風塵だより

 沖縄・高江でのヘリパッド反対運動で、反対派の人たちに「クソ、どこつかんどるんじゃボケ、土人が」や「シナ人」などと罵声を浴びせた大阪府警機動隊員。まさに差別、ヘイトの典型。これが公務員か。
 だが問題は、それを批判せずに擁護してしまう政治家や著名人が数多くいることだ。

 まず当の大阪府・松井一郎知事。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのが分かりました。出張ご苦労様」などとツイート。まるでこの機動隊員は、ちょっと口を滑らせただけで、大した落ち度はないと言いたいようだ。さらに記者会見では「相手もそうとうひどいことを言っている…」と、反対派にも非があるような言い方。
 「こっちも少し悪いところがあるが、相手がひどいことを言うのだからどっちもどっち、売り言葉に買い言葉、機動隊員が一方的に悪いわけじゃない」と言いたかったのだろう。それは違う。両者の持つ力がまったく違うのだから、その言い分は通らない。
 対等ではない者同士を、同じ土俵で比較するのは間違っているのだ。

 こんな記事を読んだ。琉球新報コラム「金口木舌」(10月23日付)だ。「蔑視発言の本質」との見出し。

 あるクラスで、Aさんが級友Bさんに対し、暴言を吐いてしまいました。多くの人がAさんの暴言をとがめました。しかし先生は「Aさんは日頃から授業を熱心に聞き、頑張っているんだから、いいじゃないか。勉強ご苦労さま」と言いました。

▼暴言を吐かれたBさんは先生に抗議しました。すると、一部の人たちは「君も日頃から暴言を吐くことがあるじゃないか。自分のことは棚に上げて、Aさんをとがめるのか」とBさんを非難しました。
▼架空の話だが、現実でも同じようなことが起きている。Aさんは「土人」発言をした機動隊員。Bさんは沖縄県民。Bさんを非難しているのは、ネット上の第3者だ。
▼Aさんを擁護した先生は、松井一郎大阪府知事である。松井知事が機動隊員を擁護する根底には「沖縄の人は差別されても仕方ない」との思いがありはしないか。
▼架空の話に戻る。暴言を受けたBさんは、先祖代々みんなが嫌がるきつい仕事をしてきました。誰かにそろそろ代わってほしいと思っていますが、代わってもらえるどころか、さらに仕事を押し付けられそうになっています。「これ以上は無理」と訴える中、Aさんから差別的暴言を受けました。
▼辺野古や米軍北部訓練場などで基地を強化し、みんなが嫌がる“仕事”を押し付け、無用な衝突を招いている張本人は誰か。見誤まってはいけない。

 筆者の怒りは分かるけれど、少し違うとぼくは思う。これでは「喧嘩両成敗」的な松井知事の論法に乗せられてしまう。
 ここでは、AさんとBさんが同じ生徒という立場に想定されている。しかし、実際の機動隊員と住民ではまったく立場が違う。持っている力が違うのだ。機動隊員は権力である。圧倒的な力を持って住民に対峙している。比較して住民側はどうか。権力などない。逮捕できるのは機動隊側であり、押し潰され逮捕されるのは住民や反対派である。
 「圧倒的な非対称」とでもいうべき力の差だ。このコラムの比喩で言うなら、Aさんは先生でBさんが生徒、とするべきなのだ。力を持つ先生と従わされる生徒。いわゆる「体罰」の発生する原因もここにある。
 しかし、それでもまだ学校には「体罰否定」「暴言否定」の原則が働く。生徒に対して体罰を加えたり暴言を吐いたりした先生は、その理由はどうあれ(たとえ、生徒が反抗的であったとしても)処罰されるのだ。ところが、沖縄ではそれと同じことが放置され、権力側のやりたい放題だ。
 さすがに、この暴言警官には批判が殺到した。証拠となる動画がはっきりと残っていたため、沖縄県警も大阪府警も菅官房長官でさえ、否定できなかった。当該の警官は暴言が明らかになった後、配置換えされたというが、それだけでは批判がおさまらず、大阪府警としても「戒告処分」をせざるを得なかった。
 だが、ロープで反対派を縛りつけたり、押し倒して怪我をさせたりした機動隊員の暴行には何の処分もなされていない。現場での証拠写真を突きつけられても、動画を見せられても、機動隊側は「反対派の人たちが自分で転んだ」「ロープは安全確保のために使っただけ」などと言い訳するばかり。処分など行われていない。

 たとえば、何かのトラブルで市役所に行き、職員の対応に激昂した住民が大きな声を出し、それに対し職員が「なに言うとんじゃ、このボケ」などと言ったらどういうことになるか。
 多分、この職員は即刻クビだろう。たとえ、住民のほうに非があろうとも、こんな言い方が許されるはずがない。ところが警官は、同じ公務員でもまったく違う。だが、どんなことがあろうと、最低限、言葉遣いくらいは気をつけるべきなのだ。それが「実力組織」としての力の持つ側の責任だ。
 「実力組織」がその実力を行使するときは、極めて抑制的でなければならない。ところがいま、その抑制力というタガが外れてしまっている。タガを外したのは安倍政権である。

 松井知事に限らず、暴言警官を擁護する言葉がネット上を飛び交っている。それに呼応するように鶴保庸介沖縄北方担当大臣が述べたことは、政治家としての資質を疑わざるを得ないものだった。朝日新聞(10月22日付)。

(略)ことさらに、我々が「これが人権問題だ」というふうに考えるのではなくて、これが果たして県民感情を損ねているかどうかについて、しっかり虚心坦懐に、つぶさに見ていかないといけないのではないか。(「県民感情が損ねられているかどうかについて、まだ判断できないのか」との質問に)私は今このタイミングで、「これは間違っていますよ」とか言う立場にもありませんし、また、正しいですよということでもありません。自由にどうぞというわけにもいきません。従って、今のご質問で、私が答えられるとするならば、これはつぶさに見ていかざるを得ない。(21日、閣議後の記者会見で)

 いったい何を言っているのかわけが分からない。
 お前は沖縄担当大臣じゃないのか。担当する県民が「ボケ、土人」と罵られたのだ。それを「間違っているという立場にない」だと? ならば、さっさと沖縄担当相など辞めてしまえ。
 要するに、沖縄県民のことなど何も真剣に考えていないから、こういう発言になるのだ。とりあえず、記者の質問をごまかして逃げてしまおう、という姑息な物言い。
 「土人」などという暴言を「人権問題だと考えるのではなく」とも言っている。これほどひどいヘイト発言もないはずなのに、人権問題ではないとして、そこから目を逸らせてしまう。
 この男に沖縄担当相を任せておくわけにはいかない。というより、政治家失格である。
 菅官房長官も記者会見で、この件について「機動隊員の発言は差別意識のあらわれではないか」と問われ「その意識はまったくなかったと思いますよ」と、シラーッと答えている。
 安倍内閣は「沖縄への差別」という現実に、まったく無自覚であることをと露呈してしまっている。これでは、国と沖縄県の話し合いも歩み寄りも、ほとんど絶望的だと思うしかない。

 この問題については、ぼくも出演している「新沖縄通信」で特報版を撮ったのでご覧いただきたい(このほか、沖縄に関するテーマについては「沖縄タイムス・新沖縄通信 別冊」のページでも取り上げている)。

 こんなことを書けば、また「バカなサヨク」だの「パヨク」だのと、たくさんの罵声が飛んでくるだろう。
 でも、ある人気雑誌で、それに対する明快な回答を目にした。目からウロコであった。
 それは「通販生活」(2016年冬号)。前号(16年夏号)の誌面で「自民党支持の読者の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」と呼びかけたところ、172人の読者から批判が来たというのだ。その批判への回答が、まさに名刀の切れ味。少し長いけれど、引用させていただこう。

 172人の読者のご批判は、おおむね次の3つに集中していました。

(1)買い物雑誌は商品の情報だけで、政治的な主張はのせるべきではない。
(2)政治的記事をのせるのなら両論併記型でのせるべきだ。
(3)通販生活は左翼雑誌になったのか。

(1)について申しますと、「買い物カタログに政治を持ち込むな」というご意見は「音楽に政治を持ち込むな」と同じ意見になるのかなと思いました。たとえば福島第一原発のメルトダウンがいい例ですが、日々の暮らしは政治に直接、影響を受けます。したがって、「お金儲けだけを考えて、政治の話には口をつぐむ企業」にはなりたくないと小社は考えています。「政治の話は別にやれ」という使い分けもしたくありません。企業の理念と行動をありのまま読者の皆さんにお見せしたいと考えています。

(2)の両論併記は、「対立する異論を理解し合う形式」の一つと考えて実行してきました。これからも実行していきます。しかし、憲法学者の約9割が違憲としたほどの「安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に関する決め方」は両論併記以前の問題と考えた次第です。

(3)についてお答えします。
 戦争、まっぴら御免。
 原発、まっぴら御免。
 言論圧力、まっぴら御免。
 沖縄差別、まっぴら御免。
 通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな「まっぴら」を左翼とおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。(略)

 どうですか。なんだか、すっきりしませんか。
 うん、「まっぴら御免」でいいんですよね。
 ぼくは「通販生活」が好きです。

 

  

※コメントは承認制です。
95 沖縄「土人発言」をめぐって」 に2件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

    ドイツ・オーバーハウゼンにある「ドイツ平和村」を訪問したことがあった。その際、日本人のボランティアの方に聞きました。日本から支援する企業がありますか。一社だけあるというのです。それは「通販カタログ」でした。そこは、世界各地の紛争に巻き込まれ負傷した子ども達を無償で治療するボランティア団体。医師達で構成され、国も補助している。
     さて、企業理念に両論併記等聞いたことがない。あり得ない。通信機器未発達の時代には耳にすることがなかった見解だ。良く熟慮してから意見を述べていたからだろうか。今は、熟慮の前に手が動く時代だ。
    >「買い物カタログに政治を持ち込むな」
    彼等は、スポーツに政治を持ち込むな。政治にスポーツを利用するな。などと主張しているのだろうか。安倍政権を応援しましょう、と掲載すれば「買い物カタログに政治を持ち込むな」と主張するのだろうか。私にはそうには見えない。疲弊し、自信を失っている人たちに映るのだ。機動隊の「土人発言」もこの延長線上にあると見る。         日々の生活に政治の影響を受けないものはない。だから、日々の生活に政治の話は絶えない筈。しかし、日本では政治を話をしたがらない。選挙の話はするが政治の話はしない不思議な国である。これが政治の劣化を生む源流でもある。

  2. AS より:

    この国には人間の尊厳を保障し権力を抑止する憲法などあって無きが如し。未開の地です。
    権力・お上意識丸出しのこの機動隊員の発言が物語っているではありませんか。
    「権利の保障が確保されず、 権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。」―フランス人権宣言第16条

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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