2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響で、福島第一原子力発電所事故が発生。事故後、国会前や首相官邸前には、多くの人たちが集まり、抗議の声をあげました。一人ひとりが自分の意思で集まり、それぞれ独自のスタイルで行う抗議行動が生まれていったのです。事故から数年が経ったいまも、毎週金曜日には脱原発を求める人々が全国各地で集まっています。国会前「希望のエリア」も、そうした「金曜行動」のひとつ。「希望のエリア」のスタッフが、そこに集まる人々の思いを連載で伝えます。
第28回
あきらめない人々こそ希望
暑い夏も、寒い冬も、毎週金曜日ここへ集まり、「命を守ろう!」と声を上げ続け、5年が過ぎました。地道に頑張る、あきらめない人々に光を当ててくださったマガジン9さん、スタッフの皆さんに、この場をお借りして心より感謝を申し上げます。
2011年3月11日から6年が経ち、私自身の物事の見方、考え方、生き方は、大きく変わりました。「放射能から子どもを守りたい」という一心からスタートした抗議行動でしたが、この6年のうちに状況はよくなるどころか、ますます命を脅かす政治がまかり通っていることに憤りを感じる毎日です。
人の意見には全く耳を貸さず、嘘と隠ぺい、言葉のすり替えで都合よく物事を勝手に押し通してしまう安倍政権を、子どもに何と説明すればいいのでしょう。
「あの時どうして戦争を止められなかったの? どうして大人は神風なんかを信じてしまったの?」
私は子どもの頃、母に聞いたことがあります。
母は、「戦争というものはある日突然始まるわけではない。少しずつ少しずつ準備が始まって、気がついた時にはもう誰も何も言えなくされてしまう。だから戦争に繋がるものはどんなに小さいことでも反対して止めなければならないのよ。でもね、大丈夫。この国には憲法9条があるのだから。2度と戦争をしないと決めたのだから」と言いました。
母の「大丈夫、この国には憲法9条があるのだから」という言葉。子どもながらに、どれだけ安心したことでしょう。しかし、今、私は不安で仕方ありません。
嘘をついてまで無理矢理、南スーダンへ行かせた憲法違反の海外派兵。
私たちの口や心まで封じ込んでしまう共謀罪の閣議決定。
お国のために命を捧げることこそ美徳なのだと、私の母たちに叩き込んだ教育勅語の復活。
残念ながら、この国は完全に暗黒時代に逆戻りし始めていると言わざるを得ません。
「あの時どうして大人は戦争を止められなかったの?」と未来の子どもたちに聞かれるようなことを絶対に繰り返したくありません。
希望のエリアで声を上げることは、未来へ命を繋げること、平和に生きる権利を守ることなのだと私は思っています。誰に頼まれた訳でもないけれど、参加者の方たちがそれぞれ工夫を凝らし、自分に出来ることを、出来る範囲で続けてこられたことこそ、この国の希望であり、この国を変える確かな力なのだと、今私は確信しています。
歌や音楽でコールを盛り上げてくださる音楽隊さん、自転車で車道から意思表示をされる自転車隊さん、写真や動画を撮影して発信してくださる方、手話でたくさんの方に思いを届けてくださる手話通訳さん、お菓子を届けてくださる方、手作りタグやステッカー、アクセサリーを持ってきてくださる方、安全に抗議が行えるように声を掛けてくださる誘導係の方、荷物運びから設営を自主的に手伝ってくださる方、傍聴の報告を毎週してくださる方、美しいキャンドルを灯してくださる方、全国各地で連帯して声を上げてくださっている方々、その全てが希望そのものなのです。
私たちがここに集まっているのは何かに対する抗議行動ではあるのですが、「私たちは幸せに生きていきたいんだ!」「だって僕たちはこの国の主権者なんだから!」という意思表示でもあるのではないでしょうか。
国会前だけではなく、それぞれの場所で諦めずに頑張っておられる方々と、これからも繋がって私たちは行動していきたいと思います。
「希望のエリアのあきらめない人々」は、これからも様々な場所から声を上げていきます。
マガジン9さん、全国の皆さん、これからも共に頑張りましょう!
本当にありがとうございました!
(国会前「希望のエリア」スタッフ/紫野明日香)
2016年2月10日に始まった「『希望のエリア』のあきらめない人々」の連載コラムは、今回が最終回です。3・11から時間が経ち、国会前に集まる人の数が減っていくなか、変わらずにずっと声を上げ続けている人たちがいました。その姿を「希望」として伝えていきたいと、連載をお願いしたのが始まりでした。1年以上にわたり思いを綴ってくださった、スタッフや参加者のみなさまに感謝します。再来週は、「番外編」として、みなさんからのメッセージを送ってくれるそうです。最後までぜひご覧ください。