無所属になった政治家・辻元清美さんと、リベラル保守を自認する政治学者・中島岳志さんの対談です。「国民世論」にふりまわされる政治家が多い中、信念と理念をつらぬく政治家が希少価値となっています。日本の政治を立て直すため今、何が必要なのか。社民主義とリベラル保守は手を結ぶことができるのか? 10回にわたる対談で明らかにしていきます。
辻元清美●つじもと・きよみ1960年生まれ。早稲田大学在学中の83年に「ピースボート」を設立し、民間外交を展開。96年の衆議院選挙に社民党から立候補し初当選。NPO法、情報公開法などに取り組み成立させる。2002年に議員辞職後、2005年の衆議院選挙で比例代表近畿ブロックにて当選。社民党女性青年委員長、政審会長代理に就任。2009年、衆議院議員総選挙において大阪10区(高槻・島本)から当選。社民党国会対策委員長に就任。国土交通副大臣に就任。2010年5月、国土交通副大臣を辞任。7月に社民党を離党。
中島岳志●なかじま・たけし1975年生まれ。北海道大学准教授。専門は、南アジア地域研究、近代政治思想史。著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)、『中村屋のボース−インド独立戦争と近代日本のアジア主義』(白水社)、『パール判事─東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、西部邁との対談『保守問答』(講談社)、姜尚中との対談『日本 根拠地からの問い』(毎日新聞社)など多数。「ビッグイシュー」のサポーターであり、「週刊金曜日」の編集委員を務めるなど、思想を超えて幅広い論者やメディアとの交流を行なっている。近著『朝日平吾の鬱屈』(双書Zero)
編集部 お2人は今回、対談されるのは初めてなんですよね。これまでも接点がありそうで、ないというか。そもそも辻元さんは社民党の出身で、一方中島さんはご自身のことを「保守」と自認されていますが…。
中島 たしかに僕は、自分のことを保守だとずっと思っているんですけれども、そう思えば思うほど、最近のいわゆる「保守陣営」に対する不満が出てくるんですね。「反中国」とか「在日朝鮮人の特権を許さない」とか叫んでいる人たちが、僕にはどうしても保守に見えない。保守と自称しながら、ある種の「保守」の人たちへの違和感を言い続けることが仕事のようになっている部分があります。
おそらく辻元さんも、「社民主義」を自認しながら、それが日本の中であまり理解されていないといういらだちを非常に持ってらっしゃるんじゃないか、と思うんです。そこでまず、辻元さんご自身が考える「社民主義」というものについて率直に聞かせていただきたいな、と。
辻元 私はずっと社民党で来たけれども、以前ある人が、私のスタンスを「宏池会左派」と言ったことがあって。そういう部分もちょっとあるわけですよ。
政治家としてのスタートは自社さ政権だから、自民党とも一緒に仕事をしてきたんです。その経験から、日本の戦後は、しっかりした「保守」の存在があったから保ってきたのかな、と思うようになった。しっかりした保守と、社会党のような、しっかりとした批判勢力としての要求政党の存在が、戦後の政治を支えてきたんじゃないかと。これは自分が政治の場に身を置くようになってから感じたことですけど。
戦後の日本の外交関係のコントロールってすごく難しかったと思うんですよ。侵略戦争をした日本が、アジアとの関係をどう修復するのか、同時にアメリカとの関係をどういうふうに構築していくのか、そこをかつての保守派の政治家たちは非常に苦労しながらやってきたわけでしょう。尖閣のような微妙な問題については慎重に取り扱って、決定的な対立にならないようにあいまいにするとか、やり過ごすとかいうことも含めた「保守の知恵」というべきものがそこにはあったと思うんです。最近はそういう「保守の知恵」がなくなってきてしまっていて、それが尖閣諸島をめぐる問題を大きくすることにもつながったような気がする。だから、これは非常にまずいなと感じてるんです。
ただ、かつては世界的にも東西の冷戦構造があったし、物事はすべて資本主義対社会主義みたいな構図の中で語られていたけど、そこから大きく世の中は変わってきた。その中で、資本主義や市場の原理は認めよう、でもそのまま放っておくと弊害もあるから、人権とか環境への配慮とか、南北格差の縮小とか、いろんな価値を守るために資本主義をコントロールしていこうという考え方が出てきた。それが社民主義ではないかと思うんですね。
だから、決して極端な平等主義ではないし、きちんとした競争を担保した上でセーフティネットをどう張るか、というイメージ。「ピースでエコで、フェアでフェミ」、あと「年をとってもぼちぼち生きていける、そんな政治がええやんか」という私のキャッチフレーズがあるんですけど、これがまさに社民主義だと私は思ってます。
中島 そのイメージは、実は保守リベラルの考えているところとかなり接近していると思います。特にそのキャッチコピーの「ぼちぼち」というのは、保守にとって非常に重要な発想ですね。人間の不完全性を認めるところからスタートして、人間の理性では究極の理想社会はつくれない、だから共同体の経験知みたいなものに基づいて漸進的に世の中を変えていこう、というのが保守の基本的な考え方ですから。だからこそ革命のような、一気に世の中を変えて理想社会をつくろう、という動きには一貫して抵抗してきたわけです。まさに「ぼちぼち」ですね。
しかし今の時代は、新自由主義が出てきたことによって、ある種の社民主義の「硬直性」みたいなものが取れ、一方で保守の側も新自由主義にどう対抗して国家の再編成を考えるのかということを考えなくてはならなくなってきた。結果として、社民主義と保守リベラルでは土台になっている思想はだいぶ違うけれども、「小さな政府・小さな社会」の現状をなんとか変えていこうという姿勢は同じで、結論として出てくる政策が非常に似てくるはずだ、というのが僕の現状認識なんです。
辻元 そうかもしれない。
中島 だから、保守リベラルと社民の勢力がしっかりと対話を続けることが、今後の日本の政治の中では非常に重要なはずなんですが、両方ともその「核」になる政治家がなかなか見えない。どちらの陣営も自分たちの思想をあまり語れない。そこに僕はずっといらだちがあるんです。
辻元 日本では、55年体制が崩壊した後にいわゆる二大政党制に向けての議論が起こってきたわけですよね。ところがそのときに、どういう理念で二つの政治潮流に分かれるのかというところを、しっかり議論してこなかった。もっと言えば、政治理念で分かれるのではなく、小選挙区比例代表並立制という選挙制度を導入すれば二つに分かれる、二大政党制につながるんだということになっていっちゃったわけです。私は、そこに今日にまで至る日本の政治の不幸があると思うんですね。
しかも当時、社会党の中の、現実政治から逃げず、権力というものときちんと付き合いながら漸進的に社会変革を目指そうという江田三郎さんのような勢力が追い落とされて、純化路線みたいな方向へ行ってしまった。その後1986年に土井(たか子)さんのマドンナブームがあったけれど、そこでも革新といわれる側は変われなかった。96年には民主党と分裂して、仙谷(由人)さんたちが飛び出していってしまう。その96年に私は初当選しているんだけど…そういう流れの中で、政治潮流についての議論が深まることがなかった。永田町だけではなく日本全体に、そういう傾向があると思うんです。
しかし今、世界的にはグローバリゼーションががーっと進んでいる。この流れはなかなか止められないし、どうしてもむき出しの資本主義というか、新自由主義的な性格を帯びてきます。さらに、中国や南米諸国など、これまで東側とか途上国と言われて押し込められてきた国々が、経済的に資本主義社会のプレーヤーとして参画する時代になってきているでしょう。こういう状況をどう捉えて、どう対応していけばいいのか、単純に社民主義と新自由主義に分かれるというだけではないし…そこを今、私は考え込んでいるところなんです。
戦後、「政治理念」がしっかりと語られないまま来てしまったことに、
今の政治の混乱の根っこがある?
次回、議論はさらに深まります。