東京電力の女性社員が1997年に東京・渋谷で殺害された事件の再審請求をめぐり、新たな展開が起きていることは昨年9月の本コラムで紹介した。無期懲役が確定して服役しているゴビンダさんは、冤罪だった可能性が濃厚になっている、という内容だ。
被害者の女性の特異な行動が印象に残っていることや、原発事故の原因企業名が冠に付いていることもあり、この事件には今も社会的な関心が高いようだ。先日、「無実のゴビンダさんを支える会」が開いた集会で最近の動きを聞いてきたので報告する。
詳しい経緯については前回のコラムをお読みいただきたいが、簡単に振り返っておこう。ゴビンダさんとは、この事件の犯人とされて横浜刑務所に収監中のネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(45)のことである。
事件は、97年3月に渋谷区のアパートの空室で、東電女性社員(当時39)の絞殺体が発見されて発覚した。隣のビルに住んでいたゴビンダさんは不法残留容疑で逮捕され、この部屋のカギを預かっていたこと、以前にこの女性を買春していたことなどから、事件発生の約2カ月後に本件の強盗殺人容疑で再逮捕された。
直接的な物証はないうえ、ゴビンダさんは一貫して犯行を否認した。1審の東京地裁は「状況証拠にはいずれも反対解釈の余地があり、ゴビンダさんを犯人とするには合理的な疑いが残る」と無罪を言い渡す。しかし、2審の東京高裁は、同じ証拠を正反対に評価する形で無期懲役の逆転判決。最高裁が上告を棄却して刑が確定したのは2003年だった。
再審を求める過程で、審理する東京高裁が現場で採取された遺留物のDNA鑑定を実施すると決めた。対象は、精液や陰毛など42点。検察が専門家に依頼し、昨年7月に結果が出た。
そこで、今まで明らかになっていなかった新事実が浮き彫りになる。被害者の女性の体内に残っていた精液から、ゴビンダさん(B型)とは別人であるO型の男性のDNA型が検出された。同時に、被害者のそばのカーペットに落ちていた陰毛のうちの1本から検出されたDNA型が、精液のそれと完全に一致した。
つまり、これまで浮上していなかった男性(仮に「ミスターX」とする)が、事件発生に極めて近い時間に、この部屋で被害者の女性と性的関係をもっていた、との推定が成り立つことになる。
無期懲役とした2審判決は「被害者が、この部屋が空室で施錠されていないと知って売春客を連れ込み、あるいは、ゴビンダさん以外の男性が被害者をこの部屋に連れ込むことは、およそ考えがたい事態である」と断定し、有罪の大きな決め手にしている。しかし、少なくともその裁判で採用された証拠と比べれば、ゴビンダさんよりもミスターXの方が事件にかかわっている可能性が高く、ゴビンダさんを有罪とした論拠が崩れることを意味する。弁護団は、この鑑定結果を新証拠として高裁に提出した。
前回のコラムでは、ここまで触れた。で、その後の動きである。
ミスターXの存在が明らかになった段階で再審開始の決定が出されるべきなのだが、検察は必死の防戦に走る。精液と陰毛のDNA型の一致に対して、意見書で「被害者の女性が、現場のアパート室内ではない場所でミスターXと性交渉し、その際に被害者の衣服などに付着した陰毛が室内で落ちたとも考えられる」と反論した。鑑定結果は「再審開始の要件を満たさない」との主張である。
確かに、検察が言うような可能性はゼロではないだろう。だが、可能性論で比べるのであれば、常識的に考えて、被害者がミスターXと現場の部屋で性的関係をもった可能性の方が、より高いのではないだろうか。
検察はさらに、新たに別の42点の証拠の存在を明らかにして、全点をDNA鑑定するよう申し出た。東京高裁は全点の鑑定は認めず、このうち被害者の胸などに付いていた唾液、首の付着物、被害者の下着やコートなど、15点だけを追加で鑑定することになった。しかし、いずれからもゴビンダさんのDNA型は出ず、逆に、唾液やコートの血痕のDNA型がミスターXに由来するとみられることが分かった。
それでも後に引けない検察は、残る27点についてもDNA鑑定をするよう求めたが、東京高裁は認めない。それではと、検察は捜査権を行使する形で、自ら鑑定を強行してしまった。27点は、被害者の指や手の付着物、衣服など。鑑定書は4月23日までに提出されることになっているという。
27点の鑑定をめぐっては「ゴビンダさんの可能性が否定できないDNA型が女性の手の付着物から検出された」との報道がされている。しかし、前回の15点の鑑定の時にも「被害者の下着の付着物のDNA型がゴビンダさんのものである可能性が否定できない」なんて記事が朝日新聞に載ったけれど、最終的には「判定不能」だった。検察の情報操作~マスコミの垂れ流し報道である。そのため弁護団は、27点の最終的な鑑定書を待って、内容を見極める構えだそうだ。
今回のDNA鑑定の流れの中で、新たに分かった事実はほかにもある。
検察の証拠開示によって、すでに事件発生直後、被害者の胸や口に付着した唾液が、ゴビンダさんとは異なるO型のものだと判明していたことが明らかになった。その時期は、ゴビンダさんが女性殺害容疑で再逮捕される前である。要するに、捜査側はゴビンダさん以外の人物が事件にかかわっている可能性が高いことを知りながら、ゴビンダさんを逮捕し、その事実を隠し続けていたことになる。遅くとも公判で公表されていれば、ゴビンダさんは有罪にならなかったのではないか。なんとも釈然としない。
いずれにしても前述した通り、最初のDNA鑑定の結果によって、無期懲役とした2審判決の根底が揺らいでいるのは確かである。判決は、被害者がゴビンダさん以外の人物と事件現場の部屋に入ることは「およそ考えがたい事態」とまで言い切っていたのに、ミスターXが出現したことで、それが決して考えがたい事態ではないと示されたからだ。
仮にゴビンダさんの疑いがゼロにならないとしても、ミスターXの疑いの方が強いのは明白だろう。ゴビンダさんの再審を始め、無罪を言い渡すべきだと思う。
ただ、今の再審請求審の進み具合だと、再審を開始するかどうかの決定は早くても夏ごろになるらしい。集会では「法律ムラの論理にとらわれず、一刻も早い再審開始を求めたい」という声が出ていた。検察は無駄な抵抗をやめ、裁判所も決定を急いでほしい。
先週の当コラムで「死刑廃止」を取り上げたところ、転載された「ブロゴス」のサイト上で多大な反響をいただいた。死刑の是非をめぐる議論で必ず挙がるテーマの一つが、冤罪の可能性である。誤判の防止は、死刑に限らず刑事裁判全体の課題であるだけに、日本の刑事司法や捜査の現状を改めて認識するうえで、この事件から見えてくることは多い。
冤罪の問題は、当コラムでも何度も取り上げていますが、
素人目線で見ても、検察の面子を守るために、
さまざまなことが歪められているのでは? と思わざるを得ないことがしばしば。
少なくとも、ここまで有罪への疑念が膨らんでいる以上、
一刻も早い再審決定が認められるべきでしょう。