雨宮処凛がゆく!

 長らくお待たせ致しました!!

 「被曝労働〜事故後の福島第一原発で働くということ」の第1回がアップされたのが7月10日。

 すぐに2回目以降を書くつもりだったのだが、そこから始まった怒濤の参院選に気がつけば思い切り巻き込まれており、選挙が終わったら終わったで、今度はジェットコースターのように次から次へとさまざまな展開があり、気がつけば、もう10月。季節までもが変わっていたという次第である。

 ということで、第1回の原稿では、ごぼうさんが原発で働くまでの経緯を書いた。ずさんな安全教育。そして半年以上経ってやっと渡された雇用契約書。

 今回は、そんなごぼうさんの「原発労働」はどんなものだったのかを追っていこう。

 働き始めた当初、仕事は三交代だったという。日勤、中、夜勤があり、日勤だと、朝6時前にはバスが宿に迎えにくる。そこから1時間以上かけての「通勤」となるのだが、最初の頃は高速道路が無料だったので、高速が混んでいた。しかし、途中から無料の対象となるのは被災者だけになったので、今度は一般道が混むことに。そうして向かうのはJヴィレッジ。事故以来、収束作業の拠点となっている施設だ。もともとは宿泊もできるサッカー場。サッカーコートが何面もあって、綺麗なホテルのようで大浴場もあるという。警戒区域の検問をくぐり、いざ、中へ。

 Jヴィレッジでやることは、まずは装備。

 「働き始めた当初は、全面マスク着用のフル装備でした。綿の手袋の上にゴム手袋して、靴の上にはビニール製の靴カバー。空間線量が高くて車の中も汚染してるってことで、その装備をするわけです」

 警戒区域に入る車は限られており、「イチエフ往復」用の車は決まっている。中には、高級な観光バスもあったという。「誰でも乗っていい」とはなっていたが、その高級バスが東電社員専用バスであることは誰もが知っていた。

 「乗ったら大変なことになる」とごぼうさん。ちなみに、Jヴィレッジの大浴場も「誰でも使っていい」ことになってはいたが、実質東電社員しか使えない。やはり「使ったら大変なことになる」そうだ。

 さて、そんな警戒区域内の通勤車だが、気になるのはやはり被曝の問題である。

 「イチエフ行く途中の一部は線量がすごく高い」と言われていた。被曝を防ぐため、窓は閉めるように言われていたものの、現実は違うこともあったようだ。

 「夏とか、装備してる上に日差しあたって暑いんで窓開けたり、暑くなくても窓開けて煙草吸ったりしてる人とかいたみたいです。あと、(当時の野田首相による)『収束宣言』がされたり、警戒区域を小さくして人を戻すってことが進んでいくことを見越して、『一般人に不安を与えないように』って理由からだと思うんですが、装備の簡素化が進められていきました。全面マスクから普通のマスクになって、服も、形だけの防護服。もしかしたら今は普通の作業着でタイベックの防護服は着てないかもしれませんね」

 そんなごぼうさんの仕事内容はというと、「放射線管理」。

 イチエフ敷地内の免震重要棟に隣接したプレハブで、それぞれの現場に行く人を送り出し、戻ってきた人を迎えるのだ。長靴や防護服やヘルメットを出したり回収したり。

 「バスから降りたらみんなプレハブに入って、それぞれ1号機とかに行くわけです。仕事の内容は、水の処理とかいろんなことです。一言で言うと、工事現場みたいなものですね。土地をならしてたりとか、瓦礫処理してたり。原発の仕事ってよりは、爆発の処理の仕事って思ってもらうといいと思います。災害現場とか。いろんなものが飛んできてメチャクチャになってるんで。あと、作業をするために新しい建物を建てたり、どんどん水(汚染水)が溜まってるからそのタンクを埋めたりとか。本当に、いろんな人がいろんな仕事をしています。それでみんな免震棟で線量計を借りて、僕のいたプレハブからそれぞれの現場に向かうわけです。それで作業が終わったら、プレハブで脱がす。たとえば水処理の仕事をしてた人たちは汚染されてるので、カッパとかを自分たちが切って脱がせる。最終的に下着の状態になったら、サーベイでチェックする」

 特に汚染がひどいのは、夜中に瓦礫処理をする人々だという。

 「人いなくなってから帰ってくる人間は、すごい浴びてますね。夜はすごい線量です」

 プレハプは三つに分かれていて、一番汚染度の高い場所とその次、そして一番低い場所という作りになっている。しかし、その区切りも時に曖昧になっていた。

 「全面マスクか半面マスクじゃないといけない場所でも普通のマスクで入っちゃう人がいたりしました。そこは内部被曝もほこりもひどいんですが、最終的には、俺は人いない時とか、マスク外してやってました。暑くて、酸欠になってくる。その上、声も聞こえない。人に教えなくちゃいけない時、マスク外して喋っちゃったり。本当は駄目なんですけど、酸欠で倒れるよりはマシかなって。内部被曝しちゃいけないことはわかってるんですが、先のことより今日、楽に過ごせることを優先させてしまうんですよね」 

 そんな現場の放射線量はというと、「1時間いたら30〜40マイクロ浴びる」。

 近くにはプレハブの休憩室があり、そこで食事をとるのだが、そこの線量も十数マイクロシーベルト。

 「事故前の原発だったら、座ってもいけないし飲食なんて絶対禁止。だけどそういう場所で飲食してます。昔から働いてた人たちは、信じられないって言ってましたね」

 ちなみに東電社員や大手ゼネコンの人たちにはお弁当が出ていたらしいが、ごぼうさんたち下請け労働者はコンビニで買ったパンやカップラーメンを食べていたという。

 また、敷地内には、局所的にものすごく放射線量が高い場所がいくつもあったという。

 「ここに近づくなって、カラーコーンが置いてあったりするんです。なんでですかって聞いたら、もうメーター振り切ってるって。いろいろと吹っ飛んできたのか、そういう場所がたくさんある。それが普通に歩いてるすぐ近くだったりする」

 そんな原発で働いていた人たちには、どんな人がいたのだろう。

 「10代の子もいたし、上は60代までいました。もう万遍なく。今、日本全国仕事がないじゃないですか。賃金低いし。だから原発でも日給一万って言ったら、地方の人からすると相当いい。水処理とかだったら、もっと高かったりするんで」

 働いている人同士で、「原発の怖さ」や「放射能」について話したことはあまりないという。

 「死ぬ時は死ぬんだからって感じですかね。人によって違うと思うんですが、俺も最初はすごく気を使ってた。けど、途中でもうバカらしくなっちゃった。マスクも普通のマスクだし、自分一人が気をつけたところで、みんなが気をつけないんで汚染がどんどん内部に持ち込まれる。それに下請けの立場上、元請けや東電には文句なんて言えない。自分が首になったり、会社の立場が悪くなったりして、周りにも迷惑がかかってしまうから」

 ただ、それぞれが複雑な思いを抱えていることも感じた。

 「よく『子どもに影響が出る』って言うじゃないですか。仕事中、他の会社の人と『じゃあ子ども作るなってことかよ』って話してましたね。あと、もとから立地地域の人は原発で働くっていうサイクルがあったわけで、俺たちなんなんだよみたいな、そんな思いもあるみたいです。原発事故で人生メチャクチャになったって人もいて、東電をよく思ってはいないけど、仕事がないから働いてるって人もいた。逆に原発の仕事がストレスたまんなくて楽でいいだろって人もいました。家族が心配するからって、原発で働いてることを隠してる人もいました」

 そんな原発労働の日々にある「事件」が起きたのは、ごぼうさんが働き始めてから半年と少し経った2012年8月頃。それまでは日給1万円、1日2食と宿代は会社持ちということになっていたのだが、突然宿代も食費も自腹と一方的に告げられたのだ。

 さて、ごぼうさんはどうしたのか?? (以下、次号に続く)

 

  

※コメントは承認制です。
第274回 被曝労働〜事故後の福島第一原発で働くということ。の巻
(その2)
」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    続きが気になっていた人もきっと多かっただろう、「連載内プチ連載」の再開です。それにしても、「乗ったら大変なことになる」バスに、「使ったら大変なことになる」大浴場、そして下請け労働者には用意されないお弁当。ずさんな管理体制もさることながら、この期に及んでそうした「区別」が設けられていることの理不尽さに、読みながら頭がクラクラしました。原発だけの話ではなく、日本の「労働」の中にあるさまざまな問題が、わかりやすい形で吹き出しているようにも思えます。

  2. うまれつきおうな より:

    正社員と非正規の区別をよく江戸時代の身分制に例えているのを見るが、江戸時代は侍(正社員)には食費は出ないが足軽(非正規)には出るので、現代のほうがえげつない。むしろ戦で焼け出された町衆がしかたなく命がけで日雇いの足軽をやる応仁の乱にそっくりな気がする。そんな状態でも政府は新しく通行税を庶民からとりたてて「この金でもっと足軽を雇え」と守護大名に融資していたという。なんだか法人税を下げ、東電に税金を突っ込んで消費税を上げる今の政治そのままだ。室町幕府が滅びたのは軟弱だったからではなく、グローバル、小さくて強い政府を気取り、地方を切り捨て、下の者の対立をあおって戦をさせ、強いものばかりの味方をし、銭のことばかりを考えた政治が皆の信頼を失ったからではないだろうか。

  3. 花田花美 より:

    タンクは毎日増え続けている。
    その中の汚染水の放射線量は高いときで4時間で人が死ぬほど。
    東電には作業員の健康と安全を守る責任があると思う。
    原発を推進して原発マネーの甘い汁を吸っていた人たちは、
    今、何をしているのだろうか?
    まさか、他の原発を再稼働させようとしているのだろうか?
    この悪い循環を断ち切るのは、多くの人が収束していない原発事故の現実をみつめることから
    始まると思う。貴重なインタビューだと思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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