に報道が続くと思われるが、メディアにとって「公正な報道とは何か」が問われつづけることになるに違いない。

 オウム真理教事件、メディアは猛省を

 今月の報道では、16年間続いたオウム真理教事件の裁判が終わったため、各メディアとも事件の全体像を振り返り、総括する報道を展開した。「坂本弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」……どれをとっても悲惨極まりない異常な事件であり、こんな新興宗教が日本の社会にどうして生まれたのか、高学歴の科学者たちが大勢はせ参じたのはなぜなのか、奇妙な教祖の命令にみんな素直に従ったのはどうしてか、などなどいまだにナゾだらけの事件である。
 メディアの総括は、各社それぞれ独自の視点から展開していたようにみえたが、オウム事件といえばメディアが深くかかわっていた事件であるにもかかわらず、総じてメディア自身の反省の弁が希薄だったような気がしてならない。
 たとえば坂本弁護士一家殺害事件に関しては、かつてTBSの筑紫哲也キャスターが番組で「TBSは死んだ!」と叫んだ痛恨の事件があった。坂本弁護士を取材したビデオをオウム真理教の幹部らに見せ、その抗議に屈して放送しなかった事実を、坂本弁護士一家が行方不明になったあとまで口をつぐんで秘密にしていた事件である。
 坂本弁護士の自宅にはオウム真理教のバッジが落ちていたのだから、TBSのスタッフがその事実を明らかにしていれば、松本サリン事件も地下鉄サリン事件も防げたかもしれないとまでいわれた事件なのだ。
 また、松本サリン事件では、第1通報者の河野義行さんを犯人視する報道を繰り返したというメディアの苦い失敗もある。河野さんの家で発見された薬品類からでは、サリンができないことは、すぐに分かったことなのに、である。
 さらにいえば、松本サリン事件の6ヵ月後、地下鉄サリン事件の3カ月前の95年の元旦に、山梨県の上九一色村(当時)でサリンが検出されたという読売新聞の大スクープがあったのに、読売新聞を含めてどこの社も追跡せず、地下鉄サリン事件を未然に防げなかったという痛恨事まであったのだ。
 もちろん警察の責任が大きいことはいうまでもないが、メディアにとってもそんな痛恨の思いが数々あることを、この機会に振り返っておくことも大事なことなのではないか。

大阪の「民意」の行く先をメディアはしっかり監視を

 このほか、月末には、大阪府の橋下徹知事が、知事を辞任して大阪市長選に出るというダブル選挙があり、いずれも橋下氏が率いる「大阪維新の会」が圧勝した。
 選挙前にも、「ファッシズムならぬハシズム」などと橋下氏の独裁的な過激な言動を批判するメディアも少なくなかったが、とにかくやらせてみよう、という大阪の民意は予想以上に強かった。
 恐らく橋下氏は「民意」をたてに、驀進するにちがいない。選挙前には手控えていたメディアのチェック機能もこれからが本番だ。もちろん民意は尊重されねばならないが、戦前、日本が戦争になだれ込んでいくときも「民意」がたてに使われたことを忘れてはならない。
 社会の閉塞感が極めて大きい時代だけに、メディアのしっかりした姿勢がひときわ重要なときである。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

最新10title : 柴田鉄治のメディア時評

Featuring Top 10/71 of 柴田鉄治のメディア時評

マガ9のコンテンツ

カテゴリー