6月12日、13日とイタリアで全廃した原発再開の是非を問う国民投票が3.11以降世界で初めて行われ、投票率は54.79%で、脱原発賛成94.05% 反対5.95%という結果になりました。福島原発事故を受け、日本でも「原発国民投票」に対する関心が高まっています。日本で「原発国民投票」を行うことは可能なのか? その場合どのような手続きが必要なのか? など「国民投票」に詳しいジャーナリストの今井一さんにお話を聞きました。
今井一(いまい・はじめ)
ジャーナリスト。ソ連、東欧の民主化に伴い実施された「国家独立」や「新憲法制定」に関する国民投票を現場で見届ける。その後も、日本各地の住民投票や、スイス、フランスなどで実施された国民投票の現地取材を重ねる。
著書に『住民投票』(岩波新書)、『「憲法九条」国民投票』(集英社新書)、『「原発」国民投票』(集英社新書/8月刊行)、「9条」変えるか変えないか──憲法改正・国民投票のルールブック』(現代人文社/編著)など多数。
「みんなで決めよう『原発』国民投票」 呼びかけ人の一人。
●日本でも「国民投票」は実施できる
───まずイタリアで行われた原発国民投票について、これまでヨーロッパ各地で行われてきた様々な国民投票を取材してきた今井一さんですが、この経緯と結果について、率直にどのように感じましたでしょうか?
画期的な国民投票で、ベルルスコーニをはじめ誰も文句をつけられない主権者の明瞭な意思が示されました。イタリア市民はこの国民投票で人類史に記すべき1ページを刻みました。
───こうしたニュースを受けて、「日本の今後の原発政策についても、政府に任せるのではなく国民投票で決めるべきだ」という声が聞かれますが、現実問題として今の日本で、原発国民投票は実施可能なのでしょうか?
憲法改正の是非を主権者に問う国民投票法は、2010年5月18日に施行されました(2007年5月公布)が、これは憲法改正のための手続き法であって、安保や原発といった一般的な案件に関する国民投票を想定してはいません。この憲法改正についての国民投票のように、投票結果に法的拘束力がある国民投票をやるのであれば、憲法の改正が必要です。
なぜなら、憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と明記されているからです。イタリアやスイスのように法的拘束力のある国民投票にするためには、まず憲法を改正して、国会だけではなく国民投票でも法律の制定、改正、廃止ができると明記しなくてはならないわけです。
そうなると、国民投票の実現までにはかなりの時間がかかってしまうでしょう。しかし、スウェーデンのように投票結果に法的拘束力を持たせない「諮問型」の国民投票であれば、そのためのルール(国民投票法)を作ればすぐにでも実施が可能です。
───それはどういうものですか?
スウェーデンの例で説明しましょう。スウェーデンでは、1979年のスリーマイル島の原発事故の翌年、議会と政府の呼びかけで、原子力政策に関する国民投票が行われました。このときは、あらかじめ各政党間で「投票結果を最大限尊重する」という申し合わせがされて、結果に法的拘束力はないけれど、「主権者の意思」として優先的に施策に反映させる、ということになっていました。
日本で国民投票をやるとしたら、このやり方を倣うのがいいでしょう。国会と政府が国民投票の結果を尊重する、あるいは参考にする、という取り決めを事前にしておくという形です。
───でも法的拘束力がないと、その後政局が変わったりすればうやむやにされてしまうのでは? その時の政権に都合のいいように扱われてしまうのでは、と心配な気もするのですが…。
もし実現すれば日本で最初の国民投票になるのに、その結果を政治家たちが簡単に反故にできるはずがない。いくらなんでも国民は怒るでしょう。そんなことをしたら、その政治家は当選できないどころか、立候補もできなくなるんじゃないでしょうか。
実は、これまで日本では400件以上の住民投票が行われていますが、この場合もその結果に首長や議会が「従わなくてはならない」と住民投票条例に定めていたものは一つもありません。「尊重して行う」と記してあるのです。でも、結果を反故にされたのは、私が知っている限りでは2件だけです。
一つは宮崎県小林市の産廃処理施設建設問題。投票では反対派が多数を占めましたが、建設を中止させるには民間企業に莫大な賠償金を支払わなくてはならないということで、中止にはならなかった。これは、建設を進めていたのが行政ではなく私企業だからということで、仕方なかったという部分があります。そしてもう一つは沖縄県名護市の、米軍ヘリポート基地建設をめぐる住民投票。これも反対多数の結果が出たものの、市長が突然辞任して、「国の安全保障にかかわることだから」と、強引に建設の方向へ押し切られることになった。でも、これにしても、住民投票をやったからこそいまだに基地は完成していないという言い方もできるわけです。
だから、法的拘束力はなくても、反故にされる可能性は非常に少ないし、相当な効果はあるということです。
●原発問題に「自分の町には関係ない」は通用しない
───なるほど。しかし一方で、「国民投票で原発の是非を決める」ことに対して、懸念を示す人も少なくないようです。例えば、住民投票ならその土地の人が自分の住む場所のことについて決められるわけですが、国民投票となると原発がある地方に住んでいる人も、そこでつくられる電気に頼って暮らす都会の人も同じ1票。原発のある土地の人がいくら反対しても勝てなくて、都会の人たちが負担を地方に「押し付ける」構造が継続するだけじゃないか、といった意見もあります。
私は、そこは1人1票でいいと思います。『通販生活』に日米安保を国民投票にかけ「賛成」が多かった都道府県順に基地を引き受けるべしという記事を書いたんですが、日米安保条約についての世論調査で「賛成」が7割を占めるのは、基地はうちの町には来ないという安心感があるから。でも原発の場合は基地とは大きく違う、ということが今回の事故ではっきりしましたよね。実際に今、福島で起きた原発事故により首都圏がこれだけ影響を受けているわけですから。
つまり、自分の町に原発はなくてもひとたび原発事故が起これば、遠く離れて暮らしている自分のところにも影響が及ぶということ。みんなそれも考えた上で決断することになるでしょう。むしろ、原発のある地域の人が、原発がなくなったら交付金がなくなるから、と原発を残すほうに票を入れる可能性もあるし、地方が反対しても大都市は賛成、なんていう単純なことには、決してならないと思います。
加えて言うと、名護市のヘリ基地をめぐる住民投票のときも、「お金は西海岸に落ちる、ヘリコプターは東海岸に落ちる」なんていうことがよく言われていました。基地の建設予定地になっている名護市東部の辺野古は、人口は名護市全体のわずか約2%。ほとんどの人は、住宅地や商業施設が集中する西側に住んでいるからです。こんな状況で住民投票をやっても、さらに「押し付け」の構図が強まるだけじゃないか、と。
ところが、住民投票の際、投票区ごとの結果を見てみたら、辺野古などの東側のほうが「基地建設に賛成」が多かった。多数の人が基地を受け入れなければお金が来ない、と考えたんですね。一方で、西側に住む人たちのほうが、「自分たちは交付金を使い、ヘリコプターは辺野古に落ちる、そんなことには耐えられない」という判断をしたわけです。
───たしかに原発は北海道から九州まで、沖縄を除く全ての地域にありますからね。そして放射性物質は風や雨にのって、何百キロも遠くまで広く拡散される。日本に暮らす人にとっては、誰もが「他人ごと」ではないはずです。
しかしそれとは別にこういう意見もよく聞きます。主に「脱原発」派からの心配ですが、これだけ「原発がなかったら電気が足りなくなる」といった「刷り込み」がされている以上、国民投票をやっても「脱原発」派は絶対に勝てない、だからやらないほうがいい、という声です。実際、これだけの事故が進行中のさなかでも、東京都知事選では「原発推進」を明言していた石原都知事が大差で当選しましたし。
石原を選んだ人々に賢明な国民投票が為せるはずがない──そういう声はよく聞きますが、では石原以上にひどいかもしれないベルルスコーニを選んだイタリア市民は愚かな国民投票をやりましたか? 選挙と国民投票は本質的に違うものなんです。
私はこれまで住民投票の現場にも度々取材に行きましたが、みなさんものすごく勉強されますし、集会を重ね、議論も積み重ねて、いろんなことを実によく考えています。いざ「原発の是非を決める国民投票をやろう」ということになれば、みんな真剣になるはずです。
原発に関する住民投票はこれまで、新潟県の刈羽村、同巻町、三重県の海山町(現紀北町)の3カ所で行われていますが、いずれも原発反対派が圧勝してますが、その前あるいは後の首長選挙や議員選挙では、原発推進派が勝っています。なぜこのようなねじれた結果になるか、と言えばそれは通常の間接民主制の選挙では、経済政策とか景気対策とか、別のところに争点が持っていかれてごまかされてしまうからです。
「脱原発」派が本当に「脱原発」を進めたいのであれば、直接投票に持ち込まないと難しいのではないでしょうか。それは過去の事例が証明しています。
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イタリアでの国民投票の様子を見て、日本でもやれないの?と思った人は多かったのでは。
次回、実際に「原発国民投票」をやるために、具体的には何が必要なのかについて伺います。