安保関連法制ほか、重要な国会審議でたびたび安倍首相を追及してきた辻元清美さん。その辻元さんの新刊『デマとデモクラシー』(イースト新書)刊行記念として、トークイベント「これからのデモクラシーを考える」(6月16日開催@下北沢 主催:本屋B&B)が開催されました。ゲストは1980年代から共に市民運動に励み、1996年の衆議院選挙で同期当選した保坂展人さん。衆議院議員、世田谷区長、それぞれの立場からみた、国政と地方政治の問題とは? 政治生活20年を迎えるお二人の対談をお送りします。
辻元清美(つじもと・きよみ)1960年奈良県生まれ。大阪育ち。早稲田大学教育学部卒業。学生時代に国際NGOを創設。1996年、衆議院選挙で初当選。NPO法を議員立法で成立させ、被災者生活再建支援法、情報公開法、男女共同参画基本法、児童売春・ポルノ禁止法などの成立に尽力する。国土交通副大臣、災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官、民進党役員室長などを歴任。著書は『へこたれへん。』(角川書店)、『世代間連帯』(上野千鶴子・東京大学名誉教授と共著 岩波新書)、『いま、「政治の質」を変える』(岩波書店)他。
保坂展人(ほさか・のぶと) 1955年宮城県生まれ。1980年代から90年代にかけて、教育問題を中心に取材するジャーナリストとして活動。1996年、衆議院選挙で初当選。2009年までの3期11年で546回の国会質問に立ち、「国会の質問王」との異名をとる。2011年、世田谷区長選挙で初当選。区内で車座集会ほか、区民参加の意見交換の場を次々と設け、今後20年の「世田谷区基本構想」をまとめる。著書は『88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方』(ほんの木)、『闘う区長』(集英社新書)他。
都知事選は東京都政が
生まれ変わる大きなチャンス
辻元 保坂さんと私の最初の出会いは、私が大学生のとき。1983年に国際交流NGO「ピースボート」を設立して、第1回クルーズで保坂さんに船内のイベントを担当していただいた。当時、ジャーナリストで「学校解放新聞」を発行していた保坂さんに、「手伝ってください」と声をかけたんですよね。
保坂 あのときは船の中で新聞をつくったり、いろいろなイベントを考えて開催したのを思い出しますね。
辻元 それから13年後、1996年の10月に私たちは、土井たか子さんに呼ばれたんですね。日本社会党はその年の1月に社会民主党と改称して、土井さんは党首になったばかり。「何やろ? 今度の選挙のボランティアをやって」みたいな話かなと思ったら、いきなり「あなたたち、立候補してちょうだい。保坂君は東京、清美は近畿。明日までに返事して」。2人で喫茶店に行って「どうしよう、明日までに決めなきゃいけないけど」と話したのを、私、はっきり覚えている。それで2人とも「やります」と返事をした。
保坂 たしか10月4日に会見をしたんです。
辻元 10月1日に土井さんに呼ばれて、翌日「やります」と返事をして、4日に会見、8日が公示日で、20日に初当選した。
保坂 スピード感がありましたね。
辻元 あり過ぎ(笑)。2人とも、1カ月前にはまさか国会議員になっているとは夢にも思っていなかった。そんなわけで私たちは、1年生議員として自社さ(自民党・社民党・新党さきがけ)連立政権の中に入って悪戦苦闘した同志でもあるんですよね。
保坂さんが世田谷区長になられてからはゆっくり話すのは久しぶりで、聞きたいことはたくさんあるんですけど、まず舛添さんが辞任して、そのことはどう思われます?
保坂 舛添さんの辞任騒ぎについては、たしかにメディアに叩かれるだけの問題ではありましたが、度が過ぎていましたね。連日の舛添劇場で甘利さんの現金授受疑惑も隠れてしまったし、その間に問われなければいけない重要な問題がすべてニュースから消えてしまった。
さらに過去にさかのぼれば、石原都知事などは堂々と公私混同をしていた。海外視察についても石原さんの時から豪華なホテルに宿泊していたし、新銀行東京の損失だって舛添さんが使ったお金とは桁違いですよ。そのような石原さんに対して、メディアの批判は舛添さんの1万分の1もなかった。この差は何なんだろうと思いますね。
辻元 私の選挙区がある大阪府は、前の府知事が橋下徹さんで、もっと前は横山ノックさんだった時代もある。だから大阪から東京のことはあまり言えないのだけれど、東京都民はしっかりせなあかん、と思うんですよ。東京都全体の年間予算は14兆円くらいで、スウェーデンの国家予算に匹敵するといわれている。それなのに大多数の都民は、予算や都議会のチェックをしていなかったんじゃないかな。今度の都知事こそ、都民がちゃんと選ばないといけないと思うんですけど、保坂さんはどういう人がいいと思いますか?
保坂 都庁というのはね、実は最も硬直した役所なんです。戦前の日本の官僚組織が、そのまま残ったみたいなところと言ってもいいかもしれない。議会の質問も答弁も全部原稿があって、アドリブはほとんどない。それを勝手に変えようものなら、役人が飛んできて、大きな会派だと上から圧力をかけられる。つまり丁々発止のやりとりもないし、あまり注目されない議会なので、多くの都民は都政を監視してこなかったんです。そうして都民が関心をもたずに、石原、猪瀬、舛添と、自民党に近い知事が3回続けて任期半ばで辞めてしまった。
だから都知事選では「次こそ、きちんとやってくれそうな人」というように、また誰かに依存してはだめなんです。都庁としては、御輿に乗ってくれる人、余計なことをしない人が望ましい。そんな固い岩盤のような組織の中に、新しい知事がぽんと着任して、政策をどんどん推し進めていくのは大変ですよ。だとしたら実務をしっかりできる人、しかも福祉や教育の現場に立脚できる人を選んで、都民が後押しできれば、都政が変わる大きなチャンスになるかもしれない。
辻元 参院選の1人区は、野党と市民連合が共闘しているので、「都知事選もみんなが合意できる人を出せればいいね」という話をしています。必ずしも知名度にこだわらず、いい人を選びたいですね。
ネットの「デマ」が
民主主義を揺るがしている
辻元 今、国政も地方政治も、民主主義が揺らいでいると思うんです。それは政治と市民の間にネット上の「デマ」が侵食してきて、「デモクラシー」が歪められていることも要因になっている。私の新刊『デマとデモクラシー』ではそうした現状を問い直しているんですね。
例えば、私が道を歩いていると、向こうからやってきた人が「売国奴、死ね!」とすれ違いざまに言ったりする。街頭演説をやっていると罵詈雑言を浴びせられる。そんなのは日常茶飯事なんです。じゃあ、そういう人たちは私がやってきた活動をどう見ているかというと、ネット上に流れている情報とほぼ一致する。ネットの根拠のないデマを信じて、政治家としての私を見ているんです。
保坂 辻元さんの本にも書かれているけれど、かつてのデマは主に怪文書で流されていた。それは回収したり、「違いますよ」と否定したりすることができたんです。ところがネットは瞬時に拡散して、否定してもずっと残ってしまう。そうして残ったデマがネット空間に根を生やして、さらに広がっていく時代になってきたんですね。
辻元 デマは国政にも影響していて、安倍さんが国会で私にヤジを飛ばしたことがあったでしょう。安保法制特別委員会で「早く質問しろよ」と言った。その直後からネットで「辻元が30分以上、延々と演説したから総理が注意した」というデマがバーッと流れたんです。後で調べたら、安倍さんがヤジを飛ばしたのは、私が質問を始めてから3分50秒の時点。そうするとデマを信じた人から、「30分以上も喋るのが悪い」みたいな抗議の電話がとめどなくかかってくる。
保坂 安倍さんを信奉する人はいるんですよ。その安倍総理が「早く質問しろよ」というのは「きっと深甚な意味があるに違いない」と思って、堰を切ったように攻撃する。
辻元 これ、何が問題かというと、質疑の内容を国民と共有できなくなってしまうんです。総理ともあろう人がヤジを飛ばすのもとんでもないけれど、ヤジだけに注目が集まって、そのうえ間違ったデマが広がって、安保法制の国会審議そのものから目がそらされてしまうんですね。
とにかく安倍政権になってから、真偽がさだかではないネットの情報が政治の中に入り込んできています。ISILによる人質殺害事件について、去年、予算委員会で質問したときにびっくりしたのは、安倍さんが「ISILは日本の支援が人道支援だとわかっていたんですよ」と答弁して、エジプトでの演説を正当化した。それは私が質問に立っている席から見えたんだけれど、官僚が後ろから安倍さんに渡した紙をそのまま読んでいる。その内容は、安倍政権の人質事件の対応を擁護する学者がネットに上げた通りだった。あまりにおかしいんで、「総理答弁の根拠を示せ」と外務省に言ったら困ってしまって、「官邸に確認します」との返事でしたが、何週間たっても出てこなかった。国会中継もやっている予算委員会での総理答弁を、外務省が把握していない。では誰がつくっているのか。例の「リーマンショック前夜」のペーパーを官邸が勝手につくったのによく似ています。
問題は、総理がコトバにしたものは公的な事実になってしまうことです。どんなに「おかしいでしょ」といっても、正面から認めない。認めるときはそーっとやるから、すでに世の中に流布した「ウソ」を上書きできないんです。そういうことが、もう何度もあった。
保坂 総理の言葉はもし事実誤認があったら、すぐに訂正しなければ本来は許されないはずですよね。国立国会図書館のホールには「真理がわれらを自由にする」という言葉が刻まれています。戦後すぐの参議院議員であり、参議院図書館運営委員長だった羽仁五郎さんは、戦中の政治が真理に基づかなかったために悲惨な状況に至ったことを踏まえて、「調査や記録は国会に所属している機関が果たしていかなければならない」という旨のことを述べています。それは長らく戦後政治の共通認識だったと思うんです。
だから辻元さんとぼくが国会議員になったころは、新人議員であっても、小党の議員であっても、歴史的に正しいことを言ったら、それは認められたんですよ。与党がそこでねじ曲げるようなことはしなかった。ところが安倍政権になってからは、野党の言う事実を認めず、自らが間違ったときにも「間違った」とはなかなか言わない。
沈黙しないで議論のできる
社会をつくっていく
辻元 私たちが初当選したころは、自民党はもっと懐が深かったじゃないですか。自民党と社民党は対立もしたけれど、おたがいに尊重して議論をしていましたよね。
保坂 だって、ぼくたちは連立政権に入ったわけだからね。自民党側からすれば、この若い2人に連立政権の意義を理解させて、しっかり働いてもらおうと思っていたわけでしょう。
辻元 野中広務さんなんか、よく懐柔しに来ていたよね。内閣官房副長官だった与謝野馨さんは、盗聴法(通信傍受法)をめぐって保坂さんと何回も会合を開いて、何時間も議論をしていた。
保坂 26回、会合をやりましたね。
辻元 26回も、1年生議員の保坂展人と官房副長官が話し合う場をつくるという現実があったんです、20年前は。
今は違う、問答無用ですよ。1年生議員が自民党内で反対意見なんて言えないし、野党の言葉にはまったく耳を貸さない。なぜなら安倍さんに反対する人はみんな敵だから。意見を聞く必要なんかないと思っている。だけど、そうやって政治の世界で、敵とみなした相手を攻撃していくと、日本の社会を分断することにつながるんじゃないかと思うんです。社会には、考え方が違う人がいて当たり前。その考え方の違う人たちと、どう折り合いをつけて共に生きていくかという技術が政治ですよね。相手を打ち負かして、勝つことが政治じゃない。
保坂 それは日本だけの話ではなくて、アメリカの共和党大統領候補になったトランプも同じですね。敵を叩く単純な言葉でどんどん煽る。そして、むちゃくちゃだけれど元気がいい言葉に励まされる人たちもいる。排外主義が台頭しているヨーロッパの国々にもいえることですが、いまや世界中にトランプ的言動は溢れている。そういう時代の空気がデマをつくり、そのデマがリアルと混ざって、人々の憎悪を掻き立てているような気もしますね。
辻元 その憎悪の感情を育てているものは何なのかといったら、日本の場合、人々の沈黙だと私は思うんです。例えば、安保法制とか待機児童のニュースを見て「おかしいな」と思っても、近所や職場で「政治的なことを言っても…」とためらって、ものを言わなくなる。すると、国会前で抗議したSEALDsの学生やママたちや、ものを言っている人たちにネットで攻撃が集中する。攻撃されている人たちを見ると、多数の人たちはますます言えなくなる。そうした沈黙の土壌が広がって、個人攻撃やデマがのさばっているように思うんですね。
保坂 ぼくはハフィントンポストというニュースサイトで毎週連載をしていて、最近、辻元さんが言うことと同じことを書きました。日本社会の多数派は「沈黙の現状追認」であり、意見を言う、発言をすること自体がすでに少数派である、と。
それを変えるには、小さいころから討論と自己決定の機会をつくらなければいけないんです。今の子どもたちは、自分の意見を言って何かが改善された経験がない。自分の意見を言うと逆に、いじめられたり仲間はずれになる。敵と認定されるんですね。だから小学生のうちに学級会などで、みんなで話し合って発言したり譲歩したりしながら、いろいろなことを決めていく、デモクラシーを体現していく必要がある。
辻元 子どものうちから自分の意見を言えるようにすることと、大人も変わらないといけないですよね。昨日も、ある人から「ちょっと、辻元さん、陰ながら応援しているからね」って声をひそめて言われたんですよ。「いや、私もいろいろあるから」って(笑)。その人の気持ちもわからないではないけれど、大人たちのそういう態度が、結局は今の政権を支えてしまっていると思うんですね。
私も国会で発言すると、あちこちから攻撃されたりバッシングされたりしてしんどい。だけど、自分の生き方として、おかしいことには「おかしい」と言い続けたい。私が声を上げ続けることで、同じように「おかしい」と思っている人が、1人ずつでも「おかしい」と言うようになる。そうすれば社会はちょっとずつでも動く、変えられると思うんですよ。
市民と野党が力を合わせて
参院選を勝ちとりたい
辻元 舛添騒ぎでかすんだ感がありましたが、参院選がだんだん近づいてきて、32の1人区では野党の統一候補ががんばっています。私は応援で全国を回っていて、東北、それから北信越あたりの1人区はいけそうな感触です。どちらかというと西のほうがちょっと弱い。
保坂 自公とおおさか維新などの改憲勢力に3分の2をとらせないためには、野党がとれそうなところは確実に勝たないといけないですね。
辻元 そう、きついですよ。でも、市民連合ほか市民の組織がものすごく動いてくれている。大阪府の場合は4人区で、自公、おおさか維新、野党が熾烈な闘いをしているんですね。複数区だから野党はそれぞれ候補者を立てているんですけど、民進党と共産党で2議席とろうよということで、関西市民連合が2党合同演説会をやってくれた。野党同士ではできないことを、市民連合が企画してくれたわけですよ。情勢は行きつ戻りつで、どっちに転んでいくのか見えにくいけれど、こういう市民のうねりがあるから、いいほうに転がる可能性はある。
保坂 たしかに区長の立場からみても、社会を変え得る市民の力は伸びていると思いますね。昨年の区長選は、自公推薦の新人と、現職のぼくの対決でした。自民党は「国政と都政と直結できる新区長を」とさかんに宣伝していたけれど、蓋を開けたらぼくが19万6千票で、相手は9万6千票のダブルスコア。ただ、世田谷区民がリベラルなのかというと、そうではなく区議会の議席は自民党がかなりとったし、公明党もとった。ほかの区とそんなに変わらないんです。
では、区長選はどうして勝てたのか。それはやはり2011年に区長に就任してからやってきた4年間の政策を区民が見てくれたと思うんです。区長選の結果から推計すると、自民党や公明党支持層の相当の数の人たちがぼくに入れてくれたようです。ということは、内閣支持率は大きく落ちないけれど、コアな自民党支持者は決して多くはない。自民党ではなくても、ちゃんと政策を示せば市民は見てくれるし、区で進めている無作為抽出型のワークショップでも、区政に対するすばらしいアイデアがたくさん出ています。そういう市民の力が大きくなっていることは、ひとつの希望じゃないですか。
辻元 私の大阪10区も、おおさか維新がむちゃくちゃ強いところなんです。でも、私は選挙の演説では「みなさん、そんなに維新や自民が好きなら、私を落として、全部の議席を維新と自民だけにすればいいじゃないですか。その勇気がありますか?」と問うんです。そうすると小選挙区で私が勝って、維新と自民は落ちるんです。
しかも、その大阪10区の島本町の町議会は、男女同数の議会なんですね。町民ががんばって、女性議員を増やしていった。国政だけに頼るのではなく、地域で多様な意見を取り入れて、市民が活動しやすい政策や制度をつくれば、生きやすい社会にしていける。そんな地域の力を結集して、参院選もできるだけ勝ちたいと思いますね。
保坂 東京都民にかぎっていえば、あれだけの舛添劇場があったので、参院選よりも都知事選のほうが盛り上がるかもしれません。どういう候補者が浮上してくるのか、まだわかりませんが、都知事選の様相が参院選にも影響をおよぼすのは間違いない。都知事選も野党の統一候補も含めて、いい人が出てくればと思っています。参院選とともに安倍政権から民主主義をとりもどす結果になってほしいですね。
ネットの情報やメディアのいうことを鵜呑みにせず、意見の違う人とも対話をしていく勇気をもつこと…政治家頼みにするのではなく、市民もいっしょになって政治をつくっていく力をつけていかなくてはいけないのだろうと思いました。参院選、都知事選と大事な選挙が続きますが、自分でしっかりと考えて、調べて、投票したいと思います。
だからどっちか立候補すればいいじゃん!保坂さんは保育の問題とかまさにタイムリーだし、辻元さんは小池さんへの最強の刺客だし!