9条のこと、2008年政局のこと、改憲運動のこと、そして再び憲法の基本について、伊藤先生と小林先生の対論は、いよいよ大詰めです。
伊藤真●いとう・まこと伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。『憲法の力』(集英社新書)など多数。
小林節●こばやし・せつ慶應義塾大学教授・弁護士。1949年生まれ。元ハーバード大学研究員、元北京大学招聘教授。
テレビの討論番組でも改憲派の論客としてお馴染み。共著に『憲法改正』(中央公論新社)、『憲法危篤!』(KKベストセラーズ)『憲法』(南窓社)、『対論!戦争、軍隊、この国の行方』(青木書店)など多数。
■集団的自衛権の行使を研究する有識者会議
編集部
話が少しもどりますが、集団的自衛権については歴代政権が憲法上行使できないとしてきたわけですが、2007年安倍政権下においてはこの行使に向けた「研究」を目的とする首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が設置され有識者会議が行われました。
小林
あれはひどかったですね。メンバーをみると、法律の専門家と称するのは、駒澤大学の西修さんだけ。彼は政治学博士ですからね。あとは全部、理屈は知らないけれど必要だという結論を振りかざしている外交畑の人々ですよ。あの人選自体が、先に結論ありきです。
編集部
構成員の人選もひどかったですけど、個別の事例ごとに検討するようにと出された四類型についても、批判がありました。
(1)米国などに向かう可能性のあるミサイルの迎撃。
(2)自衛艦と公海上で並走している米艦船が攻撃された場合の応戦。
(3)PKO(国連平和維持活動)などで、外国部隊が攻撃された際の救出。
(4)米軍への武器輸出などの後方支援。
小林
ふざけた事例で、テーマと全然関係ないじゃないですか。
伊藤
集団的自衛権と関係ないケースばかりですね。
編集部
構成員14人中の13人まで行使容認派だというニュースを読みましたが、最初から結論ありきの研究会というのも、とっても納得がいかないし・・・。やっぱり同盟を結んでいるアメリカの戦争に、より参加しやすくなるために憲法解釈を変えようというための会としか、見えませんでした。
小林
あれを見て、もう絶望と怒りが爆発してしまいました。安倍内閣の知性の欠如丸出しなんですよ。あんなことを首相1人に言わせていちゃだめで、補佐体制もきちんとしていない。もっとも、それも人事ですから、安倍さんの能力不足なんですけどね。死んだ人にむち打つようで申しわけないけれど。
例えば、四類型の中の(2)について。公海上で自衛艦と米艦が並走していて、米艦が撃たれたら自衛隊はささささっと逃げなきゃならない、こんなのでいいでしょうか? と言うわけですが、それだったら、まず公海上で武装した状態で並走している、それは日本有事のときに、例えば日本海でという前提があるはずなんですね。
日本有事のときに日本海で米艦と自衛艦が一緒にいたら、どっちに弾が飛んできたって、それは日本の個別自衛権で反撃できますよ。そんなので一々、どこに着弾するかな、あっちは関係ないと。そんなばかなことを想定すること自体が、無理筋なんです。
伊藤
(1)のミサイルが日本の上空を飛んでアメリカに行ったときどうするか、というのもありました。
小林
アメリカに飛んでいくのを、日本の上空で落とせるかと。だけど、日本には領域高権があります。領土、領海、領空は日本のテリトリーであり、この管理権がありますから、危険物がこの日本のテリトリーを通過するのに断りがないなら、そんなの撃ち落としていいんです。できればね。これは日本の主権の一部であるところの統治権の発動としてできる。改めて議論する話じゃない。
編集部
(3)の「PKO(国連平和維持活動)などで、外国部隊が攻撃された際の救出」については、そもそも集団的自衛権とは関係のない話ですよね?
小林
PKOか何かで、例えばオランダの部隊と同じエリアで仕事をする。向こうがドンパチやられたら、駆けつけ、警護していいかという話ですよね。それはPKOである以上、そもそも集団的「自衛」じゃないですよね。場面が違う。しかし、現行憲法上、駆けつけ警護なんか(他国の武力行使と一体化で)すべきじゃないし、できないと初めから通告しておけばいいだけの話でね。
武器使用基準についてもありましたね。
伊藤
イラクに派遣した自衛隊が、やられたときには、どうするのか? という議論についてですね。
小林
あれは、「撃たれるまで撃ち返しちゃいけない、しかもそれは組織として撃ち返しちゃいけない。個人として自衛する」という変な原則が今ある。個人で旅行しているわけじゃあるまいし。
そういう矛盾を整理するために、憲法問題を議論しなきゃいけないんだけれど、それをせずとりあえず集団的自衛権に関する政府解釈の変更でという問題設定自体が、僕は、頭がおかしいと思う。
有識者会議なんでしょう。全然、知識の有る人の集まりに見えない。その問題設定自体がね。こんなものは、笑い飛ばして終わりにするべきですよ。
編集部
安倍政権が崩壊しましたから、諮問会議も頓挫しましたが、あのまま存続していたら・・・。
小林
12月には、答申が出る予定でした。
編集部
継続されていたら、どうなっていたんでしょう? それはやっぱり恐ろしいというか・・・。
小林
全然恐ろしくない。僕はそれを、待っていましたよ。出てきたらズタズタに反論してやろうと思ってましたから。
編集部
むしろ、ああいうことがもっと出たほうがよかったという。
小林
そうですよ。何で、そんなものを恐ろしがるんだろう。
編集部
これで、集団的自衛権も行使できますよ、というふうな憲法解釈になし崩しになってしまうのが・・・。
小林
あなたたち護憲派はね、万年野党で、政治の場面でも多数決で勝ったためしがないから、勝てるという発想がないわけよ。だからまたやられちゃうと思ってしまう。
僕は、そのときの気分で投票していますから、自民党から共産党まで入れます(笑)。だから、勝ったときも負けたときもあるわけで、それは、個人主義的・自由主義的民主主義なんです。絶対、12月に問題だらけの答申が出てくると思って、またしばらく原稿書けるなと(笑)。年末年始、言いたい放題言えるなと思っていたんですよ。
編集部
では逆に残念でしたよね。
小林
そうですよ。僕なんか、手ぐすねひいて待っていたの。
伊藤
結局、答申は出さないみたいですね。
小林
新内閣のときに「でも、やる」と言って、結局「でも、やらない」になった。
■今9条を変えると、リスクの方が大きい
編集部
ところで対談の冒頭に伊藤先生が、「改悪」ではなく「改正」ならば良いとおっしゃっていましたが、これは9条ではなくて、憲法自体の話でしょうか? それとも9条についても、そうでしょうか?
伊藤
9条を変えることは、今の日本ではリスクの方が大きいと思っています。9条を変え、自衛軍を持つということを明確にしてしまうと、その自衛軍が悪用されるんじゃないかという心配もあります。私は理想主義的なところがあるから、人類の理想や志を示す「シンボルとしての9条」という意味合いも大切だと考えています。日本は紛争解決も国際貢献も非軍事でいく、軍隊に頼らないでやっていく。人類の進むべき方向を指し示す9条の意味合いを失わせてしまうのは、もったいないし、残念だなと思っています。
それから、今の9条の下でもさっきからの話のように政治家はこれを守れていないわけですね。じゃあ、その9条、憲法を変えた場合、政治家はそれで守ってくれるだろうかというと、そうした信頼が残念ながらもてないわけです。
憲法をこうしたんだから、「あなたたち、今度はしっかり守りなさいよ」ということを、果たして聞いてくれるような人たちかということです。悪用されないかという懸念が私には常にあるんです。
だからひとまず(9条は)いじらないで、じゃあ、どうするということを考えたいと思います。それからまた、仮に9条を変えるとしたならば、そのための前提って何なんだろうか? ということについても、もっと護憲派の皆さんとも議論をしていかないといけないんじゃないかと思います。
「9条を絶対変えちゃいけない、一言一句変えちゃいけない」ということで、そこで思考停止するんじゃなくて、変えるとしたらどういうふうに変えたらいいだろうか。それと、今のままでいるのとどっちがメリット、デメリットが大きいだろうかということを、冷静に、客観的に、事実と論理に基づいて検証するということをしないといけないと思うんです。 私は9条をそのままただ守っていりゃいい、動かさなけりゃいいと単純に考えているわけではありません。仮に9条をこうしたら、より良くなるということがはっきりしたら、そうしたらいいと思います。
ただ今の私には、まだ9条を変えたほうがより良くなるという確信が、自分の感覚と論理の中でなかなか持てないんです。だから、そこはまたさらに小林先生と議論しながら、もし変えてこうしたほうが、より世界の人類の平和に近づくということが納得できたら、変えたらいいと考えるようになると思います。私だって成長する可能性はありますしね。
そうやって両方の可能性を事実と論理に基づいて議論することが必要なんだと思います。
小林
私も伊藤先生と基本的姿勢は同じなんです。橋の向こうにいるか、こっちにいるかだけなのだけれども。私は私の改憲案で、国民が理解して選ぶならば大丈夫だと思う。理解して選ぶ以上、使えるんですから。
でも国民が理解して選べないまま、今の自民党の新憲法草案なるものが力任せに押してきたら、もうそれは、ある時点で覚悟を決めて、私もそれを国民投票で否決する運動に参加する。つまり、理論上の枠組みと現実政治の可能性をいつも両方見ながら、責任ある発言を続けたいのです。
■自衛隊による国際貢献
編集部
前回(その2)では、日本が行うべき国際貢献のお話を、小林先生からお聞きしましたが、いわゆる地雷撤去や医療支援や農業支援といったことについて、自衛隊が自衛軍になってしまうと、援助がやりづらくなるというか、日本がこれまで持ってきたイメージが悪くなるということは、ないでしょうか?
小林
全然。だって、軍になっても「自衛」と付いているわけでしょう。自衛以外には使わない軍隊ですよね。例えばこの間、アフガニスタンで武装解除を日本出身の政務官がうまくできたのは、日本に、軍事的に他国を攻撃した「前科」がないからですよ。
それから自衛隊というのは、本来、僕が自衛隊をイラクなどへ派遣することに賛成もできると思っていたのは、例えば、群馬県の御巣鷹山に日航機が突っ込んだ。そのときに警察の機動隊はどうしたかというと、山の下まで行って、小学校に宿を設営して、毎日、えっちらおっちら上がっていって、それで帰ってきて、おふろに入って、水洗便所を使って、部屋に寝る。
ところが自衛隊の人たちは、えっちらおっちら上がっていくと、その辺で平らなところを見つけてテントを張っちゃって、穴を掘って、トイレまでつくっちゃって。それで、自分たちで飯をつくって食べている。
軍隊というのは、原始状態の中で自己完結的な行動ができる。ところが機動隊の人たちは、行って、帰って、校舎の仮設住宅で、「お弁当、まだ?」と。お弁当がなかったら飢え死にするんですよ。
そういう意味で軍隊というのは、非常時に行動できる訓練ができているんです。だから戦争の復興支援などに行くときに、地雷除去はもちろんだけど、道路工事であっても、電線をつなげにいくのであれ、運送業務であれ、やっぱり軍事訓練を受けた人々だから使えるんです。
それは頭の中の訓練じゃなくて、武器を操作した経験のある人じゃなきゃできない。そういう意味で、自衛軍というのは、こちらのマンパワーを維持するためにも、戦争周辺行為の国際貢献に不可欠なんです。
復興支援中に夜、強盗や盗賊が襲ってくるのから身を守るとか。国際社会に対してそれは説明すりゃいいんですよ、情報社会だから。軍隊を持つと信用されないなんていうのはウソで、使い方の問題です。
過去60年間、日本は平和国家だった。日本軍が人を殺していないんですよ。この実績は、誇るべきです。自衛隊って、そういう意味では日陰者として育ったけれど、それだけにいい実績を積んでいるんです。世界の軍隊の隊列に加わっているけれど、手の汚れていない軍隊という、珍しい軍隊なんです。
■2008年の政局はどうなる
編集部
そろそろ時間なので。来年の話をちょっと、2008年の展望などをお聞きしたいと思うんですけれども、さっきも先生は、憲法を変えたい自民党の議員たちは、粛々と準備をしているとおっしゃっていました。それは、私もそうだと思うんですが。
2008年、例えば選挙もあるのではないかと思われるんですけれども、そのとき、憲法の問題は焦点になるのか、それともならないのか。そうすると、憲法論議というのはどういうふうになっていくのか、その辺のことをちょっとお聞きしたいんですが。
小林
昨年の12月に、民主党の国会議員の園田康博君と会い―彼は党の憲法問題の責任者の1人ですけれども―懇談しました。そこから得た感触としては、今の国会はねじれ現象で、民主党、自民党、どっちにとってもどうにもならないから、「もう選挙をやってくれない?」っていうムードになっているわけですよ。だって自民党にとっては、選挙で勝てば参議院を黙らせることができるわけですから。「これが新しい民意なんだよ。あなたたちは、第二院じゃないか」と。
ところが民主党もそれを受けて立つ理由があって、「うん、いいですよ。あなた方が仮に過半数を取っても、もう3分の2はなくなりますよね」ということで、実は参議院がもっと強くなるんです。第二院が本当に強くなるんです。
どっちみち、今度、総選挙をやったら、自民党は政権を失うか3分の2を失うかは確かなんです。自民党も、今、国会で、初めて思うように法案が通らないことでいら立っているし、それから世論の風向きもそんなに悪くないと踏んでいるきらいがある。しかし3月になったらひどいことになるでしょう。あの宙に浮いた年金記録の全照合をするという約束が守れなくて、うそつき自民党という話になるんじゃないですか。
それより前に、必ず新テロ特措法の再議決をきっかけとして、民主党が問責決議を出すか出さないかで、「解散総選挙か!?」という選択肢が生まれます。そうすると今度は完全に二院対等になって、ますます本当に(総選挙を)やらなきゃいけなくなるということで、今年は選挙の年だと思います。
しかし、憲法というのは票にも金にもなりません。自民党の中で、憲法改正は、一部のマニアがほえているだけです。自民党は、特に福田内閣はとりあえず改憲を争点にできないと思います。民主党も、ご存じのとおり小沢右翼から元社会党までいますから、憲法を争点にしない。憲法の季節ではなくなります。
だから、旧来型護憲派はいいんじゃないですか。何もしたくない人たちなんだから、ほっとするんじゃないですか。
でも60年間の憲法教育の怠慢の結果、国民のレベルが低いですから、教育の時間が与えられたという認識をすべきです。憲法とは何であるか。その間に、好き嫌いは別として、九条の会などが広がっていくこと、それから1週間に2度も講演に招かれる伊藤先生みたいな人が、どんどん語り部として全国行脚をすることによって、国民の憲法教養のレベルが上がる。そうすれば、その後、どんな第2の安倍政権、中川昭一さんか平沼赳夫さんか知らないけれど、そういうのがあらわれて、「皇国日本の復興を!」みたいなことを言っても、さあ、どうぞという戦いができて、むしろ私が考えるところのまともな憲法論議が行われて、まともな改憲が行われる。改悪じゃなくて改良が、行われる可能性はあります。
しかし今年は、今言った事情で「選挙だけの年」になるでしょう。それが私の推測です。
編集部
伊藤先生は、どういうふうに2008年の政治の動きをみていますか?
伊藤
同じです。そして、総選挙後、自民党が衆議院で3分の2の議席を失って、再議決ができなくなったところで民主党がどういう対応をしていくかがポイントです。そのときに、改憲はテーマじゃないですから、民主党がいかに自民党との対立軸、違いを際立たせることができるのか。先ほどの話じゃないけれども、権力の側や、財界の上のほうの人たちの側につくのか。どういう人たちの声を代弁するのかというところで、自民党側と、野党側の対立が明確になることが必要です。きちんと政権交代させる、少なくとも自民党でない政権をどうつくり上げていくのかということを、国民も本気で考えていかないといけないと思います。
民主党が結局自民党と同じような感じになってしまったら……「やっぱり自民でもいいんじゃないの」と国民が思ってしまい、せっかくのチャンスを逃してしまう。
小林
民主党次第なんですね。自民党的であるものが今、壁にぶつかっているからこそ、こう行き詰まってているわけでしょう。自民党は、相も変わらずうそをついて・・・。それは体質ですから、いろいろ手を変え、品を変え、言葉を変えて実は全部同じことを言ってくると思うんです。
それに対して民主党が、共産党ではないけれども、自民党とこう違うんですということを分かりやすく出さなきゃいけないですね。そういう意味では、まさに自民党の憲法改悪は党で機関決定しているわけですから、憲法改悪に対して、憲法改正案を正しく民主党が示し得たら民主党の勝ちでしょうけれど・・・まだまとまらないと思うけれどね。
その過程で必ずもう一度あるのは、大連立の動きです。自民党も、それしか手がないと思うんです。だけど、今回、これは国民の不評を買ったから民主党は乗らないでしょう。
あとは、今、伊藤先生が指摘したように、民主党がいかに自民党を超える第二自民党であるかを示せれば、国民の多数派の支持を得られる。残念ながら、今の日本では自民党的なるものが多数派なんです。だから、新鮮な第二自民党像を示した側が勝ちです。かつて、新進党がそれをやろうとして失敗した。だから、そのときに、社民党や共産党がどう対応するかで、彼らも、浮きも沈みもします。
■9条と25条について
編集部
お二人とも今年は総選挙の年になるということで、考えが一致されました。この選挙は、たとえ憲法改定が争点にならずとも、やはり憲法をどう考えていくのかが問われる選挙だと思います。このまま拡大解釈を続けていくのでいいのか? 憲法、9条を踏みにじり続ける政治でいいのか?
主権者である国民がそれについて考え、示す、日本の方向性を決める大切な選挙であることは、間違いないでしょう。しっかり考えていきたいと思います。
ところで私の方から最後にお聞きしたいのですが、これまで9条について中心にお聞きしましたが、今、結構若い人たちを中心に関心をもたれているのは、25条の生存権についてです。
彼らなんかの話を聞くと、9条って余りにもピンと来ないので、9条と25条のセットで考えようというふうなことを言っています。
例えば先日、ある講演会で、アメリカは、格差社会が拡大していますが、貧困層をつくって、その人たちを全部イラクなど戦場へ送っている。だから、国の中に内なる戦場というか、貧困層をつくることによって、それをイラクへ軍人として出していく、いわゆる貧困ビジネスの最たるものが戦争ではないか? という話を、お聞きしました。アメリカは豊かな国なのに、アメリカ人の貧困層と戦場とが一直線に結びついている印象を受けました。
日本も、今、貧困問題とか格差問題とかすごく言われていて、餓死する人まで実際にいます。そうならないために、憲法25条で生存権というのが保障されているのですが、生活保護の受給が受けられなかったり、切られたりするということで、彼らにとってみれば、この日本国内こそがすでに戦場であると訴えています。
今まで9条の護憲派というか平和運動をしている人たちは、そこについては、全然切り離して行動してきましたが、このところそういう貧困の問題で運動している人たちと平和問題を考えている人たちが一緒になって、憲法のことを考えていくというふうな動きがあります。
先生たちは、それについては、どのようにお考えになりますか? 私は憲法を身近な問題として考える一つの手立てとして、よいのではと思っていますが。
小林
まず、アメリカにおいて、貧困ビジネスが、戦争ビジネスだとかは、あまりにこじつけであるという感じがしますが。アメリカのハーバード大学で学者になった者として、ここは言っておくけれど。
アメリカという国は、1つは、本当の意味での自由競争社会なんです。だから、勝つ人間が出れば貧困者は出るんですよ。弱肉強食なのです。それからアメリカという国は、建国のいきさつ、独立戦争と南北戦争から今日まで、ずっと戦争をしている国なんです。戦争がタブーじゃないんです。あの国は軍国主義国家なんです。だから、貧困で行くところのなくなった人たちが、自然な選択肢として、絶対倒産することのない会社、軍隊に入る。
だから、「軍隊に入れるために貧困者をつくっている」というような発想は、勘違いだと思う。
編集部
国軍に入れればまだましで、派遣ビジネスとして戦場に派遣される人たちもかなりいるということです。戦場で死んでも1円も支払われない契約書を結ばされているという話には、びっくりしたのですが。
小林
軍人をつくるために、戦争をするために、人を送り込むために貧困に陥れているというストーリー、これは考え過ぎですよ。
あの国は、本当の意味での乱闘自由主義だから、勝ち負け自由主義だから、いつも貧者はいるんです。それから、あの国にとって、そもそも戦争は文化の一部、タブーじゃない国なんですよ。
編集部
文化・・・ですか!?
小林
そうですよ。
伊藤
さっきの9条と25条をセットにするというのは、すごくわかりやすい考えなんだけど、きちんと理解しておかないととても危険だと思っています。なぜならば、25条というのは国家の介入を求める権利なんです。国家を強くする権利なんです。国家に依存する権利なんですよ。それを求めていくということは、国に何とかしてくれということ。そうすると権力の側は、国は仲よしでしょう、君たちの友達でしょう、国を大切にしてください。国家を批判したら、あなたたち、貧しいままですよ。国を豊かにしましょう、国を大切にしましょう、国を富ませましょう。そうすればあなたたちを保護してあげますよ。ほら、25条ですからねと言い出します。
そうなると日本国憲法が目指す立憲民主主義の社会と、全く逆ですよ。
25条を下手に使うことは──もちろん25条は大切なんですよ。根本で重要なんだけれども、憲法の「国家からの自由」と、「国家による自由」という本質的な「人権の性質の違い」がわかっていないと危険だということなんです。
憲法と法律の違いすらわかっていない人たちに、権力の側が25条は大切だよね、福祉は大切だよね、だから国は重要だよね、ということを強調していくことによって、これまで話してきた世界にまた逆戻りですよ。憲法と法律、国家が何のためにあるのかということ自体を誤解し、自分たちも、それに依存するような社会を求める。要するにそれは、自立した個人の社会じゃなくて、国に頼る奴隷の幸せの社会になってしまうということなんです。
小林
我々の憲法は、自由と民主主義が前提ですから、憲法第22条で職業選択の自由があり、29条で財産権があって、27条で労働の権利・義務がある。
だから、我々は皆、みずから、まずは能力と好みで社会的に活躍して、その報酬を得て暮らすのが前提なんです。そこで、たまたま運悪く競争に負けちゃって食えなくなった人が、2次的に国に、セーフティー・ネットとしての生活保護、敗者復活までの間、お金くれない? というだけの25条ですよ。それを何かまともな条文扱い──こういうことを言うと、福祉を軽んじているとまた言われるんだけど、やっぱり主権者である以上、自立するのが前提なんですよ。運が悪いときに、たまたま一時期救ってもらうためだけのものなんです。
■国家からの自由、国家による自由
伊藤
もともと人権の本質というのは、国家から自由であること、自立した個人であること、そこが出発点であって、あくまでもそれを補うために25条があるわけです。
現実には自立した個人でいられない人たちはいっぱいいるわけだから、そこをどう土俵に乗れるようにするかというために、25条はとても大切です。不可欠の人権です。
でも、9条の問題のときなどに25条をあまり前面に出しすぎると、その副作用というのかな、今、言ったような人権って何なのとか、国家って何のためにあるのとか、そういうところを変に誤解する人、そしてまたその誤解を悪用する人が出てくる。自民党の政治家じゃないけど、ほら、みんな国に協力しましょうよ、国を批判してどうするんですか、みんなの国でしょう、福祉の国でしょう、仲よくしましょうよという方向に持っていかれますよ。
小林
これも、あなた方の憲法知識が足りないということなんです。日本の全体の憲法知識レベルが低いんですよ。
編集部
そこは反省します。ただ貧困問題の話になると、そういうふうになったのは個人の責任や運が悪かったということもあるけれども、社会構造によるものだということもありますよね。
小林
しかしそれは生存権の問題というよりも、むしろ経済政策の問題ですよ。職業選択の自由が害されているとか。それから、労働基本権が害されているとか。
編集部
うーん。貧困問題を言うときは、憲法25条を言うのではなく、憲法22条、27条、29条に反するような法律や政策について、ひとつひとつ反論していくべきなのでしょうか。
伊藤
もちろん憲法ではいろいろな問題を結びつけて語ることはできますよ。例えば13条の「すべて国民は、個人として尊重される」という個人の尊重を、25条に具体化していく。13条があって、25条がある。そしてさらにその延長線上に前文の、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ」という9条の精神がある。私だって講演で、こうしてつなげて説明をすることもあります。
小林
基礎知識をわかっている人が、そうやって使い間違えないで語るのはいい。でも現実には無知な人々が、あっと言う間に、前提を超えていっちゃうんだよね。
それに9条の運動について、新鮮味がなくなったから25条とセットにしてなんて発想自体が、僕は邪道だと思う。9条の問題は解けてないですよ。何度も言うように、9条の下で海外派兵されちゃっているんですよ。我々の政府に。そして、我々の金で海外派兵されているんですよ。二重、三重の裏切りをされているんですよ。これで戦わなかったらおかしいでしょう。まだ問題は何も解決していない。
イラクやアフガニスタンから自衛隊が帰ってきて、初めて9条の問題に土俵が戻るんです。だからそこをきちんと訴え続けられなかったら、『マガジン9条』の意味はないんじゃない?
それから今もやはり思ったんだけど、護憲派におもねらない護憲学者と、改憲派におもねらない改憲学者が必要ですね。なぜかというと、日本は論争回避民族なんですよ。僕は、いっぱい護憲派から論争を拒否されましたから。最近ですよ、護憲派が安心して僕の前に出てくるようになったのは。昔は、「小林節」と聞いただけでミーティングがつぶれたんですよ。「あいつとは口をききたくない」と。でもね、意見の違う人と論争して初めて人間が磨かれていくんですよ。
編集部
すみません、2008年に向けてたくさんの宿題をいただいたところで、時間オーバーとなりました。どうも長時間、ありがとうございました。
(了)
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─対談を終えて─
慶應義塾大学大学院において2年間に渡り小林先生と共同ゼミを持たせていただいています。そこで私が学んだこと。それは、議論が建設的なものとなるためには、(1)根本的な価値観、目的意識において共通性があること、(2)意見の違いがあっても相手を尊敬できること、(3)そして謙虚さが必要だということです。民主主義にとって議論が必要であることは、自明ですがそれを実践できる機会はそれほど多くはありません。国民投票の際に可能な限り適切な判断ができるように、私たち国民一人一人が憲法の力をつけることが急務です。そのためには立場を越えた積極的な議論を積み重ねていくしかありません。私のような者の相手をしていただいた小林先生とこうした場を与えていただいたマガジン9条に感謝しています。(伊藤真)
私は、私なりに真面目に、「自由で豊かで平和な社会」を目指して憲法を論じて来た。しかし、その手段のひとつとして9条改正に論及しただけで論争を拒否されることが多かった。その点で、伊藤真先生は偏見なく私に対してくれる。だから、私も心穏やかに伊藤先生と向かい合える。その上で、中間に正義が見えて来たような気がする。伊藤先生と私の対談は、護憲派と改憲派の対決と思われがちだが、実際は、ふたりの「立憲主義者」が今の日本の憲法の危機と戦う知恵を出し合っているようなものであろう。これからも、お互いに砥石のようになってお互いに剣を研(みが)き合っていけたらと思う。(小林節)
写真:岸圭子/構成:塚田壽子(編集部)