「今日のイチロー選手」って面白いですか?
私はプロ野球のペナントレースを丹念にフォローしている方だと思う。贔屓のチームは中日ドラゴンズ。ファンになって38年になる(生まれも育ちも名古屋とは無縁なのだが)。
とはいえ、毎日、ドラゴンズの試合を見る余裕はない。だから夜のニュース番組で放映される試合のダイジェストをチェックする。自然と12球団すべての情報が入ってくる。
こちらもそれなりに活字情報を仕入れているから、ほんの数分のニュースでも、各チームの全体像や個々の選手の好不調はだいたい掴むことができる。私は今年になって、オリックス・バファローズの試合を見ていないが、岡田新監督の下で台頭したスラッガー、T-岡田選手のパワフルな打撃については、ニュースを通して、そのすごさを知った。
一方、本当はすごいはずなのに、テレビ画面からはそれがまったく伝わってこないことがある。シアトル・マリナーズのイチロー選手のケースだ。
まずはメジャーリーグから──そんなキャスターの一声から始まる「今日のイチロー選手」情報によって、私たちは、その日のイチロー選手が何打数何安打で、打率はいくつになり、今シーズンの通算安打は何本ということを知らされる。
伝えられる数字はすばらしい。今シーズンは10年連続200本安打という、しばらくは破られることのないだろう大記録に挑戦中だ。
しかし、イチロー選手の打撃データを熟知する私たちのうち、彼が現在アメリカンリーグの打率部門で何位にいるのか、メジャーリーグのどんなレベルの投手からヒットを放っているのか、に答えられる人はどれだけいるだろうか。
イチロー選手の成績にケチをつけているのではない。メジャーリーグの優れた打者のスイングや打球の速さ、投手のスピードやコントロール──そうしたものを見せてもらえないと、イチロー選手がメジャーリーグでどれだけ高いパフォーマンスを示しているのかがわからないのである。
野球はチームスポーツだ。しかし、テレビはイチロー選手が今日は何本ヒットを打ったと報じるばかりで、試合のスコアは申し訳程度に付け足すばかりである(マリナーズが低迷しているのも理由だろうが)。イチロー選手がチームの勝利にどう貢献したのかも知ることはできない。
報道する側は野球というスポーツ自体にあまり関心がないのだろう。興味の対象は、イチローが何本打ったという情報、あるいは単に日本人の活躍だけなのかもしれない。そうでなければ、「マリナーズ対エンゼルス」を、「イチローと松井の直接対決」などというおかしな言い方で表現するはずがないと思う。
イチローの打席だけをチェックしておけばいい、キャスターもその結果を伝えればいい、そんなテレビ局側の惰性も感じられる。そんな報道に接するくらいならば、英語の辞書を片手に、アメリカのスポーツ紙のウェッブサイトを読もう。想像力を膨らませながら、活字を追った方が、ずっとイチロー選手の凄さに近づけるはずだ。
メディアは「世界に挑戦し続けるイチロー」というストーリーをつくりたがっているのだろう。
先月まで行われていたサッカーワールドカップの日本対オランダ戦で、日本チームが0対1で敗れた翌日、朝日新聞は「世界との距離が縮まった」という見出しを掲げた。正確に言えば、「オランダとの距離が縮まった」というところを「世界」と書いてしまう。メディアに携わる人々の意識がいまだ「坂の上の雲」の時代にとどまっているようにさえ思える。
世界という空間の外に日本という国があるのではない。日本が世界のなかで、どのような立ち位置にいるのか。そうした視線をもちえない限り、日本代表が国際大会で勝てば狂奔し、負ければ沈黙する乱高下の激しいメディアの反応はこれからも続くだろう。
大本営発表的なイチロー報道に工夫を凝らさないのであれば、「今日のイチロー選手」は必要ない。そう思う所以である。
(芳地隆之)