国内初の原子力発電所がこの地で営業運転を始めたのは、1966年のことだった。そして、それは98年に国内で初めて廃炉となり、解体作業が続いている。茨城県東海村が文字通りの「原子力村」を自認するゆえんである。
村内には今も、日本原子力発電(日本原電)の東海第二原発(78年運転開始)が立地する。3・11で自動停止し、そのまま定期検査に入っているが、敢然と廃炉を求めているのが当の東海村の村上達也村長だ。福島県を除けば、原発が立地する市町村の中で、これほどきっぱりと廃炉を要求している首長は他に見当たらない。
なぜ村長は廃炉を要求するに至り、将来の村をどう導こうとしているのか。そのためには何が必要で、どんな支援を求めているのか。そこに脱原発を具体化していくためのカギがあるのではないかと考え、茨城県まで講演を聞きに出かけてきた。
村上村長は、東日本大震災で東海第二原発は「危機一髪だった」と振り返る。津波があと70センチ高かったら、震源地があと100キロ南だったら、福島第一のような全電源喪失に陥っていた可能性が強いそうだ。実際、東海第二の非常用ディーゼル発電機は、3台のうち1台が動かなかった。「被害が福島第一原発だけだったのは、ある面で偶然です」
村長に初当選して間もない1999年9月に、村内の核燃料加工施設・JCOで起きた臨界事故の記憶が蘇ったという。作業員2人が死亡し、周辺住民を含め700人近くが被曝した惨事だ。
当時、原因は「国策と安全神話と想定外」と言われた。今回の原発事故と変わらない。臨界事故の後に原子力安全・保安院が設置されたが、規制の体制は貧弱なまま。技術だけでなく、人や組織、法制度、文化といった社会的な制御体制が必要だったはずなのに、国や電力業界に反省はなく、さらなる安全神話づくりに努力しただけだった。その結果が福島の事故だった――。村長はそう指摘した。
「この国に原発を所有する資格も能力もない」と不信感を強くしたのは、「ただちに影響はない」といった発言に象徴されるように、国に住民を守る視点が見られなかったからだ。昨年6月の海江田万里経産相(当時)の「安全宣言」でいよいよ確信し、脱原発を公言するようになった。以来、原発相や経産相に対して、はっきりと廃炉を求めてきた。
村の責任者として、何より気がかりなのは村民の安全だ。
東海第二原発で事故が起きれば、人口3万8000人の東海村は間違いなく全村避難を余儀なくされ、村民は散り散りバラバラになる。原発から10キロ圏内に20万人以上、30キロ圏内には水戸市を含めて100万人が住んでおり、一斉避難は現実的に不可能だ。東京からも100キロ余しか離れていないから、被害は甚大になるだろう。損害賠償や除染、原発の解体費用に兆単位の費用がかかるのは目に見えているが、事業者はもちろん、国にその能力があるとは考えられない。
なのに国や電力業界は、まだ原発にしがみつこうとしている。ちょうど講演の前日、日本原電は再稼働を前提に、東海第二原発のストレステスト1次評価結果を原子力安全・保安院に提出した。地震は想定の1.73倍、津波は高さ15メートルまで耐えられ、「安全に十分余裕がある」とする内容だ。村上村長は「不快」と一言。「国の方向性も決まらない中で、県内の自治体や議会で相次ぐ廃炉要求を無視して再稼働しようとするのは横柄で、県民の信頼を完全に失った」と語気を強めた。
さて、原発をなくして村はどうするのか。
東海村の一般会計の歳入(165億円)のうち、東海第二原発に限った税収や交付金は年間15億円にのぼる。村民のうち500人近くが原発で働き、全世帯の3分の1が何らかの形で原子力とつながりを持つ。たとえば、原発の定期検査の時には1000人ほどが村外からやって来て、宿泊施設や飲食店などを潤わせるそうだ。
廃炉が決まったとしても、使用済み燃料棒2000体の管理は続くだろうし、放射性廃棄物の処理の仕事はある。いつまでも原発関連の危険な仕事に依存しなければいけないのかという疑念は残るが、関連の税収や雇用がただちにゼロになるわけではないのは確かだ。
もちろん村長は、村の将来ビジョンを描いている。「原子力センター(仮称)」構想である。日本の原子力発祥の地であり、原子力の研究機関が立地し、臨界事故や廃炉も経験した村の地域特性を生かして、最先端の科学技術研究の拠点化をめざす。
村長自身、原子力すべてを否定しているわけではなく、医療などの非エネルギー分野への放射線利用を充実・支援して、新しい産業を生み出すのが狙いだ。さらに、原発事故の収束に関する試験や、放射性物質で汚染された環境修復にあたる科学者・技術者の派遣、苛酷事故対策、廃炉や放射性廃棄物処分の研究データ蓄積も想定。安全神話や原子力ムラを生んだ社会的背景の探求にもアプローチするという(朝日新聞・7月5日付茨城版)。
村上村長は「すぐに経済価値=金を追い求めるのではなく、原子力の文化的、社会的価値をじっくり育てるまちづくりに取り組みたい」と意欲を見せていた。
で、こうした構想を実現していくためにも、村長は国による地域支援策が必要だと訴える。
具体的に挙げるのが、炭鉱閉山時につくられた「旧産炭地振興臨時措置法」のような法制度である。原発の廃炉によって大きな影響を受ける立地自治体を対象に、従来の原発交付金に代わる時限的な激変緩和策を設けようというわけだ。地元はこれをもとに、将来の自治体財政、雇用、地域振興策について知恵を絞っていく。
「地域エゴ」と言うなかれ。これまで国策の名の下に危険な原発との共存を強いられてきた人たちが新たな生活へ踏み出すために、経済や雇用の保障は不可欠だからだ。逆に、危険な原発を押しつけて、自分たちは安全に電気の恩恵を享受してきた都会の住民にとって、脱原発を実現するために負わざるを得ないコストと言える。
これまでも何度か書いてきたが、原発をなくすには立地する地元が「原発反対」の意思を明確に示すのが一番の早道だ。大飯原発の再稼働をめぐる動きを見ても、もし福井県やおおい町が反対していれば再稼働は実現しなかっただろう。東海第二原発の場合も、茨城県知事は今のところ「東海村、県の専門委員会、県議会の了承がそろわなければ再稼働を認めない」と言っている。
村上村長によると、村民には「原発に頼っても先はない。福島の事故を見て決断しないと」と話しているが、大きな批判は受けていないという。
一方で、村長に対抗する勢力もまだ健在だ。村議会は20人の議員のうち、地域経済への影響を懸念する原発容認派が半数を占め、3月議会に出された廃炉にかかわる請願は継続審査になっている。仮に村議会が原発の再稼働を了承すれば、それが「村の意思」と認定されてしまうかもしれない。村長は「最終的には住民投票で」と話していたが、その道のりも険しい。
だからこそ都会の住民が中心になって、村長や地元住民を支える政策を早く整えるよう、国に強く働きかけなければならない。結局、それが脱原発の早道だからだ。
「原発いらない」「再稼働ハンタイ」と叫ぶことを否定はしない。そうした運動が世論を高めたのは間違いない。ただ、そろそろ村上村長が提唱するような原発の地元の意を汲んで、より実効的・具体的な法制度をつくることに取り組むべきだ。そのために尽力することこそが、原発を押しつけ続けてきた都会の責任ではないか。講演を聞いて、改めてそう考えた。
連載100回目は、これまでにも何度も取り上げてきた、
原発立地の問題についてでした。
「原発がなくなったら、地元はやっていけない」。
その声にどう応えるかを考えることなしに「脱原発」はあり得ない。
これまで、危険と分断を原発立地に押しつけ、
そのことに見て見ぬふりをしてきた責任と、
向き合うべき時が来ているのではないでしょうか。