- 特別企画 -

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現在、東京・渋谷アップリンクなどで上映が続いている映画『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』。自身も広島で被爆後、60年以上にわたってヒバクシャ治療に力を注いでこられた「被曝医師」肥田舜太郎さんの姿を追ったドキュメンタリーです。
先月、その上映後トークに、福島第一原発事故の後、福島などで取材や調査を続けてきた「おしどり」のマコさんとケンさんが登場。ちょうど、取材で肥田先生にもお会いしたばかりだったというおふたり、そのときのエピソードもまじえながら、自分たちの経験や思いについてもたっぷり語ってくれました。その内容を、2回に分けてお届けします。

(その2)
被曝や避難について、
誰もが自由に語れる空気を

おしどり●マコとケンの夫婦コンビ。横山ホットブラザーズ、横山マコトの弟子。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。2003年結成、芸歴は2005年から。 ケンは大阪生まれ、パントマイムや針金やテルミンをあやつる。パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場をまわる。マコと出会い、ぞっこんになり、芸人に。マコは神戸生まれ、鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんどん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。 2011年の福島第一原発事故以降、東電や政府の記者会見に通いつめ、福島などでの取材活動も続けている。「マガジン9」でコラム「脱ってみる?」連載中。

◆なぜ肥田先生は「立ち上がれた」のか


マコ
 で、やっと肥田先生のお話になります(笑)。私が肥田先生にお会いする前、肥田先生に一番聞きたかったのが、「どうして肥田先生は立ち上がれたんですか」ということだったんです。

 被曝による健康被害の問題で何人ものお医者さんといろいろ話をしていると、医療界って本当に自由にものを言えないんだなと思うんですね。厚生労働省とか医師会からの圧力があれば、とたんに廃業ともなりかねないので、発言しようとしてくださるお医者さんは、本当に廃業覚悟なんですよ。医師免許を剥奪されたとしても、それでも殺人の共犯になりたくないから発言する、という方々。もちろん、何かおかしいとは思っているけど、表立っては言えないんだというお医者さんも多いです。

 それに、もともと医学の教科書に、低線量被曝についてとか、これだけ被曝をするとこういう症状が出ますなんてことは全然載ってないわけです。だから、「被曝によるこんな危険性があるんじゃないか」と聞かれても、「いや、そんなの聞いたことないから大丈夫でしょ」と答えるお医者さんも多くて。今、被曝の問題で立ち上がろうとしてくださっているお医者さんはみんな、自分たち医者は放射線に関して無知なんだという出発点に立って患者さんの話を聞いたり勉強したりしようとされている。でも、そうじゃないお医者さんが本当に多いと聞くので、肥田先生のときはどうだったんだろう、と思ったんです。

 それで、肥田先生にそのお話をしたらまず、「僕たちのときは、原爆が落ちたときに、それが『原爆』だということも知らなかった」とおっしゃったんですね。


ケン
 知らされてなかったんだよね。


マコ
 そう。「原爆」だとは知らされず、「特殊爆弾」って呼ばれてたそうです。もちろん、放射線のことも知らなかったし、被曝っていう言葉もなかった。4日後にやっと「あの特殊爆弾は原子爆弾というものらしい」という情報が呉の海軍から入ってくるんですけど、そう言われても原子爆弾がなんだかわからない。

 これも肥田先生がおっしゃってたんですけど、超音波エコーが発明されるまで、昔は妊婦さんのおなかをレントゲンで診てたそうなんですね。後で調べてみたら、昭和40年代まではそれが当たり前だった。しかも、結核患者が多かった名残で、妊娠したら胸部レントゲンを撮るのも必須だったんですね。肥田先生は「それくらい医者のわかっていないことがあるんだ」とおっしゃっていて。今ある知見が必ずしも将来的にも正解とは限らない、というスタンスでものを考えたり診察したりしていただかないと怖いな、と改めて思いました。

 で、そんな「わからない」状況の中で、それまで見たこともないような症状でたくさんの人が亡くなっていく。肥田先生は、そのとき5つの症状を初めて見たとおっしゃるんですね。

 まず、原因不明の40度の熱が出る。それから、鼻血と耳からの血に加えて、目頭から血が出てくる。知り合いの眼科の先生に聞いても「そんな症状見たことない」と言われる。

 そして三つ目が紫斑。体の片側が焼け爛れた、やけどで口もきけないお医者さんが、焼け残った内側の皮膚を「見ろ」というように指し示す。見てみたら、そこに一面紫の斑点が出てるんだそうです。肥田先生もそのとき、白血病の末期に紫斑が出るのは知っていたけれど、でもなんでやけどした患者の皮膚に紫斑が出るのか、全然わからなかったとおっしゃってました。

 あと、口の中が腐っていく。むしろの上に横向きに寝ている患者さんの扁桃腺を診ようと思って覗き込んだら、ものすごい臭いんだそうです。これも、なんで生きているのに口の中が腐るなんてことがあるのか、本当にわからなかったそう。

 それから、髪の毛。死ぬ間際の人が頭に手をやると、ごそっと髪の毛が抜けるんですって。


ケン
 抜けるというか、取れるというニュアンスの言い方をされてたね。


マコ
 そうね。「滑る」ともおっしゃってたかな。頭をさーっと撫でると手に髪の毛がいっぱいつく、という感じ。声も出ないような状態だった女の人が、自分の髪の毛を手に巻きつけて「私の髪が!!」って大声で叫んでたこともあったそうです。

 この5つの症状の末に、最後は体の穴という穴から血が出て亡くなっていく。その原因不明の症状がみんな共通していて、しかも直接原爆を受けていない、1週間後とか2週間後に広島に入ったという人も同じように死んでいく。本当にわけがわからなかったとおっしゃってました。結局、「原子爆弾による被爆の影響でああいう症状が出たんだ」とわかったのは、終戦から30年後だったそうです。それまでは何がなんだかわからないまま診続けていた、と。

◆「僕は被爆者に支えられた、被爆者が頼りだった」


マコ
 さらに、診察すること自体、かなり勇気がいることだったみたいで。終戦直後は、特殊爆弾はアメリカの軍事機密だから、診察してもカルテは書くな、症状について外に漏らすな、取材にも答えるなと言われたんですって。実際、詳細にカルテを書いたお医者さんは憲兵に尋問されたり、引っ張っていかれたりしたって。肥田先生のところにも、「消されるからやめろ」みたいな忠告がいっぱい来たそうです。消されるって、ゴルゴ!? みたいな感じですよね(笑)。

 なんでそんな命の危険を感じながらも診察を続けられたんですか、とお聞きしたら、一つは戦争に負けたからという理由で、ひどい患者さんがたくさんいるのにまともに診察もできず、カルテも書けないことが、海軍の軍医だったということもあって本当に悔しかったから、と。それから、これだけ目の前で原因不明で亡くなる人が出続けると、医者としてじゃなく人間として恐ろしくなってきて、それで「診るしかない」という覚悟が人間としてできたんだ、とも言っておられました。

 あと、終戦から何年か経つと、肥田先生のところに全国から被爆者の方が来られるようになっていた。広島から別の土地に引っ越してからいろんな被爆の症状が出てきた人たちが、肥田先生を頼って来られたんですよね。肥田先生は「もっと大きい病院でいろんな検査をしたほうがいいんじゃないか」とも言ったそうなんですが、患者さんは「ほかの病院にも行ったけれどわからない、もう先生のところに行くしかないと思って」と言うんだそうです。

 それで、自分が今診察をやめたらこの人たちはどうなるんだろうとも思ったし、もし自分が引っ張っていかれたり消されたりしたら、それだけ全国から集まる患者さんたちが黙ってはいないだろうという気持ちもあったと。肥田先生は「僕は被爆者に支えられた」「被爆者が頼りでした」っておっしゃってて、本当にすごいことだなと思いました。


ケン
 あの台詞はすごい驚いたよね。海外からも来られたんだよね。


マコ
 そう。ビキニの水爆実験のとき、第五福竜丸の方々も被爆したけど、それよりもっと近い海域にアメリカ海軍の軍艦が停泊してたんですって。そこの甲板に寝てた兵隊さんとかが、体に灰が降り積もって真っ白になるくらいだったそうで。

 で、その中の1人だったスミザーマンさんという方はその後、腰から下がむくんでパンパンに腫れ上がってしまうんですね。アメリカの病院では腎臓病だと言われて治療されるんだけど全然よくならなくて、結局足を切断することになる。その後、左手がまたパンパンに腫れ上がって、また腎臓病だと言われるんだけど、いろいろ調べたスミザーマンさんは「これは被爆じゃないか」と考えて、肥田先生のところに来られるんです。アメリカの病院では被爆患者を診たことがない医者が多くてダメだから、と。

 肥田先生はひと目スミザーマンさんを見て「あ、これはベータ線被爆によるリンパ浮腫だ」と分かったとおっしゃってました。それで、「これはビキニ実験のときの被爆による症状だ、私は広島の被爆患者をいっぱい診たけれどそれと同じ症状だ」という内容の診断書を書いた。

 それでスミザーマンさんはアメリカに帰られたんですが、その数年後、肥田先生がラジオを聴いていたら、偶然「ビキニでの被爆で健康障害を起こしたと裁判を起こしていたスミザーマンという元海兵に、レーガン大統領が軍人に対しての特別措置という形で慰謝料を払った」というニュースが流れてきた。しかも、その判断の根拠となったのは日本の医師の診断書だった、と。すぐにラジオ局に問い合わせて、やっぱり肥田先生の診断書だったことがわかったんですって。ただ、そのときはスミザーマンさんはもう亡くなっていて、残された奥さんがお金を受け取ったそうなんですけど。

 そんなふうに、肥田先生を頼りにされてる患者さんが本当に多かったんだよね。

「患者の側に立ってくれる」医者は、決して多くはない


ケン
 そう考えると、本当に何もかもお医者さんにかかってるよね。


マコ
 そう、お医者さん次第。私たち、去年から福島の飯舘村の人たちとすごい仲良くなって、いろいろ連絡を取り合って一緒に動いたりしてるんですね。飯舘村というのは福島第一原発の30キロ圏外なんですけど、びっくりするくらい汚染されていて、昨年3月15日の公式データでは44マイクロシーベルト/h。それなのに当初は避難指示が出ず、「健康に影響はないから大丈夫ですよ」とずっと言われていた。それが4月になって「やっぱり避難してください」ということで計画的避難区域になったという場所なんです。

 そこの住民の人たちと知り合って、いろいろ一緒にやっていこうということになったときに、水俣病の裁判にずっとかかわってこられた方たちにアドバイスをもらう機会があったんですね。それでお話を聞いていたら、水俣と福島というのが、すごく似ている。人の命より経済が優先される状況や、あと裁判の判決文も見せてもらったんですけど、「(水俣病の原因になった)水銀はもともと自然環境中に存在しており…」とか書いてあって「これ、どっかで聞いたな」みたいな文章で(笑)。

 そのときに言われたのが、「いかに患者さんの側に立つお医者さんを確保できるかが勝負だ」ということ。患者さんの側に立って診察をしてくれたり証言をしてくれたりする医者を何人捕まえられるかだ、というんですね。

 でも、そのとき私たちは「えっ、だってお医者さんは患者の側に立たなかったらどこに立つの?」みたいに思ってたんですよね。去年の5月くらいですけど、実際に原発事故は起こったんだし、放射性物質が体に悪いのは明らかなんだから、お医者さんに診察や証言をしてもらうのなんて簡単だろう、水俣のような酷いことにはならないだろうと思ってたんです。


ケン
 甘かったね。


マコ
 そう、甘かったんですよ。患者さんの側に立ってくださるお医者さんは、案外いないということが分かってきた。

 もともと、大学病院とかで働いてて、出世したいようなお医者さんはもちろんものは言えないだろう、文科省とか厚労省とかにいろいろ従わないといけないんだろう、とは考えてました。でもそうじゃない、地域の開業医の方は大丈夫だろうと思ってたんですね。でも実は開業医も、例えば社会保険の診療報酬を請求する先の機関なんかも医師会や厚労省の天下り先だったりするし、「つぶそう」と思えばいろんな形で圧力をかけることができちゃうんですって。

 前に、こんなこともありました。今、福島県から各地へ自主避難されている方たちがそれぞれの地域で集まって、みんなで病院を借りて子どもたちに甲状腺エコーを受けさせようという動きがあるんですね。福島県にいれば、通知が来て甲状腺エコーは受けられるんですけど、遠い場所にいるとなかなか受けに帰るわけにいきませんから。

 それで、ある地域で、検査をやってくれる病院も見つかり、必要なお金も募金で集まり、受けに来たいという親子もいるから、じゃあやりましょうか、となった段階で、突然病院から「場所も機械も貸すから、検査をする医師は自分たちで連れてきてくれ」という連絡が来たんですって。もちろん、最初はその病院のお医者さんが検査もやってくれると言っていたのに、「交通費はうちで出すから外から連れてきてください」と。多分、一度話を受けたから場所や機械は貸すけど、自分のところのお医者さんに「傷」をつけたくないという玉虫色の判断なのかなあ、と。それで今、検査をしてくださる外部のお医者さんを探している状態なんですけど。

 そういうのを見ていると、お医者さんはほんとに、なんというか自由じゃないなあ、と思います。

◆自由に話せて、考えられる空気をつくろう


ケン
 どういう人が自由に動くんだろう。心意気なのかなあ。


マコ
 だから、なんで肥田先生はそれができたのかをすごく聞きたかったんですよ。その答えとして返ってきたのが、すさまじい状況を見続けた末の、人間としての覚悟。そして「被爆者が守ってくれた、被爆者が支えてくれた」という言葉は、私たちにとってのすごい道しるべだなと思ったんですよね。

 これから私たちも、患者さんの側に立ってくださるお医者さんを、こっちも命がけで支えないと、と思うんですよ。ただ「やってください」じゃなくて、私たちが矢面に立ちますから、くらいの勢いでやらないとダメだなと。自由にものが言えないというのは私たちもそうなんだけど、お医者さんはそれ以上にきついんだと思うので。


ケン
 だって、お医者さんの仕事ができなくなるかもしれないんでしょ。ずっと長く診てる患者さんがおられたりすることもあるだろうし。


マコ
 それはあるね。チェルノブイリ事故の後に何度も現地にも入られていた、すごく頼りになるお医者さんがいらっしゃるんですけど、その方からも、「僕が今潰されると、患者さんに迷惑がかかるから表立っての発言はできません、すいません」と言われたことがあります。

 今、去年に比べて「脱原発」はメディアでもよく取り上げられるようになったし、「除染」もよく出てくる。でも、その一方で「被曝」と「避難」の話はなかなか出てこないんですよ。私たちも先月、ある新聞社から「脱原発を発信する芸人」みたいなテーマで取材依頼を受けたんですね。でも私たち「脱原発」を発信してるわけじゃないし、「脱被曝を発信する芸人」でどうですか、と聞いたら、一度は「わかりました」と言われたのに、取材の前日に記者さんから電話がかかってきて、「念のため上司に相談したら、脱原発ならいいけど脱被曝はダメだ、扱えないといわれました…」と。「あと、避難についての話もダメだといわれました。うちの社がこうだとは知らなかった」と、その方も呆然とされてましたけど。


ケン
 びっくりしてたよね。


マコ
 あと、ある政党の秘書さんからは、「一年生議員に対して、除染はいいけど避難と被曝は扱うなというお達しが、暗黙の了解みたいな形で出てる」という話も聞きました。除染は官僚にとっても政治家にとっても「うまみ」がある、お金になる。でも、被曝や避難はお金にならないし、あとで補償をめぐる裁判になったときにも長引く上にメリットがない、だからあまり触れるな、と。

 まあ、政治家さんはお金か票かで動くんだよなとなんとなく思ってたけど、新聞社とかもそうなのかと思って、ちょっとショックだったよね。


ケン
 「誰のために」仕事をするのかっていうところが抜け落ちてるのかもね。


マコ
 それはすべての職業がそうじゃない? お医者さんが患者さんのために動くのか、自分や家族のために動くのか、みたいな。でも、「おかしいと思ってるでしょ、じゃあ職を失ってでも動いてください」っていうのは、誰にも要求できないでしょう。それはその人の判断だからしょうがないよね、と思う。

 ただ、とにかく被曝のこととか避難のこととかも、お医者さんやいろんな人たちが自由に発言して、話し合ったり考えたりできるような空気はつくっていかなきゃ、と思います。そういうふうに世論とか社会を変えていく、自由に話せる空気をつくっていくことは誰にでもできると思うので。それが今、私が全力でやりたいことですね。

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映画『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』

渋谷アップリンクにて公開中、他全国順次公開。

http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/

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