東京都と大阪市で、原発稼働の是非を問う「住民投票」を実施しよう、という動きが始まっています。運動の母体となっているのは、原発の是非を問う国民投票の実施を呼びかけてきた市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」。なぜ今「住民投票」なのか? そしてなぜ東京と大阪という大都市で? 同グループの事務局長を務めるジャーナリスト・今井一さんにお話を伺いました。
今井一(いまい・はじめ)
ジャーナリスト。ソ連、東欧の民主化に伴い実施された「国家独立」や「新憲法制定」に関する国民投票を現場で見届ける。その後も、日本各地の住民投票や、スイス、フランスなどで実施された国民投票の現地取材を重ねる。著書に『住民投票』(岩波新書)、『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)、『「原発」国民投票』(集英社新書)、『「9条」変えるか変えないか──憲法改正・国民投票のルールブック』 (現代人文社/編著)など多数。「みんなで決めよう『原発』国民投票」事務局長。
●「誰が責任者なのか」を明確にする
─── 今井さんが事務局長を務める市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」ではこれまで、日本が今後「原発をどうするのか」について、国民投票で決めようという呼びかけを進めてこられました。今回、東京と大阪での住民投票を実施しようという呼びかけを新たに始められたのはなぜですか?
原発の問題は、電力の消費地である大都市の住民にとって、まさに「自分たちの問題」だからです。例えば福島第一原発の問題は、福島の人たちだけではなく首都圏の問題でもあり、東京の問題でもある。そのことをわかってもらう機会にしたいと考えています。
今、日本の有権者の99%以上は原発の立地地域ではなく消費地の住民です。つまり、立地地域に住む人が占める割合は1%にも満たない。にもかかわらず、これまでは、住民投票で決着をつけた巻町(新潟県)や海山町(三重県)、刈羽村(新潟県)以外はすべて、国と、その立地地域の首長や議員の意思だけで原発設置やプルサーマル導入の是非が決められてきた。それが果たして正しいのか? ということです。
例えば、刈羽村で原発事故が起これば新潟市も大きな被害を受けるし、福井の原発で事故があったら、琵琶湖の水が飲めなくなって大阪や京都や滋賀も影響を受ける。であれば、都市の住民にも「そういう危険なものはつくってほしくない」と表明する権利があるはずです。
もちろんそれは同時に、責任があるということでもあります。今、東京の人は福島第一原発の事故について、東電や原発立地先に「迷惑をかけられた」と思ってはいても、「福島の人々に原発を押しつけて迷惑をかけてしまった」と思っている人はほとんどいないでしょう。しかし本来は、自分たち電力の大量消費者が原発の存在を黙認してきて事故が起きた以上、「私は知りませんよ」とは言えないはずなんです。
今こそ、この原発の問題について、誰が責任者なのかを明らかにする必要がある。そして、この社会において「責任を取る人」というのは決定権者です。今、都市の人間は原発に関する決定権を握っていないから、事故が起こっても「自分には責任がない」と思っているわけですよね。そうではなく、投票を通じて、自分たちが決定権者であるということ、つまりは責任者であるということを明確にしないといけない。そのことが、今回の事故ではっきりしたと思うのです。「原発」をどうするのかというとても重要な課題の選択を、いつ辞めるかわからない首相やたった一人の知事、市長に委ねるわけにはいきません。
─── 都市に住む私たちも、決定権者=責任者であるという自覚を持つべきだと。
そうです。そして、そこには三つの根拠があると私たちは考えています。
一つは、我々が電気のユーザーだということ。ユーザーには商品について口出しする権利がある。しかも、例えば自動車ならトヨタを買おうが日産を買おうが自由ですが、電気は東京の住民の大半は基本的に東電の電力しか使えません。そうであれば、いろいろ口を出すのは当然ですよね。
次に、資本主義社会の原理という点からいっても、大株主が株式会社に対して口出しするのは当たり前のことです。東京都は東電株の約2.7%、大阪市は関西電力株の約8.9%を所有する、それぞれ5位、1位の大株主。それなのに、これだけの事故が起きて、関電でも福井の原発が危ないと言われているにもかかわらず、都も市も何ら口出ししていないというのはおかしい。それぞれの首長は、自分ひとりの個人的な意見ではなく、住民の総意をちゃんと主張しなくてはならないはずです。
そして最後に、我々が主権者であるということ。国政でも地方自治体でも、重要なことの決定権は主権者が持つというのが原則。例えば、憲法は9条であれ1条であれ、たとえ国会議員の大半が改憲したいと考え決議したって、国民投票で主権者の承認を得なければ一字一句変えられません。そして、原発は憲法9条に匹敵する重要な問題だと思います。であれば、これは住民投票や国民投票で決めるのが筋じゃないでしょうか。
そもそも、冒頭で触れたように国民投票の有権者の99%以上は原発立地でなく消費地の住民。なのに、これまで行われてきた原発に関する住民投票は———実際には投票にまで至らなかったものの、やろうという運動が起こったところも含めて———すべて原発の立地先におけるものばかりでした。そうではなく、電力消費地、それも一番の大消費地である東京都と大阪市で投票をやることで、私たちが決定権者であり責任者であるということを、わかりやすい形で示したいと思ったのです。
●都市の住民が、原発稼働について真剣に考える機会を
─── それが東京都や大阪市での住民投票によって、東京電力、関西電力の各社管内に存在する原発の稼働についてどうするか、主権者の意思を明らかにする、ということですね。ところで、住民が決定権者として「責任を取る」とは、具体的にはどういうことですか?
まず、都議会と市議会に対して、都民投票、市民投票にかけるための直接請求(厳密には都民投票条例あるいは市民投票条例の制定を求める直接請求(*)を行うことになるのですが、今回私たち市民グループが作成している条例案では、結果が賛成多数であれ反対多数であれ、東京都議会と都知事、もしくは大阪市長と市議会は、投票結果を尊重し、東京(関西)電力、国及び関係機関と協議して、都(市)民の意思が反映されるよう努めなければならない、と定めています。
*直接請求…地方自治体の有権者が、首長に対し直接条例の制定・改廃、議会の解散や議員・首長の解職(リコール)などを請求することができる制度。
例えば、大阪市で原発推進派が勝ったとしたら、大阪市長は関西電力に「大阪市としては原発OKということになりました」と言わなくてはならないわけです。そして、そのときに福井県の人が「それなら大阪市内につくれ」と言うのなら、そうするしかないでしょう。自分たちが原発を認めるというなら、自分たちが住むところにつくるということ。原発稼働は賛成だが立地は福井という今のような状況はもう認められないし、仮にそれを続けるなら、事故が起きたときの最高責任者は大阪市民ということになる。自分たちが決めて、動かしているんだから、事故が起きた時の補償のために市民税が10倍になっても文句を言わないで払わなくてはならないということです。
─── 一方で、原発立地地域においては、主に雇用などの経済的な面から「原発がなくなると困る」との主張も少なくありませんよね。そうして都市の住民が「原発の是非」を判断することは、原発立地地域の人々の意思を無視することにつながるのでは? との指摘もあります。
もちろん、脱原発に向かう結果が出て、いずれ原発がなくなる方向に行ったとしても、原発立地地域の人たちが経済的に成り立っていけるようにする必要はあるでしょう。ただ、その責任を都市住民が負うというものでははないと思います。もちろん我々も応援はしなくてはならないけれど、最終的には原発立地地域の人たち自身が、原発交付金に依存しない地域経済のあり方を、他の大多数の自治体同様、真剣に追求してもらうしかないでしょう。
「原発を否定したら雇用が奪われる」という論理に乗ってしまうのは、これまで50年間、政府や電力会社が言い続けてきたことを肯定することです。原発以外の雇用機会を、地元の人たちが努力して、あるいは国が保障してつくり出す。企業を誘致する、代替エネルギーの会社をつくる、そうしたどこの自治体でも重ねている努力をせずに「雇用イコール原発」と言う、そして代替案を出さないと「脱原発」を言ってはならないというのは、論理のすり替えだと私は思います。
それよりもまず、原発由来の電気を無自覚に消費してきた都会の人間が原発について真剣に考える機会をつくることが、重要だと思います。先日、日本初の原発住民投票を実施した自治体である新潟県の巻町へ行ってきたのですが、当時の町長だった笹口孝明さんも自らの経験から、今度の都民投票実施の直接請求運動は「大都市の人たちが原発について真剣に考える機会として、極めて有効だ」と喜んでいました。
もちろん、原発については最終的には国民投票で決着をつけるべきだというのが私の考えです。ただ、住民投票は国民投票と違ってすでに実施を求める直接請求制度があるし、わかりやすい。だから私たちは、国民投票の運動も続けながら、都民投票と大阪市民投票を実現させて、より「自分たち自身で決める」ことに親近感を持ってもらおうと考えたわけです。
●議会で否決されても、そこには大きな意味がある
─── 具体的な流れとしては、住民投票実施のための条例制定を求める署名集めを、この12月1日から始めるとのことですね。
現在の地方自治法では、条例の制定や改廃を首長に直接請求するためには、直接有権者の50分の1以上の署名を集める必要があります。東京都では約21万4200人、大阪市では約4万2600人。それを集めた上で、年末までには条例案を提出して直接請求をしたいと考えています。
─── ただ、署名が集まって条例案を提出したとしても、それが議会で否決される場合もあるんですよね。
ありますね。条例の制定や改廃を求める直接請求の場合は、リコールの場合と違って、いくら多くの署名が集まっても議会で否決されてしまう可能性もある。事実、これまでにも過半数近い署名を集めながら、否決されたケースがいくつもあります。本来は、署名の数のハードルを引き上げてもいいから、決められた数以上の署名とともに請求されれば、議会に否決権はなく、必ず住民投票を実施しなくてはならないという定めにすべきだと思うし、そうした「実施必至型住民投票条例」を地方自治法とは別に設けている自治体も各地にあるのですが、東京都や大阪市にはありません。
ただ、私はもし議会で否決されても、それはそれで意味があると思っています。
─── というと?
議会が住民投票条例案を否決する、つまり東電や関電の管内にある原発について、その稼働の是非を住民が決めることを否定するのであれば、では「誰が決めるのか」を明らかにしないといけなくなります。
主権者である住民ではダメだというなら、誰なのか。野田首相なのか、東京都知事や大阪市長なのか。この国の未来永劫にわたって大きな影響を与えるような、将来に影響するような事柄を、彼らに決めさせていいのか。そうした議論が必ず起こるでしょう。そのことだけでも、住民投票を呼びかけ、直接請求をやることには大きな意味があるのではないでしょうか。
決定権者は法手続き的には内閣総理大臣であっても、実質的には主権者が決定権をもつべきだと私は考えています。そして、そのことについては多くの人がそれを望んでいると確信しています。
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※直接請求に向けた署名集めは、12月1日から開始されます。
詳しい活動の予定などは『みんなで決めよう「原発」国民投票』のサイトでチェック。
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福島第一原発の事故から7カ月以上。
いまだ「収束」には程遠い状況が続いているにもかかわらず、
一部では原発の問題への関心は、早くも薄らぎつつあるとも言われます。
その理由の一つは、原発から離れた場所に住む人たちが、
それを「自分たち自身の問題」として捉えきれていないことにもあるのでは?
自分たちが、決定もその責任も負うべき「主権者」であるということ。
私たちはそのことに、もっと自覚的になるべきなのかもしれません。
今井さんに原発国民投票について解説いただいた、こちらのインタビューもあわせてお読みください。