その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
5月は、3日の憲法記念日につづいて15日に沖縄返還記念日があった。憲法は65年、沖縄は返還から40周年の記念すべき日だ。
沖縄の本土復帰から40年も経つというのに、在日米軍基地の74%が集中するという沖縄の現状は、占領時代そのままだといっても過言ではない。そこへさらに新たな基地を県内につくろうなんて、もともと無茶な話なのに、それを理由に普天間基地の返還は日米の合意から16年間もたなざらしのままなのだ。
こうした状況に対する沖縄県民の「怒り」や「怨念」は、当初は米軍や日本政府に向けられていたのが、いまや本土の国民全体に向けられようとしている。いや、もっとズバリといえば、沖縄に理解のない本土メディアに向かい始めたと感じているのは、私だけだろうか。
そして、本土メディアもやっとそのことに気づいて、今年の沖縄返還記念日前後の報道には、沖縄県民の本土の国民に対する意識の変化ついて報じたものが少なくなかった。たとえば、琉球新報と毎日新聞の合同世論調査で、米軍基地が沖縄に集中する現状を「不公平」と思う人が沖縄では7割に達したのに対して全国では3割にとどまると、県民と本土との意識の差を浮き彫りにしたのもその一つ。
それがさらに、沖縄タイムスと朝日新聞の合同世論調査では、「不公平」より一歩進んで、米軍基地が減らないのは「本土による差別だ」と感じる人が沖縄県民では5割にのぼり、全国では3割にも満たないと報じられた。
野田首相も出席して沖縄で開かれた記念式典の報道でも、「県外移設を」と訴えた仲井真知事のあいさつや、「両国政府はなぜ県民の切実な声を尊重しないのか」と叫んだ上原康助・元沖縄開発庁長官の言葉が大きく報じられ、さらには「沖縄の状況はとても祝う気にならない」と式典に抗議の欠席をした大田昌秀・元知事のインタビュー記事をわざわざ報じたメディアまであった。
記念式典を報じた朝日新聞の社会面の見出しは「沖縄 悔し涙の40年」というものだったのである。
沖縄県民にここまで本土不信を広げてしまった最大の原因は、日米両国政府にあることはいうまでもないが、メディアの責任も極めて大きい。本土のメディアが沖縄に冷ややかなのはなぜなのか。沖縄に冷たいというより「米国一辺倒だ」といったほうがいいのかもしれないが、ここまで来るには長い歴史と紆余曲折があった。
沖縄差別の歴史と、密約暴露に始まる「メディアの敗北」
いうまでもなく沖縄は、太平洋戦争で一般市民をも巻き込んだ地上戦の戦場になったところだ。空襲による被害も悲惨ではあるが、地上戦の悲劇はその比ではない。そのまま米軍に占領され、敗戦。そしてサンフランシスコ講和条約で本土と切り離され、米国統治が四半世紀もつづく。
その間の沖縄県民の本土復帰運動には、「あの平和憲法のもとに帰りたい」という本土への熱い思いがあった。そして72年5月15日、本土復帰は実現したが、その実態は県民の願いとはほど遠いものだった。
「核抜き、本土並み」は看板だけで、米軍基地はほとんどそのままだ。核兵器もいざというときは持ち込みを認めるなど数々の密約が結ばれ、その極秘電報の一つを入手した毎日新聞の西山記者が新聞で報じないで、野党議員に渡して暴露する方法をとったため、「メディアの敗北」に終わったことは、まだ記憶に新しい。
そして一昨年、政権交代があって鳩山首相が普天間基地の移設先を「最低でも県外」といったときには県民の期待が一気に高まったが、それが空振りに終わって、県民の不信感は、いっそう強まったのである。
鳩山首相が県外と言ったとき、米国べったりの外務省や防衛省がまったく動かなかったことにはそれほど驚かなかったが、本土のメディアがそろって「米国の言う通りにしないと日米同盟は危うくなる」といった論陣を張ったのには、私もびっくり仰天した。
日本政府、なかでも外務省がなぜ米国べったりなのかについては、私はひとつの仮説を持っている。それは、占領時代、外交の仕事を取り上げられ、占領軍との「連絡事務局」の仕事に専念させられたときのDNAが、人が代わってもいまだに継承されているというものだ。
しかし、日本のメディアの米国一辺倒の原因は何なのであろうか。ベトナム戦争にそろって反対したのだから、そんなDNAはあるはずないし、理由はまったく思い当たらない。
真正面から米国と交渉すれば、沖縄の基地は縮小できるはず
考えてみれば、冷戦も終わり、米軍の世界戦略も大きく変わったはずなのに、沖縄の基地だけはまったく変わらないのは、どうしてなのか。フィリッピンは、国内にあった米軍基地に出て行ってもらったのに、米国との間に波風が立つわけではなく、つい最近も中国をにらんだ合同軍事演習を仲良くやっているし、北朝鮮と向き合う韓国でも米軍基地を縮小させているのである。
日本政府が真正面から米国と交渉し、日本のメディアがこぞってそれを応援すれば、米国政府が沖縄基地の縮小に応じてくれないはずはない、と私は確信している。
現に米国内には、沖縄の基地を縮小してもいいのではないかという意見が政界や学界に広く出はじめており、本土のメディアは頼りにならないと、沖縄のメディアが独自に特派員を米国に派遣して、そういう意見を次々と報じているようだ。
そんな大きな流れからいえば、今年の沖縄返還記念日の報道で、沖縄県民の本土に対する差別への怒りや怨念を本土のメディアまで大きく報じはじめたという変化は、明るいニュースだといえるのかもしれない。
すべてのメディアに登場とまではいえないが、本土への不信感から「将来の夢は沖縄の独立だ」という若者たちの話まで本土のメディアに載るようになったのだから、「本土のために沖縄は我慢せよ」といった論調が再び広がることはもうないと思う。
沖縄報道に関して、もう一つ付け加えたい。テレビ朝日が本土復帰40年特別企画として5月20日に放送した「検証!沖縄の『枯れ葉剤』疑惑」という番組である。ベトナム戦争で空から撒き散らされ、いまだに奇形児などが産まれているあの枯れ葉剤で、沖縄も汚染されていたという事実を元米兵たちの証言で掘り起こしたスクープだ。
沖縄県民にとってはつらい事実だが、こういうスクープを掘り起こしてこそ、本土のメディアへの信頼回復につながるのだ、とあらためて思ったことである。
NHK経営委員長が東電の社外取締役を兼務するなんて!
今月のニュースで、メディアの問題として見逃せないのは、NHKの経営委員長だった数土文夫氏が東京電力の社外取締役に兼務のまま就任しようとした問題である。「何ら問題ではない」といっていた数土氏が、内外から激しい批判を浴びて、最後は自らNHK経営委員長を辞めたからよかったものの、そもそもこんな人事を考えた人も、それを平然と受けた本人も、メディアの役割を何も知らなかったのかと驚いた。
東京電力は、福島原発事故を起こした会社であり、メディアにとって現在、最大の取材対象であるだけでなく、補償や賠償問題だけでなく、これから刑事責任を問われる存在なのである。NHKの経営委員長をやりながら、そのような会社の取締役に平気でなろうとするなんて、そんな人がこれまでNHKの経営のトップにいたとは、あらためて驚くほかない。
数土氏によれば、この人事にはNHKの会長も事前に了解していたと言い、NHK会長は「とんでもない。あとで聞いた話だ」と言っているので、どちらが本当か分からないが、 いずれにせよ不可解な話ではある。
このニュースをNHKがどう報じたかは残念ながら見逃してしまったが、新聞でも最初は何のコメントもつけずに報じたメディアが少なくなかった。もちろん、批判の声が噴き出してからは、それを報じたところが多かったが、分からなかったのは社説で「不可解なNHK経営委員長の辞任」と論じた読売新聞の姿勢である。
読売新聞は、そのまま兼務していていいという主張なのかどうか。私はむしろ「不可解な読売新聞の見解」とでも言いたいような気がした。