柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata48

皆既日食を追いかけている私が、オーストラリアのケアンズで11月14日の早朝にあった日食を見に行って帰国したら、日本を留守にしていたのはたった5日間だったのに、日本国内のメディア状況ががらりと変わっていたことには驚いた。


 大急ぎで留守中の新聞に目を通していたら、「今月のメディア時評のテーマはこれだな」と思ったことが二つあった。一つは言うまでもなく、解散、総選挙への突然のなだれ込みとそれをめぐる報道の問題であり、もう一つは先月にも触れた「週刊朝日」問題に対する朝日新聞の謝罪報道に関わるものだ。


 まず、解散・総選挙報道は、「近いうち」という言葉が今年の流行語大賞になってもおかしくないほどメディアにあふれたが、「近いうち」がなかなか近づかず、なんとなく年明けになりそうな空気だっただけに、野田首相の電撃的な決定は、「早く、早く」とせっついていた自民党まで驚かせたようである。


 党首討論に出ていた自民党の安倍総裁まで唖然としたような様子だったのだから、メディアまで慌てふためいたようにみえたのも無理はない。もっと驚いたのは、総選挙を目指して「雨後のたけのこ」のように生まれていた新政党の人たちだろう。

 たとえば、東京都知事をやめた石原慎太郎氏が「太陽の党」を立ち上げたかと思ったら、すぐに橋下徹・大阪市長の率いる「日本維新の会」と合流して、太陽が消えてしまう(日食か?)とか、それぞれ思惑を秘めて右往左往している状況だ。


 メディアもそういう状況を追いかけるのに精一杯で、目から鱗がおちるような的確な状況分析や論評があまり見られないように感じるのは私だけだろうか。とくに、日本の政界の「右傾化」について、海外のメディアがいろいろと警鐘を鳴らしているのに、日本のメディアの感度は鈍いように思えてならない。


 とにかく、14もの政党がひしめき合っているのだから、メディアも追いかけるだけでも大変だろうと同情はするのだが、それだけにメディアが全体状況を掴んで的確な論評を加えてくれることに対する読者・視聴者の期待も大きいのだといえよう。

 こんなとき一つの指標として役立つのが世論調査である。ところが、各社が競って世論調査を繰り返している結果が、驚くほど違っているのだ。その違いについて、11月21日の朝日新聞をはじめ各紙が報じているが、それによると、たとえば太陽の党と合わせた日本維新の会の支持率(衆院選の投票先)が、産経新聞が22%、毎日新聞が17%、読売新聞が13%、朝日新聞が7%と、3倍も違っているのである。

 違う原因を、政党名を挙げて訊いたかどうかなど、質問の仕方の違いにあると解説されていたが、果たしてそうか。それもあるだろうが、調査主体の各紙の論調の違いが反映している部分も少なくないような気がする。


 一般に日本の新聞は支持政党を明確にせず、とくに選挙が近づくといっそう政治的中立に気をつけるようになるのだが、今回はどうも様子が違うようだ。なかでも、読売新聞が自民党支持に踏み切ったのではないかと思われるような紙面づくりをしている。


 たとえば、国会が解散する当日の11月16日の朝刊を見て、仰天した。読売新聞社主催の講演会の講師に招いた安倍総裁の講演内容を1面から2面、特集面と大展開しているのだ。1面の見出しは「デフレ克服『政策総動員』、TPP前向き、原発は再稼働」とあり、2面にも「安倍氏『無制限に金融緩和』、デフレ克服に意欲」と同じような見出しが並び、さらに特集面には「安倍総裁 講演要旨」として「経済」「安全保障」「エネルギー」「TPP」といったカットつきで1ページをまるまるつぶして報じているのである。


 読売新聞はいつから自民党の機関紙になったのか、と思うような展開なのだ。それだけではない。そのあと、自民党の政権公約が発表されると、あいまいなTPPを除いて全面的に支持する社説が出たり、自民党以外の政党に多い「脱原発」に対して「大衆迎合を排せ」という大型社説を掲げたりしているのである。


 日本の新聞も米国の新聞のように支持政党を明確にする時代に入っていくのであろうか。それならそれで、すべての新聞が支持政党別に色分けできるような政界の再編成が必要になってこよう。


 今回の選挙で最も心配なことは、憲法を破棄して核武装のシミュレーションをやれと主張する石原慎太郎氏が日本維新の会の代表になったり、自民党の安倍総裁が憲法を改正して国防軍を持とうと主張したりしていることだけではない。憲法改正には国民投票という「歯止め」があるのでまだしも、「現行の憲法のまま集団的自衛権の行使を認めよう」と主張している人が安倍氏をはじめ大勢いることは心配でならない。

 戦後60年余にわたって日本政府が堅持してきた「集団的自衛権の行使は認めない」という方針が、いとも簡単に崩されようとしていることに対して、真っ向から批判するメディアが少ないとはどうしたことだろう。「脱原発」の勢力再結集の動きが報じられているが、「集団的自衛権の行使は認めない」勢力の結集も必要なのではあるまいか。


 とにかく今回の総選挙は、日本がこれからも平和を維持できるかどうか、重大な岐路となる選挙となろう。

社内のチェック機能が働かなかった「週刊朝日」問題

 もう一つの「週刊朝日」の橋下・大阪市長をめぐる差別報道問題は、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」が「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」とする見解をまとめ、その見解の要旨と、責任を取って朝日新聞出版の社長が辞任したことを11月13日の紙面で大きく報じて、一応の決着を見た。


 見解によると、「ハシシタ 奴の本性」という見出しからして問題であり、記事の内容にも出自と人格を関連付ける不適切な表現がいろいろとあって、社内からも疑問の声が出ていたのに、結局「時間切れ」でチェック機能が働かなかったというのである。


 部落差別の問題に最も厳しく対処してきた朝日新聞で、なぜこんなことが起こってしまったのか、不思議でならない。また、「報道と人権委」の見解はすべてもっともな指摘だが、朝日新聞自身が調べてそのような見解がなぜ出せなかったのかも理解しにくい。第三者機関に依頼するのは、一般に人権侵害を訴える人と朝日新聞社の見解が対立しているようなケースであろう。


 今回の場合、せっかく第三者機関に依頼したのだから、「報道と人権委」はもう一歩踏み込んで、当事者の朝日新聞社からは絶対に出てこない問題点を指摘したらよかったのに、と思わないでもない。それは、この問題の背後に朝日新聞社内の出版差別があり、朝日新聞社が出版局を切り捨てて別会社にしたことが根源にあるということである。


 もちろん、差別記事が出たことと出版局の別会社化とは何の関係もない、といえばその通りだが、社内に差別構造を抱えていたことが、差別記事へのチェック機能を鈍化させた根源だったとみれば、関係がないともいえない。


 「週刊朝日」が差別記事への抗議を受けたあとでの対応も鈍く、最初は正当化するようなコメントを出したり、朝日新聞社が「週刊朝日は別会社だから…」と責任を回避するような姿勢を一瞬みせたりしたことは、まさにそれだろう。

新聞と出版を車の両輪としてきた朝日新聞だったのに

 朝日新聞社は133年前の創刊当時から、新聞と出版を車の両輪のように育ててきた歴史がある。そのため、日本の出版社の5指に入るほどの力があった時期もあったのだ。


 私が入社して5年目、1963年の網走日食を取材したとき、こんな実体験がある。日の出直後の皆既日食の写真撮影に、直前に駆けつけた新聞の写真部員が全員失敗し、3日前から準備していた出版の写真部員から見事な写真をもらって事なきを得たこと。また、取材に来た週刊朝日の記者が「日食の太陽を見ているのが新聞記者、太陽を背に、日食を見ている人のほうを見ているのが雑誌記者だ」と役割分担の話をしてくれたこと。


 そんな「持ちつ持たれつ」の関係だった新聞と出版が、出版事業の景気が悪くなったこの四半世紀前ごろから社内の出版差別が始まり、新雑誌「AERA」を週刊の新聞だと強弁して出版局から切り離したり、新女性誌の編集長を他社から招聘したりして、あげくの果てに出版局を別会社にしてしまったのである。


 読売新聞社が出版事業の弱体を気にして、中央公論社を傘下に入れて強力に育てているのと比べ、朝日は逆のことをやっているわけである。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

最新10title : 柴田鉄治のメディア時評

Featuring Top 10/71 of 柴田鉄治のメディア時評

マガ9のコンテンツ

カテゴリー