柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 東日本大震災から1年が過ぎ、また3月がめぐってきた。3月といえば、3・10と3・11と二つの記念日がならんでいる。3月10日は東京大空襲の日、ならんでいるといっても東日本大震災の3・11との間には66年の歳月が挟まっている。私の人生がそっくり詰まっている歳月だ。
 そんな思いがあるので、今月のメディア時評は私の個人的な体験と感情をまじえて記してみたい。
 わが家が焼けたあの1945年3月10日の夜、私は父を残して母や弟妹たちと疎開していた東京の郊外から都心の空が真っ赤に染まるのを眺めていた。父は翌朝、貴重品を入れた鞄まで途中で捨てざるを得なかったというボロボロの姿で現れ、私たちをホッとさせたが、あの日、一夜にして10万人が命を亡くしたのである。
 2日後、私は父と一緒にわが家の焼け跡を見に行ったが、わが家は跡形もなく、狭い敷地に焼夷弾の残骸が数え切れないほど転がっていた。
 振り返って考えてみると、私が科学者になる夢を捨ててジャーナリストへの道を選んだそもそもの原点は、あの3・10の焼け跡の光景だったのかもしれない。というのは、私が転進を決断した理由は、子どものころの戦争体験と「あの戦争は戦前の日本に健全なジャーナリズムが存在しなかったからだ」とその後学んだことがきっかけで、平和と人権を守るジャーナリズムの仕事に就こうと考えたからだ。
 今月18日の夜、NHKスペシャル「東京大空襲」が放送された。未公開ネガ583枚を発掘したとして「米軍無差別爆撃の真相」と題して、あの東京大空襲の様相をさまざまな角度から浮かび上がらせた番組だった。
 あの空襲は、最初から罪のない一般市民の大量虐殺をねらった、まさに戦争犯罪そのものだといっていいものだ。ヒロシマ・ナガサキとともに、いつの日か米国もそれを認めて謝罪するだろうと確信しているが、それまで日本のメディアはことあるごとに東京大空襲の告発を、今回のNHKのように続けるべきだろう。
 3・10と3・11を結びつけるものとして、一つは津波の跡の光景とあの焼け跡の光景とが重なり合ったことだが、もう一つ、福島原発事故をめぐって「まるで大本営発表ではないか」という批判の声が渦巻いたこともあげられよう。
 戦前・戦中の大本営発表は「戦果は過大に、損傷は過少に」そして都合の悪いことは発表せず、というパターンだったが、原発事故でも建屋が吹っ飛んでも「レベル4」、メルトダウンを認めたのも2ヵ月後だったのだ。
 ちなみに、東京大空襲についての当時の新聞報道も「帝都に空襲、敵何機を撃墜」というだけで、被害状況はほとんど何も報じられなかったのである。
 原発事故について、ついでにもう一つ付け加えると、住民の避難に欠かせない放射能汚染状況を予測するSPEEDIのデータを、日本国民には発表せずに密かに米軍には流していたことがあとで分かったのである。これでは、まるで敗戦後の占領時代そのままではないか。

原発事故は「大本営発表」、沖縄は占領時代そのまま

 占領時代といえば、沖縄の返還から40年の歳月が経つのに、沖縄の米軍基地の状況は占領時代とまったく変わらない。
 その沖縄返還時の密約をめぐる政府対メディアの葛藤を描いたTBSの大型ドラマ「運命の人」の最終回が、同じ3月18日の夜、2時間にわたって放映された。国民に隠して密約を結んだ当時の佐藤栄作首相がノーベル賞をもらい、密約を明るみに出した毎日新聞の西山記者と外務省の女性事務官が有罪になるという「メディアの敗北」ぶりと、沖縄住民の苦しみを少女暴行事件や米軍機の墜落事件まで入れて描いたものだ。
 ドラマだから事実と違うところも少なくないが、現実にあった事件を描いたドラマとしてはなかなかの力作で、俳優たちの演技も当時の雰囲気がよく出ていて見事な熱演だったといえよう。
 これは余談だが、このドラマで西山記者の親しい友人として登場する読売新聞の渡邉恒雄氏役の記者が、先に政治家からカネを受け取った場面があって、当のナベツネ氏が怒った話は先月のメディア時評に書いた。ところが、そのナベツネ氏役の記者が最終回では沖縄住民の苦しみにいたく心を痛める論説委員長として登場するのだ。その場面を見て、失礼ながら思わず笑ってしまった。
 というのは、いま沖縄の普天間基地の辺野古への県内移設を、終始一貫、最も強く主張しているのが読売新聞の社説だからだ。

内田樹氏が沖縄基地報道に痛烈な批判

 ところで、沖縄の米軍基地問題については、朝日新聞の紙面審議会委員の内田樹氏が3月13日の「わたしの紙面批評」欄で、朝日だけでなく全メディアの報道に対する痛烈な批判を書いている。
 要約すると、米中関係も米ロ関係も良好で、朝鮮半島は政情不安だといっても韓国内の米軍基地は大幅に縮小している。西太平洋における米軍の軍略にこれほど大きな変化が生じているのに、日本政府は「沖縄の軍事基地の重要性は変わらない」と主張し続け、メディアもそれに追随しているのは思考停止ではないか、というのである。
  沖縄の住民は、米軍基地の縮小・撤退を希望し、普天間基地の県内移設にはこぞって反対しているのだから、私も内田氏の言う通りだと思うし、よくぞ言ってくれたと思う。
 この批判は、直接的には朝日新聞の紙面に向けられたものだろうが、これに対する朝日新聞の答えというか釈明や反省はどこにも載っていないのだ。批判を載せましたというだけでは、言い訳にもならない。きちんとした答えが必要だろう。
 なお、先に内田氏の批判を全メディアに対して、といったが、沖縄の新聞や地方紙のなかには思考停止をしていないところもあるので、「本土の主要メディア」に対する痛烈な批判と言い直しておく。

朝日と読売のドロ仕合は、論評のしようがない

 このほか今月のニュースの中では、朝日新聞が3月15日の朝刊一面トップで大々的に報じた「巨人軍の一部選手の契約金が球界の申し合わせの最高標準額を超えていた」という特ダネ記事が目立った。
 これに対して読売新聞は、「最高標準額は上限ではなく、目安であってルールに反してはいない」と真っ向から反論、朝日新聞の記事が出る前に反論書を各メディアに配るとともに、自らの紙面にも大きく報じて、いわば特ダネとそれを否定する反論が同日付で別々の新聞に載るという前代未聞の騒ぎとなった。
 1997年~2004年度というかなり前の話なのに、朝日の記事が一面トップから社会面見開きという何ともオーバーな扱いなのに対して、読売の反撃もいささかムキになっているかのような異常さで、その後も連日のように記事が出て、ドロ仕合の様相を呈してきた。
 読売新聞社が15日付で抗議書を送って謝罪を要求したかと思えば、朝日新聞社は19日付で「謝罪の求めには応じかねる」と回答書を送り、それに対して読売新聞社が「誠意のない回答は極めて遺憾」とさらに24日付で質問書を送るといったやり取りがあって、それらがすべて紙面にも出るのだ。
 記事には、その後、国税局がどうのこうのといった話まで出てきて、騒ぎはいっこうに収まりそうもない。
 この報道合戦というかドロ仕合というか、これらの報道をどう評価したらいいのだろうか。ある朝日新聞のOBは15日の紙面を見て「スポーツ紙が間違って配達されたのかと思った」と皮肉っていたし、読売新聞のOBは「朝日への反論にあの長嶋茂雄氏まで引っ張り出さなくてもいいのに」と語っていたが、いずれにせよOBたちはこの騒ぎにいささか戸惑い気味である。
 私もこの事件に限っては論評を差し控えるが、ただ、一般論としては、メディア同士が激しくやりあうことは悪いことではない。業界内の不祥事に「お互いさまだ」と目をつぶるようなことがあっては、かえって不信感を広げるだけなのだ。
 メディア同士の叩き合いは大いにやってもらって結構だが、一つ注文したいことは、新聞を一紙しかとっていない人が多いのだから、一紙しか読んでない人にも「何が起こったのか」分かるような記事にしてほしいということである。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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