地球の反対側の遠い国に住む人たちの目には、
「日本」という国はいったいどんなふうに映っているのでしょうか?
南米生活12年という高市吏江さんから届いた、
ユーモアたっぷりのレポートです。
高市 吏江(たかいち りえ) 中央大学文学部社会学専攻卒。1984~86年 中米ホンジュラス、ラ・エントラーダ考古学プロジェクト調査員。1987年 総務庁(当時)主催「国際青年の村」村長など国際交流活動多数。1989年~ ペルー、1991年~ ボリビア、2004年~ パラグアイで現地の民俗音楽家に師事。スペイン語通訳・翻訳。ボリビア人音楽家と南米で録音したCD、”RENACER”(再び生まれる)でケーナ、チャランゴ、サンポーニャを演奏。アコースティックな楽器のみでボリビアの曲を中心に18曲収録。2500円好評発売中。
地球儀をぐるっと見てみると、日本の真反対に位置するのは南米です。つまり、地球上でお互いに一番遠い関係ですね。私が最初に中南米と関りを持つことになったのは、1984年から2年間、マヤ文明の考古学調査のためのホンジュラス滞在でした。
以来、縁あってペルー、ボリビア、エルサルバドル、パラグアイの各国と日本に交互に数年ずつ住むという生活を繰り返し、いつの間にか中南米での滞在期間が合計12年という長きに及んでいました。ペルー、ボリビア、パラグアイでは南米の民俗音楽の習得に励みました。
また、日本にいる間は、中南米から研修目的で来る人たちの通訳という仕事もしていました。
そんな中で出会った多くの人々が日本をどのように見ているのか、私自身に投げかけられた言葉を通してわずかではありますが、ご紹介したいと思います。「そのフィルムは香港に送るの?」
中南米で暮らし始めたばかりの私には質問の真意がわからず、この国(ホンジュラス)では撮り終わったフィルムをわざわざ香港に送って現像する習慣でもあるのか、と思いましたが、ただ単に私の国である日本のことを指しているということがしばらくしてわかりました。
その後も「東京の首都は香港?」といった類の質問にはたくさん出会うことになります。時はカンフー映画の流行がまだ続いていたころ。
「ブルース・リーとは知り合い?」「ジャッキー・チェンとは知り合い?」とよく聞かれたものでした。20年以上も前のことです。
しかし、こういう認識は今も大きく変わってはいません。自分の子供をパラグアイでアメリカンスクールへ行かせる2000年代となっても、現地の保護者たちは日本、韓国、中国・台湾、また現地生まれの東洋系パラグアイ人生徒まで一緒くたに見る傾向がありました。容貌が共通しているのでそれも無理はありません。では、日本と特定して認識していることとは? 中南米はあまりに遠く、日本に関する直接的な情報に乏しいのですが、やはり電気製品や自動車などを通して日本を「想像」している部分が多いように思えます。タクシーの運転手たちも「日本の車は韓国車より高いけれど、故障しないので結局は得だ」といいます。
パラグアイで道路を走行中に他の運転者からタイヤの緩みを教えてもらい、急遽その近辺の修理工場に行ったときのことです。がらんとした工場の入り口に近い片隅で2,3人の若い修理工がすわってお茶を飲んでいました。一人はまだ子供でした。タイヤを直してもらう間、話をしていると、
「僕たちはこんなに働いているのに、働いても働いても、あなたが乗っているような車は一生買えない」
・・・え? 暇そうにお茶飲んでいたのでは?ま、そこはパラグアイ。
「私たちだって、働いても働いても、日本で家一軒買えないよ」
「・・・その車売れば家ぐらい買えるだろう!!」
確かに日本の新車に近いワゴン車を売れば、パラグアイなら家を買うお金のかなりの足しになるでしょう。でもこんなとき、日本の不動産の値段を一生懸命説明しても現地通貨で天文学的な数字となり、相手はぽかんとしてあきれるばかり・・・という経験を何度もしてきたので、パラグアイのけだるい昼下がり、そこまで言及するのはやめ、修理工の男の子がタイヤのボルトを締めているのをぼんやり眺めていました。日本では確か、「向かい合うボルトを二つずつ締める」と習ったような気がするけどなあ・・・と思いながら。少し視線をかえてみましょう。「想像」でなく、実際に日本に来た人の言葉はどうでしょう。中南米にはいろんな人種の人々が暮らしていますが、人種に序列があるのは否めない事実です。白人であると自負している人が日本人をあくまで有色人種として見ている例にも出会います。
「うーん、日本は白人を受け入れる準備がまだまだできていないな」
これは研修で日本に来た「白人」と自負する中南米の人が東京の電車の駅に立ち、すべての案内表示に英語が伴っているわけではないのを見て言った言葉でした。日本の言語がどのヨーロッパ語でもないのは、かなり外国を渡り歩いているつもりの人をも、全くの不案内にしてしまいます。
ボリビアにいるとき、ハングルを見せられて「読めるでしょ」と言われたので、「読めない」と答えると、「日本の文字と同じに見える」とのことでした。中南米のほとんどの国で使われるスペイン語のように、アジアにはアジア共通の言葉があると思っていたそうです。
文字の読めない人から高学歴の人まで、いろんな人と話しましたが、日本に関する知識は個人個人で大きな差があります。
「日本とヒューストンは近い?」「日本のアニメに出てくるロボットは日本では本当にいるの?」
聞かれること自体が新鮮な質問。
「日本にもジプシーはいる?」「日本にもユダヤ人はいる?」
いる、いないという答えに歴史的・社会的な説明が必要な質問。
「日本はアメリカから原爆を落とされた。日本人はアメリカを憎んでいるでしょう?」
これに答えるには複雑な説明が必要。
アメリカのケーブルテレビ局の中南米向けスペイン語放送では世界のニュースが流れますが、そこでも日本についての情報量はほんの少しです。なのに、紹介されるのはなぜか日本の国会で大騒ぎになって議員がだんごになり、重なり合っている場面とか、日本人の細い目を大きく見せる化粧品のコマーシャルなど、ニュース以外のことだったりします。最後は、日本で出会った日本人の言葉を紹介したいと思います。
ホンジュラス行きが決まって会社を辞めるとき、同僚から、
「ホンジュラス? それ何の会社?」
南米から帰国後、子供が通っていた幼児教室に流れていた曲がペルーのものだったので、先生に言うと、
「ペルー? アジアの国はあまり知らなくて・・・」
あるいは、私が家族でエルサルバドルに引越しすると話した友人が、その次に会った時、
「エルサレムに行くんだっけ?」
日本の公立小学校の先生がパラグアイの日本人学校に赴任することが決まったとき、
「○○先生、外国の日本人学校に赴任するんだって。パがつくとこ。パ、パ・・・パリだったかな」
私が、昔よくイギリスのロックバンド、ディープパープルを聴いていた話をすると、
「さすが南米!」
――・・・???
「東京の首都は香港?」…そんな誤解も、
私たちの南米の国々に関する知識の怪しさからすれば「お互い様」といったところかも。
もっともっと、お互いを知る機会が持てればいいですね。
高市さん、ありがとうございました。