1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙と就任までをめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。
*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。
第21回
予測不能な年、2017年
寒中御見舞申し上げます。
旧年中、ありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
怒涛の日々だった2016年。おかげさまで新年を日本晴れ、好天が続いた母国で迎えることができた。
久しぶりに自分のうちの布団でゆっくり寝て、買い物客と観光客で押し合いへし合いの築地市場で、年末、店主達と挨拶を交わし、買った食材でおせちを作り、こたつでテレビを見ながら暴飲暴食の三が日を過ごせた。
のどかで、穏やかで、ごく普通の生活。
そんなささやかな喜び、当たり前の暮らしが、当たり前でなくなってしまった。
そう感じ始めてから、しばらく経つ。
2000年9月11日の米同時多発テロ事件を、紐育(ニューヨーク)で体験して以来、先が全く見えない不安と背中合わせの危機感を、まるでひとつの卵のように、ずっと抱きかかえている。
二分化した「恐怖の王国」たるアメリカ合衆国。日本と同じ、建前と本音の世界。行動したって、何も変わるはずはない。それよりも、自分の生活が大切だから、と無気力、日和見主義、自己中心な人々の世界。
そんな状況を2005年、このマガジン9創刊の年に、「二分する平和憲法の意義」という記事に託した。
それから12年。その間、特に2011年3月11日、東日本大震災を東京で体験してから、私の中にある不安、懸念、危機感の卵はどんどん大きくなっていく。
21世紀。私達の暮らしは、以前より良くなっただろうか。悪くなっただろうか。
この1月20日、共和党のドナルド・トランプ氏の大統領就任式が、米の首都ワシントンDCで行なわれる。
紐育市出身、不動産業2世の彼は選挙活動中、実業家としての手腕を誇り、「アメリカを再び偉大な国に」を旗印に訴えた。
米市民の生活を、今よりも良くする、と。
(ワシントンの金権・汚職政治の)ヘドロをきれいに掻き出す、と。
それが、いざ、当選してみたらどうだろう。
お友達内閣を思わせる、政権閣僚の人選ぶり。それは、この1月9日、この次期大統領の娘婿、ジャレッド・クシュナー氏(35)が大統領上級顧問に指名される、との報で、ひとつの頂点に達したかに見える。
建国の父たちが、厳格・潔癖さを求めるピューリタン、清教徒だった米には、親族を連邦政府職に採用するのを禁じた縁者特権禁止(アンチ・ネポティズム)法がある。だが、次期大統領側は、ホワイトハウスにこの法は適用されない、と主張する。
尊敬する師匠の一人、会田弘継・青山学院大学教授は、選挙戦の結果が出る直前、この次期大統領を「保守運動が生んだ鬼っ子」(朝日新聞11月8日付)と呼んだ。
「タブーとして封印され、人々の心の中で眠っていた人種差別意識が、いまトランプ氏に揺り動かされ、人々の怒りと結合しつつあるように思えます。選挙の結果がどうであれ、その怒りはこれからどこに向かうのでしょう。特異なキャラクターが活躍した選挙だった、というだけでは済まず、米社会の転換点になる恐れを危惧しています」
大統領選の結果が出た11月9日早朝から2ヶ月。この1月8日には、米ゴールデン・グローブ賞の受賞式で、特別賞を受けた女優メリル・ストリープが、次期大統領の名を一言も口にせず、彼を糾弾するスピーチをした。
「軽蔑は軽蔑を呼びます。暴力は暴力を扇動します。力を持つ人間が、その立場を利用し、他をいじめた時、私たちは負けてしまい、しょうがないじゃないの、(いじめっ子のあいつに)やらせときなさいよ、となります」
そして、彼女は、居並ぶハリウッドのスター達、業界人の前でマスコミ援護を訴えた。
「この国で最も敬意ある地位に就こうとしている人間が、障害を持つリポーターの物真似をした」と彼女が触れたのは、ニューヨーク・タイムス紙のセルジュ・コワルスキー記者のことだ。
彼は紐育記者仲間の超ベテラン。先天性多発性関節拘縮症、という生まれつきの障害を持ち、関節の筋肉が萎縮したまま伸びない。だが、そんなことを全く感じさせられない、かなりのキャラの強面で、記者として様々のスクープをものにしている。
次期大統領が、大げさな言葉とジェスチャーでセルジュの物真似をし、その障害をあざ笑うかのような選挙演説をしたのは、大統領選に向け、共和党候補として出馬した数ヶ月後、去る2015年11月だった。
マスコミの利用法を知りぬき、マスコミ嫌いを自認する次期大統領は、自分の気に入らない記事を書いた記者を徹底的に叩く姿勢で知られる。1989年、セルジュが紐育のタブロイド紙、デイリー・ニュースで密着取材をした時の記事。そして2001年、ワシントン・ポスト紙の記者時代の記事が、今でもお気にめさないご様子だ。
2015年11月当時、「そんな記者は、会ったことも見たこともない」と言った閣下。今回のメリル・ストリープのスピーチ直後から、ツイッターで反論を数々放ち、「私は、障害を持つリポーターを『茶化し』てはいないし、決してそんなことはしない。ただ、私を悪くみせるために、彼が16年前の記事を書き変えた、という『卑しい』態度を示しただけだ」とする。
暴言。虚言。前言をひるがえすホラッチョ的な発言。あなたの周りにも、こんなタイプが増殖していないだろうか。
予測不能な年、2017年の初め。
世界の様々な場所で、「鬼っ子」達が価値観、倫理観、常識をくつがえす「ちゃぶ台返し」をする。当たり前、が通用せず、弱肉強食の傾向が強まる世の中で、ささやかな暮らしを続けたい。だから、何事にも動じない心の糧を求めている。しがみつけるものは、自分だけだから。
昨年12月30日は、日本国憲法制定に関与した私の師匠、ベアテ・シロタ・ゴードン逝去後、4周年だった。彼女の命日から正月休みにかけて、ヘレン・ミアーズ著の『アメリカの鏡・日本』(伊藤延司訳 現在入手しやすいのは角川ソフィア文庫)を読み直した。
1949年当時、ダグラス・マッカーサー日本占領連合国軍最高司令官が、日本で発禁処分にした、いわくつきの本。折しも、この本で語られるアメリカ、特に最終章の最終段落に於ける「機械」が「権力を独占するボスの元に集合した政治的組織」との英語の意味を踏まえるに、今の日本と重なるのでは、と感じるのは、私だけではないはずだ。
「アメリカ人にいますぐ答えてもらいたい。私たちの力の機械はすでにわたしたちの制御能力の及ばないところに飛び出してしまったのだろうか。それとも、まだ機械を制御し、行く先を変える余地が残されているのだろうか」
当選発表直後の暗い夜道、雨あがりの歩道に落ちていたヒスパニック系無料新聞。(2016日11月10日夜 紐育市内 撮影:鈴木ひとみ)
民主主義、憲法、選挙のあり方、すべてが問い直されたような2016年でした。新大統領の誕生で、アメリカはどう変わっていくのでしょうか。不安が拭えない2017年のスタートです。
世界史の流れは、大統領制から議会制なのだろう。
アメリカ・フランス・ロシアが没落し、
カナダ、ドイツ、オーストラリア、日本が台頭する。
>弱肉強食の傾向が強まる世の中で、ささやかな暮らしを続けたい。だから、何事にも動じない心の糧を求めている。しがみつけるものは、自分だけだから。
私もそう思う。これは個人主義社会の中では当たり前のことである。しかし、この国はそうではない。国民は排斥を恐れ、集団へと流れ込む。つまり、当たり前のことをするのに勇気がいる国である。「空気を読む」などはその典型例だ。
「明日の自分は今日作る」。その結果だろうか。凜とした高齢者を見ることはほとんどない。これが「自立心」を鍛える時期をスルー、定年後の高齢者の光景なのだろうか。余生などはない筈だ。これでは人生余りにも淋しい。
「個にして孤ならず」「和して同ぜず」。想像力を鍛え、考えることを休めず、今年も頑張りたい。これを続けている限り、顔の張りは加齢についていかないだろう。鏡を見て元気が出る顔。そんな顔を目指したい。