広島市の平和記念公園は、筆者が訪れたときは薄曇りだったが、大勢の外国人観光客が目立った。その多くが訪れるのが「広島平和記念資料館(原爆資料館)」。東館の改修が4月25日に終わり、翌日から本館の改修に移るが、これに伴いここに展示されている被爆再現人形が撤去される。来場者からは惜しむ声が絶えないという。
2016年度の資料館入館者数は、その前年度と比べて16.4%増の173万9986人、外国人の入館者数も同8.2%増の36万6779人で、どちらも過去最高を記録した。昨年5月のオバマ米前大統領の訪問によって世界中から注目を集めるようになったと同館を運営する広島平和文化センターは分析している。
館内のその人形の前で、国籍も人種も超えた人々が皆神妙に見入っている。焼けただれた皮膚、血で染まった衣服で瓦礫の中をさまよう3体の人形。中には涙ぐんでいる人もいた。ほかにも被害の実相やパノラマなどさまざまな展示があるが、インパクトの強さでは一番だろう。
イメージさせるのではなく、人形は目に飛び込んでくる。心に訴えるのは、やはり恐怖や忌避感だ。改修によって来年7月に全面オープン後は「実物資料重視」の展示にするというが、実にもったいない。そこに、戦争の悲惨さから目を背ける、さらには戦争を美化する傾向につながっていかないか、改めて注意を払う必要がある。
『はだしのゲン』が学校図書から排除される動きがあったとき、過激な表現に子どもが怖がるからという理由づけがあった。それでは、戦争や原爆を怖がらせてはいけないのだろうか。現実の戦争は、人形や資料でいくら再現してもしきれないくらい悲惨なものだ。
小欄でも、「伝えること」の難しさを書いたことがある。平和であるうちに、戦争の怖さや悲惨さを次世代に伝えていかなくてはならないことに反対する人は少ないだろう。今後の資料館が、「実物資料重視」の名のもとに恐怖や忌避感を訴えられないような展示になってしまうことを危惧する。
(中津十三)
全く同感です。被爆人形はしかし撤去されてしまいました。私は怒っています。この際、新たな方策を考えなければなりません。私の考えた一つの方法は、この被爆人形を引き取り、どこか別の場所で展示するということです。もう一つの方法は、新たな被爆人形を造り、これもどこかで展示するということです。具体的な道筋を、平和を愛する人々と諸団体で考えてゆきませんか。今回の、撤去というおろかな決定をくつがえす動きを巻き起こしたいものです。