柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 東京・内幸町の日本記者クラブは、毎年正月に全国の新聞の元旦紙面を集めて展示している。年明けに「今年はどんな年になりそうかな」という期待と不安をないまぜにしたような気分をこめて、元旦の紙面から今年を見通そうという試みでもある。
 一方、各新聞社にとって元旦の紙面づくりは、ひときわ力の入るものなのだ。世間をアッといわせるような大特ダネで元旦紙面を飾りたいと考えていない新聞社は、一社もないに違いない。事実、元旦紙面に満を持して放った特ダネで勝負した事例は、過去にいくらでもある。
 そのうえ、今年の年明けには、いつもと違う期待があった。東日本大震災と原発事故で暗くてつらい歳月がようやく過ぎて、年が改まるという気分転換への期待である。それらが重なり合って迎えた今年の元旦紙面は、期待だけは大きかったのに、私の見るところ、残念ながらアッと驚くような大特ダネは見当たらなかったように思う。
 朝日新聞の一面トップ、「安全委24人に8500万円、原子力業界から」は、独自ダネではあるが、特ダネというほどではなく、読売新聞の「防衛省が対サイバー兵器、逆探知し無力化」も、見出しはおどろおどろしいが、やはり企画ものに近い独自ダネといったところだろう。
 そのほか毎日新聞の原子力ものもアッと驚くものではなく、今年はよく言えば平穏な滑り出し、悪く言えば去年に続く厳しく暗い年明けだったといえよう。
 新年の新聞には、もう一つ、元旦社説という「売りもの」がある。たとえば、読売新聞が80年代に入って社説を「政府・自民党寄り」に大転換したときの変化は、いずれも元旦社説を活用したものだった。
 各社とも、元旦社説は論説委員長とか論説主幹とか、論説のトップが書くことが多く、明確な転換をやるときには、元旦社説が選ばれることが多いのだ。しかし、今年の元旦社説には、「これは」と思わせるものは見当たらなかった。
 スペースの大きさでは、読売新聞の社説はばかでかく、量的な内容ではいろいろと多彩ではあったが、かねてから主張している「原発推進」をあらためて明確に打ち出していることを除けば、それほど目新しい部分はない。
 原発についての「菅前首相の無責任な『脱原発』路線と一線を画し、野田首相が原発輸出を推進するなど、現実を踏まえたエネルギー政策に乗り出したのは当然である」という主張は、他社の社説のトーンとは大きく異なるが、これまでの継続路線であることはいうまでもない。
 「ポスト成長の年明け」と題する朝日新聞の元旦社説は、「戦後ずっと続いてきた『成長の時代』が、先進国ではいよいよ終わろうとしているということだ」と書き出して、「すべて将来世代のために」に何もかも我慢しなければならないという暗く厳しい先行きを論じている。
 そのほか「政治」に焦点を絞った毎日新聞の社説や世界恐慌が起こった1929年と現在との類似性を論じた日経新聞の社説など、それぞれ論点に工夫を凝らしており、また、東京新聞のように大阪都構想を掲げた橋下徹氏の「維新の会」や河村たかし名古屋市長らの「減税日本」の運動などを論じた社説もあったが、総じて今年の見通しは暗いものばかりが目立った年だったといえようか。
 明るい材料がないのだから、仕方ないとはいえ、一般に年明けには多少無理しても明るい希望の光を見つけ出すものである。そういう観点に立つと、今年ほど明るい話題のない年も珍しいといえよう。

野田首相の内閣改造、支持率の上昇まったくなし

 ところで、野田首相は新年早々、内閣を改造した。参議院で問責決議案が可決されていた防衛大臣らの交代と合わせて、岡田克也氏を副総理に起用するなど、かなり大幅な改造だった。
 ところが、各社の世論調査によると、この内閣改造について、野田政権の支持率はまったく上昇しなかったのである。なかでも、最も支持率の低下が著しかったのが、読売新聞の世論調査である。内閣支持率は37%で、前回(昨年12月10・11日)より5ポイント下がり、不支持率は51%(前回44%)に跳ね上がったのだ。
 野田政権が発足した昨年の9月の世論調査では、支持65%、不支持19%と圧倒的な支持率だったのが、急降下を続け、12月で接近して、今回で完全に逆転してしまったのである。
 原発の推進にせよ、消費税の増税にせよ、野田政権の政策をほとんどそっくりそのまま全面的に支持してきたのが読売新聞だったのに、どうしたことか。もちろん、他社の世論調査でもほぼ同じ傾向は見られ、たとえば、朝日新聞の調査では支持率が29%(前回12月31%)とほぼ横ばい、不支持率は47%(前回43%)だったが、読売新聞の場合ほどは極端ではなかった。
 支持率の低下の理由として野田首相の「説明不足」をあげる人が多く、読売新聞の調査では、野田首相が自らの政策や考えを国民に十分に説明していないと思う人は85%にのぼっているのだ。
 朝日新聞の調査によると、野田政権の消費増税の政府案について賛成34%、反対57%、消費増税の前提とされる国会議員の定数削減や公務員の人件費の削減について、首相が削減を「できると思う」と答えた人は19%しかなく、「できないと思う」が67%を占めた。
 増税に賛成する人が少ないのはある程度、やむを得ないとしても、その前にやるべきことをやりそうもないと見ているところに、支持率低下の原因がありそうである。

「日の丸・君が代」での教員処分の行き過ぎに最高裁が「待った」

 このほか、今月のニュースの中で見逃してはならないものに、入学式や卒業式で日の丸や君が代に起立しなかった教員らに対して東京都教委などが処分を繰り返していた問題に、最高裁が「待った」をかけた判決がある。
 「戒告」以下の処分は認めるという中途半端なものではあるが、「停職」などの処分はやりすぎだと、はっきり認めた判決は、それなりに大きな意味があり、高く評価してもいいだろう。
 日本は、立法・司法・行政の三権が互いにチェックしあう「三権分立」が制度として定着している近代国家であるはずなのに、これまで司法の行政に対するチェック機能は極めて弱く、「行政の裁量権の範囲内だ」と認めることがほとんどだった。沖縄密約問題のように、密約文書があったことは明白なのに行政の「そんなものはない」という主張を認めるかのような司法の姿勢に唖然とさせられたこともしばしばだ。
 しかも、折から橋下徹・大阪市長らの「維新の会」が進めようとしている政策は、命令に従わない教員はクビにしようという激しいものであるだけに、それに「待った」をかけた今回の最高裁判決の意義は決して小さくないといえよう。
 ついでに付言すると、私のように戦前・戦中に国民学校で「お国のために命まで捧げよ」という教育を受けた人間にとっては、日の丸や君が代に悪感情はまったくなくとも、処分という「脅し」をもって強制させようと動きにはとても納得できない。
 私のみるところ、国民から信頼されていない国家ほど、「国家が大事だ」「お国のためにすべてを捧げよ」と、国民のマインドコントロールをしようとしているように思うが、どうだろうか。
 大阪・維新の会の動きに対しても、これまで「民意を得ている」と見えるだけに、メディアの批判も及び腰だったように思われてならない。「ファッシズムならぬハッシズム」なんていう言葉ではなく、もっと真正面からメディアは批判していくべきだろう。

島田紳助問題でひと言…

 もう一つ、今月の新聞報道で「オヤ?」と思った小さな事柄に、ひと言、触れておきたい。5日の朝日新聞の朝刊社会面の真ん中に、「紳助さん戻ってきて」という大きな記事がドカンと載っていた。
 吉本興業の大崎洋社長が大阪市で開いた記者会見で、暴力団幹部との交際を理由に芸能界を引退した島田紳助さんについて「願わくは、社会の皆様、ファンの皆様、マスコミの皆様のご理解を得て、いつの日か、吉本興業に戻ってきてもらえるものだと信じております」と語った、というものである。
 新聞記事には、記事の「内容」とその記事の「扱い」という二つの意味がある。この記事の場合、吉本興業の社長が島田紳助氏の復帰を願っていると語ったことを報じることに何ら問題はなく、私が「オヤ?」と思ったのはその扱いだった。
 吉本興業の社長だけでなく、朝日新聞まで「島田紳助氏の復帰を願い、応援している」かのような扱いだったのである。その証拠に、その直後の朝日新聞の投書欄や「記者有論」というコラムに、相次いで「紳助氏復帰 理解得られぬ」という記事が載ったのである。
 つまり、朝日新聞は『自作自演』で、島田紳助氏の復帰話に火をつけて、消火に躍起になった形なのである。もともと社長の会見内容を小さく報じておけば、それで済んでいた話なのだ。
 昨年、「9・19原発さよなら集会」の記事の扱いを朝日新聞社の編集幹部が「意図的ではなく、単なる判断ミスで間違えた」と言っていたことをメディア時評に取り上げたことがあったが、記者の取材力だけではなく、整理記者の編集力も落ちてきたのではないか、と心配するのは、心配のしすぎだろうか。

琉球新報の『オフレコ報道』を非難するメディアがあるとは!

 最後にもう一つ、月末に新聞労連の今年のジャーナリスト大賞の表彰式があったので、付け加えたい。今年の大賞には、東京新聞特報部の「原発事故報道」と琉球新報の「沖縄防衛局長の不適切発言報道」が選ばれ、優秀賞には毎日新聞さいたま支局の「県警の虚偽証言強要疑惑」と沖縄タイムスの「ワシントン発の基地報道」、疋田桂一郎賞には沖縄タイムス大野亨恭記者の「不発弾報道」がそれぞれ選ばれた。
 いずれも新聞に対する読者の不信感を一掃するような素晴らしい報道であり、受賞者のあいさつがまた、とても感動的だったが、琉球新報社の受賞あいさつの中にこんな部分があったので、私は愕然とした。「琉球新報が報道したことに対し沖縄県民からは圧倒的に支持されたが、本土からの反響には非難の声も少なくなかった」
 琉球新報の報じたことというのは、沖縄防衛局長がオフレコの懇談で、普天間基地の移転をめぐり県民にとっては許せない暴言を述べたことを同紙が通告のうえ報道した件である。その発言内容といい、また、オフレコとさえいえば何でも許されるという「オフレコ会見の乱用」が問題なっている折だけに、琉球新報の「オフレコ報道」を非難する人はいないだろうと思ったが、そうではなかった。
 新聞やテレビで「何であれオフレコ破りは問題だ」と非難しているジャーナリストも少なくなく、この問題を取り上げて論じながら自社の見解は示そうとしない新聞社もあるようだ。こんなことではメディアに対する不信感は、ますます増幅されていくに違いない。
 琉球新報の勇気とその判断力を、本土メディアも見習ってほしいものである。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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