映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第45回

トランプのビデオが示した“ドキュメンタリー”の侮れぬ力

 多くの人は誤解しているが、僕は社会を変革するためにドキュメンタリー映画を作ったことはないし、正直、ドキュメンタリーにそういう力があるとしても、かなり小さいものだと考えてきた。それはマイケル・ムーア監督の『華氏911』(2004年)によって、半ば証明されたことだと思っていた。なぜなら同作は「ブッシュ大統領の再選を阻む」という目的のために作られ、カンヌで大賞を獲り、興行的にも大ヒットした。にもかかわらず、結局はブッシュの当選を防げなかったではないか。

 ところが今回の米国大統領選挙で、僕の信憑は覆されようとしている。ドナルド・トランプ候補が性的暴行を自慢する様子を映し出した、たった3分間のビデオクリップ。それはトランプという人物の闇の部分を白日のもとに晒す“ドキュメンタリー”として機能し、大統領選挙の流れを大きく変えてしまったからである。

 10月8日にワシントン・ポスト紙がスクープしたこのビデオは、2005年、トランプがメロドラマに出演する際の様子を「アクセス・ハリウッド」という番組が撮影したものだ。ビデオの前半では、トランプはピンマイクをつけたまま移動用のバスの中にいて、まさか会話が録画されているとは知らない。カメラマンも別にトランプを告発するために隠し撮りしていたのではなく、バスからトランプが現れる瞬間の様子を撮るために、早めにカメラを回していたのだろうと推測される。つまり撮影者には、自分がドキュメンタリーを撮っているという意識すらない。

 にもかかわらず、結果的にはこの映像は、まぎれもなく極めてパワフルな“ドキュメンタリー”になっている。ナレーションによる解説やBGMもなく、視聴者自身がトランプの人間性の本質的な部分をつぶさに観察できるという意味では、僕が提唱・実践する「観察映画」ないし「ダイレクトシネマ」に属するといってもよい。

 そしてたった3分間の“短編”であるにもかかわらず、この映像は共和党を事実上分裂させ、トランプ候補の支持率を急降下させた。これまでどんな暴言やスキャンダルが飛び出しても致命傷になりえなかった、無敵ともいえるトランプを窮地に追い込んでいるのである。

 論より証拠。ポスト紙が公表した、英語字幕付きの映像をご覧いただきたい。セリフを僕なりに日本語訳してみたので、照らし合わせてみてほしい。実際に使われた言葉を正確に伝えるため、あえて下品な言葉もそのまま訳している。なお、トランプと会話をしているビリー・ブッシュという人物は、この番組のホスト役である(皮肉な巡り合わせなことに、ブッシュ元大統領の従兄弟)。トランプとブッシュを出迎えるアリアン・ザッカーは、メロドラマで共演する女優である。

不詳の人物:彼女、以前はすごかった。いまでもすごくきれいだけど。
ドナルド・トランプ:俺、彼女に迫ったことあるよ。パーム・ビーチにいたときにさ、迫ったんだけど失敗した。この際認めちゃうけど。
不詳の人物:マジですか。
トランプ:マジでヤろう(fuck)とした。彼女、結婚してたけど。
不詳の人物:それ大ニュースですよ。
トランプ:いやいや、ナンシー(注:テレビ司会者のナンシー・オデールのこと)だよ。俺、激しく迫ったんだけどな。家具を探してるって言うから、ショッピングにも連れて行った。「いい家具屋、知ってるよ」って言ってさ。雌犬(bitch)のように狙いを定めて迫ったんだけど、ダメだった。彼女、結婚してたし。ところがその後会ったら、でかいニセのおっぱい入れちゃっててさ、ルックスがめっちゃ変わってた。
ビリー・ブッシュ:(外に立ってるザッカーを見て)シーっ! トランプさんの女の子、クソ可愛いっすよ。パープルの服着てる子。
トランプ:ウォーッ! ウォーッ!
ブッシュ:ドナルド、やったね! 最高!
トランプ:おめえ、おマンコ野郎だな。
トランプ:じゃあ外に出るよ。
トランプ:ホントに彼女か?
ブッシュ:まさか広報担当者…いや、彼女です、彼女。
トランプ:うん、彼女だ。金のやつ。ティックタック(ミントの口臭予防キャンディー)食わなくちゃ、キスするかもしれないから。俺、美人には自動的に惹きつけられる。で、キスしちゃう。磁石みたいに。キスしちゃう。ぜんぜん待たない。スターだから許される。何をやっても大丈夫。
ブッシュ:何をやってもね。
トランプ:おまんこ(pussy)を掴んでやる。何をやっても許される。
ブッシュ:うわっ、彼女の脚! もう脚しか目に入らない。
トランプ:すげえタマだな。
ブッシュ:行きますか。
トランプ:うわー、いけてる脚だな。
ブッシュ:ちょっとどいて、うわー、すげえ脚だ。どうぞ。
トランプ:バスから落ちないように気をつけないと。ジェラルド・フォード、覚えてる?
ブッシュ:下のハンドルを引いてください。

(トランプとブッシュ、バスから出てくる)

トランプ:こんにちは、お元気ですか?
アリアン・ザッカー:トランプさん、こんにちは。初めまして。
トランプ:お会いできて嬉しいです。素晴らしい、素晴らしい。ビリー・ブッシュのことはご存知?
ブッシュ:こんにちは、お元気ですか、アリアン?
ザッカー:元気です、ありがとう。メロドラマのスターになる準備は?
トランプ:バッチリです。スターにしてください。
ブッシュ:ドナルドをハグしたら? バスから出てきたんだから。
ザッカー:ハグしましょうか?
トランプ:ぜひ、ぜひ。メラニア(トランプ夫人)もいいって言ってた。
ブッシュ:ブッシュくんにもハグしてよ。バスから出てきたんだから。
ザッカー:ブッシュくん、ブッシュくん。
ブッシュ:じゃあ行こうか。素晴らしい。役者は揃った。
ザッカー:そうね。
トランプ:お先にどうぞ。
トランプ:ビリー、恥ずかしがるなよ。
ブッシュ:美人が現れると、トランプさん、すぐこうだから。いつもこう。
トランプ:ビリー、こっちにおいで。
ザッカー:ごめんなさい、どうぞ。
ブッシュ:ブッシュくんも中に入れて。
ザッカー:入れましょ、入れましょ。これでどう? 私が真ん中のほうがいいか。
ブッシュ:こういう男の隣を歩くのは大変だよ。
ザッカー:ちょっと待って。
ブッシュ:きみが真ん中、これでいい。
トランプ:いいね、この方がいい。
ザッカー:ずっといい。これは…
トランプ:いいねえ。
ブッシュ:ねえ、僕ら二人の中からどちらかを選ぶとしたら、どっち?
トランプ:どうかな、それは厳しい競争だな。
ザッカー:それすごいプレッシャー。
ブッシュ:マジで。デートに行くとしたら、どっちを取る?
ザッカー:黙秘権を行使かな。
ブッシュ:マジで?
ザッカー:マジで。っていうか両方と行く。
トランプ:どっち曲がる?
ザッカー:右。はい、着いた。
ブッシュ:着いた。ここで失礼します。
トランプ:はい。
ブッシュ:マイクを返していただければ。
トランプ:あれ、もう終わりなの。
ブッシュ:ですよ。
トランプ:了解。
ブッシュ:自分のショーに行かないと。
ザッカー:リセット? オーケー。

 この“ドキュメンタリー”の暴露によって、アメリカでは天地がひっくり返るような騒ぎが起きている。ビデオは瞬く間にオンラインメディアやテレビニュースで取り上げられ、おそらく大半の米国の有権者によって視聴された。その結果、民主党支持者だけでなく、共和党支持者からもトランプを非難する声があがり、約50人もの共和党議員が推薦を取り下げる事態に至った。世論調査でもトランプ候補の支持率が目に見えて下降した。女性を自分の性欲を満たすだけのもののように扱い、有名人である自分には性暴力さえ許されると自慢しているビデオの内容を考えれば、当然の結果である。

 一方で首を傾げたのは、日本のマスメディアやソーシャルメディアの反応があまりにも鈍く、温度差が激しかったことである。当初ツイッターやフェイスブックでもほとんど話題にならなかったし、話題になっていたとしても、「トランプが差別主義者であることは以前から分かっているのに、なぜいまさら?」といった声が目立った。

 そうした鈍い反応について、僕は当初、日本での女性差別の根強さが原因ではないかと憶測した。だが、その後ある仮説が頭に浮かんで考え直した。

 つまり、日本人の多くはこの事件について、新聞やテレビを通じて知りはしたものの、ビデオ映像を実際に観ていない。そのことが反応の鈍さの原因なのではないか、という仮説である。

 例えばNHKニュースではビデオの内容について、「トランプ氏は既婚の女性に性的な関係を迫ったことがあると述べたうえで『有名人になれば女性は何でもしてくれる』などと女性を見下すような発言を繰り返しています」(NHKニュースweb10月8日)などと伝えた。

 たしかにあのビデオをお行儀よくNHK的に要約するなら、そういう表現になってしまうのかもしれない。しかし、ビデオ映像を実際に観た人にとっては、ビデオから受ける印象とNHKの要約には、あまりのギャップがあることに気づかされるのではないだろうか。それに「女性は何でもしてくれる」という表現は、誤訳とまではいかないまでもミスリーディングであろう。

 一方、読売新聞による報道は、NHKのそれよりも多少は頑張っている。とはいえ、それでもビデオの内容のおぞましさを十分に伝えているとは言い難い。

 「トランプ氏は知人の女性について、『モノにしてやろうとしたがダメだった。彼女は結婚していたんだ』と告白。共演の女優についても、『美人には自動的に引き寄せられてキスしてしまうんだ。磁石のようなもんだ。スターなら何をやってもいいんだ』などと暴言を吐いた。当時、トランプ氏は現在の妻メラニアさんと結婚したばかりだった」(読売新聞電子版10月8日)

 念のため朝日新聞の報道も見てみると、やはり似たり寄ったりである。

 「トランプ氏がある女性について『彼女に魅了されたが、失敗した』などと性的関係を持とうとしたことを下品な表現で告白。『私は自動的に美しいものに引きつけられ、キスを始めた。磁石のように。もはや待てなかった』などと発言し、さらに『スターになれば何でもできる』などと自慢げに語っている」(朝日新聞電子版10月8日)

 これらの報道は、たしかに事実をおおむね伝えてはいる。しかし報道に接した人が、3分間のビデオを実際に観た人と同じような強い反応を示すとは考えにくい。なぜなら報道には決定的な何かが欠けているからである。

 それはいったいなんであろうか?

 ビデオを視聴した人には、答えはもうお分かりであろう。ビデオにあって報道に欠けているのは、「ドキュメンタリー的な何か」である。それを無理やり言語化するならば、「臨場感」とでも「その場で目撃した感」とでも呼ぶことができよう。あるいは自分で「観て、聴いて」しまった感とでも言うことができようか。

 つまり“トランプ・ドキュメンタリー”の視聴者は、あたかも自分がその場で「嫌なもの」を見聞きしてしまったかのように、出来事を「目撃」し「体験」してしまう。その「体験」に含まれるのは、トランプが発した言葉の内容だけではない。むしろ視聴者の心に突き刺さるのは、トランプの声の傲慢なトーンやティックタックをガチャガチャ鳴らす音、ブッシュの卑猥で太鼓持ち的な笑い声や奇声など、非言語的な要素であろう。

 そして視聴者は、二人の声のトーンがバスの中と外で豹変することや、何も知らないザッカーがトランプをハグさせられ、「デートに行くとしたら、どっちを取る?」といった質問に答えさせられる成り行きを、文字通り「目の当たり」にしてしまう。そして解説的なナレーションの助けもなく、事態の本質を「洞察」してしまう。それはトランプの心の有り様をダイレクトに凝視し、耳を傾けるような「第一次的体験」であり、したがって観る者の知性だけでなく、感情を強く揺り動かすのである。

 特に女性の多くは、トランプらの姿を眺めながら、自らの身に起きた似たような出来事を、砂を噛むような思いで想起させられたのではないだろうか。このビデオが暴露されて以来、トランプから性的暴行を受けた女性たちが次々に名乗りをあげているのは、まさにそのことを傍証しているといえるだろう。

 それにしても驚かされるのは、ナレーションも演出もBGMもない、その場で起きた出来事をシンプルに記録しただけのアクシデンタルな“ドキュメンタリー”が、クリントン陣営が繰り出すどんな反トランプCMよりも、トランプに警鐘を鳴らす権威ある新聞の社説よりも、選挙の結果に大きな影響を与えそうだということである。

 目の前の現実を記録し「観て」「聴く」ことの力。それはとりもなおさず「ドキュメンタリーの力」である。そしてその力は決して侮れないのだと、改めて思った。

***

 ところで、仮定の話ではあるが、たとえば安倍晋三首相について今回のようなビデオが発掘されたとして、日本のマスメディアは選挙期間中にそのビデオを公開するだろうか。「公平ではない」「中立ではない」と批判される可能性を恐れて、選挙前には公開しない可能性が高いのではないかという気がするのだが、いかがだろうか。

 ちなみにアメリカの選挙では、候補者を見定めるための材料を選挙前にこそ示すのがメディアの責任だという常識が浸透している。選挙前だから自粛するという発想はありえない。その当たり前のことが、日本では当たり前ではなくなっているような気がしてならない。

 

  

※コメントは承認制です。
第45回 トランプのビデオが示した“ドキュメンタリー”の侮れぬ力」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    はからずも「映像の力」「ドキュメンタリーの力」を見せつけることになった、わずか3分間の映像。目や耳を塞ぎたくなるような不快さですが、多分トランプ氏にとってはあまりに日常的な言動で、それが何年も後になって自分の足を引っ張ることになるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。
    そして、もし日本の政治家についての同じような映像を、日本のメディアが入手したら? という想田さんの問いかけにも、うーん…。〈候補者を見定めるための材料を選挙前にこそ示すのがメディアの責任〉、ごくごくまっとうな、当たり前の考え方だと思うのですが。

  2. 樋口 隆史 より:

    ハリウッドの一部の大人向けコメディ映画のワンカットのようなシーンですね。ブッシュ家の人も出てきたあたり、偶然でしょうか。わたしは下品なジョークが好きな馬鹿者ですが、さすがにこれ、大統領になりたがっている人のやりとりとなると恐怖を感じます。でも、下品な会話はとても上手なので、トランプさん、大統領になるを止めてテレビで「トランプショー」を初めたほうが失礼ながら身丈に合っていると思います。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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