柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 「政治とカネ」――数々の疑惑を釈明できず、舛添要一・東京都知事が辞任した。前任の猪瀬直樹・都知事もカネの問題で辞任しており、2代にわたる失脚である。その前の石原慎太郎・都知事も任期途中で投げ出しており、3代もおかしな知事が続いたことになる。ここまでくると、選んだ都民のほうにも責任の一端はあり、4年間に3度もの都知事選(1回46億円もかかるとか)、今度こそ都民よしっかりせよ、と言いたい。
 それにしても、舛添氏に対するメディアの追及はなかなかのものだった。6月に入って連日のように大々的な報道が続き、とくにテレビの熱心さがひときわ目立った。東京都知事の問題なのに、全国ネットでニュースの時間だけでなく、ワイドショーのような番組まで、それこそ朝から晩までやっていた印象である。
 ひと言でいえば、舛添氏の疑惑は極めて分かりやすく、その点でもテレビ向きだったといえようか。正月を家族とホテルで過ごし、知人を呼んで私室で「会議」をしたと公費で落とす、趣味の美術品を公費で買いまくり、書道にいいと中国服まで、とは思わず笑ってしまうような「せこさ」というか「みみっちさ」というか…。
 一方、舛添氏の対応も、最初の開き直りから、2人の弁護士への調査依頼、それでも逃げ切れないと分かってからは謝罪に次ぐ謝罪、最後は涙ながらの延命嘆願と、そうした変化もすべて映像がありテレビ向きだった。依頼人の期待に応えるのが弁護士だというのに「第三者」とは。しかも舛添氏の言い分を聴いただけで調査もしていないのだから驚くほかない。
 メディアの、とくにテレビの追及のすごさに、「ちょっとやりすぎではないか」という声も上がった。海外から日本のメディアを批判する言葉に「スタンピード現象」というのがある。野牛の群れは1頭が走り出すと群れ全体がどっと走り出すさまをいう言葉で、今回もそれに近かったとはいえよう。
 しかし、今回のケースは「やりすぎ」とまでは言えないように思う。というのは、舛添氏の最初の対応は、「どこが問題なのか」と開き直ったといってもいい態度で、メディアの追及がなかったら、そのまま居座ってしまった可能性もあるからだ。都議会も、最後は厳しく追及していたが、最初のうちは百条委員会の設置にも消極的で、メディアの報道で都民から何万件にも及ぶ抗議の電話が殺到して、やっと腰を上げたのである。
 そういえば、東京都の監査委員会は何をしていたのか。公費の使い道について、しっかり監査をしていたのかどうか。メディアはそういう追及もしてもらいたいし、舛添氏が約束した美術品の行方などもしっかり追跡してもらいたい。

甘利氏は「国策不起訴」だ、
メディアは検察庁も追及せよ

 メディアが「スタンピード現象」に陥ったとき、最も注意しなければならないのは、そのかげになって何か隠されていることがないかどうか、見極めることである。政治とカネの問題では、舛添氏のかげに隠れた形になったのは、前経済再生担当相の甘利明氏の疑惑である。甘利氏は「口を利いた謝礼として多額の現金を受け取っていた」というのだから、舛添氏より悪質な、まさに犯罪行為ともいうべきものだ。
 それなのに甘利氏は、疑惑が明るみに出るや、説明責任も果たさず、大臣を辞めただけで、病気と称して国会にも出てこなくなった。東京地検特捜部が捜査に乗り出し、関係個所を家宅捜索するとともに、甘利氏と、カネを贈った側とを任意で取り調べたが、結局、不起訴処分とした。
 検察庁の捜査に「国策捜査」という言葉がある。政府や与党に都合の悪い政治家や官僚を被疑者に仕立てて失脚させることをいう。国策捜査があるなら、「国策不起訴」というのもあるのではないか。
 最近の国策不起訴の例としては、福島原発事故がある。工場で火事があっても刑事責任が問われるのに、あれだけの事故を起こしながら、しかも、数々のミスが明らかになっているのに不起訴にした。その後、検察審査会によって「強制起訴」とはなったが…。
 甘利氏の場合は、現金を贈った側が「口を利いてもらったお礼だった」とはっきり認めているのに、検察庁はあっせん利得処罰法の適用には無理があるとして起訴できなかったというのである。
 ところが、「週刊文春」6月16日号によると、現金を贈った側の人が検事の取り調べに対し、「口利きのお礼」と述べたとき、なぜか検事は調書に取ろうとしなかったというのだ。最初から起訴するつもりがないのなら、それこそ「国策不起訴」だろう。甘利氏は、安倍政権の中枢にあって、TPPの交渉を一手に引き受けていた人だったからではないか、と勘繰りたくなる。
 甘利氏は、不起訴と決まり、国会も閉会になるや、病気も治ったと出てきて「これから政治活動に復帰する」というのである。
 いまからでも遅くはない。メディアは舛添氏の場合と同じように総力を挙げて、それこそ「スタンピード現象」だと批判されるぐらいの勢いで、甘利氏の疑惑と、それを不起訴にした検察庁を追及してもらいたい。「ジャーナリズムの使命は、権力の監視にある」のだから…。

原子力規制委は『変身』したのか

 検察庁や警察は政府の一員だが、社会正義の実現のためのチェック機関でもある。チェック機能が衰えると社会は健全さを保てなくなる。原発のチェック機関は、原子力規制委員会である。
 福島原発事故が起こる前は、原子力安全・保安院だったが、電力会社の監督官庁で原発推進派の経済産業省の管轄下にあったため、やるべきチェックもやらず、福島原発事故を起こしてしまった。国会事故調から「規制する側が、規制される側の虜になっていた」と評されたほどである。
 それではいけないと、独立性の強い原子力規制委員会が生まれ、最初のうちは電力会社が悲鳴を上げるほど、厳しく対応しているように見えた。ところが、その原子力規制委の最近のチェックぶりはどうだろう。
 自ら定めた「原則40年」という原発の寿命に関する規制を早くも破って、高浜原発の1、2号機の運転を最大20年も延長することを認めたり、熊本地震が頻発しても近くの川内原発の運転を一時止めて様子を見るというような姿勢も見せず、わざわざ「止めないでよろしい」と発表したり、とまるで『変身』したかのような状況なのだ。
 その原因は分からないが、地震対策や活断層との関係で厳しい姿勢を見せ、電力会社から最も煙たがられていた島崎邦彦・副委員長が、2年の任期が来たからと再任せずに交代させられたことと無関係ではあるまい。
 チェック機関というのは、規制される側から煙たがられるくらいでないとだめで、またもや「規制される側の虜」になってしまったら、どうしようもない。メディアもチェック機能を発揮して、原子力規制委にも目を光らせていてもらいたい。

沖縄の女性殺害事件に対する県民抗議集会まで、
「事件の政治利用だ」とは!

 6月の沖縄では、重要な集会が2つあった。一つは、6月19日に開かれた元米兵による女性殺害事件に抗議する県民集会で、主催者発表によると6万5000人が集まったという。沖縄県民の怒りがどれほど大きいか、はっきり表れた集会だった。
 ところが、この県民集会に、沖縄県の自民党と公明党が参加を見合わせたというのだ。理由は、集会で米軍の撤退を求める要求を掲げていることが「殺人事件の政治利用だ」というのだから、驚く。
 沖縄で米軍関係者による犯罪事件が多発しているのは、本土の0.6%の面積しかない沖縄に在日米軍の74%が集中している状況からきていることは明らかであり、そのうえ、まるで占領下にあるような日米地位協定もある。米軍の撤退を求めることは当然の要求だといえよう。それが「政治利用だ」とは。
 「憲法を守れ」という集会まで政治利用だと公民館の使用を断る自治体まであるというおかしな時代ではあるが、「殺人事件まで政治利用するな」という主張まで出てくるとは、なんとも息苦しい国になったものである。
 沖縄にとってもう一つの重要な集会は、6月23日の慰霊の日である。太平洋戦争の末期、本土で唯一の地上戦のおこなわれた沖縄での組織的戦闘が終結した日である。この地上戦では、県民の4人に1人が死亡しているのだ。
 当時の日本の軍部は、沖縄を捨て石にして本土決戦を叫び、戦争を長引かせたが、沖縄戦の終結を機に戦争を終わらせていたら、ヒロシマ・ナガサキもなければ、ソ連の参戦もなかったのだ。
 沖縄県民は、悲惨な地上戦を体験したうえ、戦後も長い間、米軍の占領下にあり、本土復帰後も米軍基地は居座ったままになっている。日本政府は、沖縄県民をいつまで「捨て石」のままにしておくのか。
 慰霊式には安倍晋三首相も出席して来賓あいさつを述べたが、いま県民と激しく対立している普天間基地の辺野古への移転問題にはひと言も触れなかった。それに対して翁長雄志・沖縄県知事は「平和宣言」で「辺野古基地はつくらせない」とはっきり述べた。
 この翁長知事の発言に対しても、自民党内から「慰霊式の政治利用だ」という声が上がったという。沖縄はもう、日本から離脱して独立するほかないのかもしれない。

英国のEUからの離脱、
予想に反して世界中が大騒ぎ

 英国の国民党投票の結果、英国はEUから離脱することになった。国民投票を提起したキャメロン首相をはじめ、世界中の主要な国々は、最終的には残留が多数を占めるものと予想していたため、世界中が大騒ぎになった。
 とくに世界の金融市場がユーロもポンドも株価も大暴落し、混乱は当分、収まりそうもない。キャメロン首相は辞意を表明したが、英国内の体制の立て直しがどうなるのか、残留組が多かったスコットランドが、逆に英国から離脱して独立するための国民投票を再度、提起する動きが出るなど、これからの動きの予想さえ立たない。
 日本のメディアも、最終的には残留に落ち着くものと見ていたせいか、大慌てで対応に追われている。
 私は経済にうといので、日本の円高、株安が今後どうなっていくのか、見当もつかないが、EUについては私の期待する世界連邦への第一歩だとみていただけに、EUが崩壊に向かうとしたら残念でならない。
 英国だけでなく、EUのなかにも「自国主義」ともいうべき考え方が広がってきており、米国でもトランプ氏が大統領候補に選ばれるところまで来ている。もし大統領にでも選ばれたら、世界はバラバラになってしまうかもしれない。
 当分は、世界の動きを冷静に見つめていくほかない。メディアもいたずらに大騒ぎはせず、考えさせるデータを提供するよう求めたい。

参院選、序盤の情勢は与党優勢?!

 参院選が公示され、メディアはほぼ一斉に、世論調査を中心とした序盤の情勢分析を報じた。それによると、いずれも与党が優勢で、「過半数を超える勢い」「3分の2をうかがう」といった見出しが躍った。
 今度の参院選は、何度も言うように、安倍政権が憲法違反の疑いの濃い「安保関連法制」を強行採決で成立させてから初めての国政選挙であり、当然、最大の争点は安保法制のはずなのに、安倍首相も公明党の山口代表も、街頭演説では安保法制のアの字も言わず、もっぱらアベノミクスが争点だと言い続けている。
 過去の総選挙では、安倍政権はいずれもアベノミクスを争点にして大勝するや、選挙中にはほとんど触れなかったテーマを出してきて、閣議決定や強行採決によって実現させてしまうというやり方をとってきた。それをまたまた、やろうというのか。選挙民はそれをまた許すのか。
 勝敗のカギを握るのは、32ある一人区だ。そのすべてで実現した野党共闘が、成功するかどうかにかかっている。
 序盤の世論調査では、まだ投票先を決めていない人が4割近くもおり、その人たちが投票日までにどう動くかが、勝敗の行方を左右しよう。
 与党だけでなく改憲派が3分の2を超えれば、安倍政権は改憲に動き出すことは間違いあるまい。選挙民は、与党が触れたがらないテーマにも、しっかり目配りをして投票することが求められる。

 

  

※コメントは承認制です。
第91回 政治とカネ、舛添氏の次は甘利氏の疑惑と不起訴を追及せよ」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    今回のタイトル、〈舛添氏の次は甘利氏の疑惑と不起訴を追及せよ〉に、思わず「そうだ!」とうなずいた人も多かったのではないでしょうか。舛添氏のやったことがいいとはまったく思いませんが、どちらが悪質で根深い問題かといえば、答えは明らかです。
    本質的な問題が、目を引く分かりやすい問題の陰に覆い隠される。こんなことを、私たちは何度経験してきたでしょうか。これ以上同じことを繰り返さないように、参院選前、もう一度顧みておきたいと思います。

  2. 島 憲治 より:

    政治に関わらない催事などあるのだろうか。生活に関わることは全て政治に関わるからだ。自分の立位置を権力に媚びることで確保、保身を図るという、自立した人間が絶滅危惧種になっている表れである。立憲政治を基盤とした成熟した民主主義を支える石垣が、大雨でもなく、地震でもなく、国民の手で崩されているのだ。
    > 沖縄はもう、日本から離脱して独立するほかないのかもしれない。     沖縄の民主主義は日本国では通用しないのだ。独立にはどんな闘いが待ち構えているのか。独立運動の父、と呼ばれるような指導者が出てこないものだろうか。                             

  3. 7.1 より:

    >沖縄戦の終結を機に戦争を終わらせていたら、ヒロシマ・ナガサキもなければ、ソ連の参戦もなかった
     45年2月近衛文麿は〈国体護持〉の立場から早期終戦を提案した近衛上奏文を天皇に提出してたんで、この辺りで止めていれば沖縄戦もなかったワケです。44年7月のサイパン失陥で敗戦必至であることは悟っていました。
     軍部の敗戦引き伸ばしは、失敗の責めは開戦を決めた者ではなく失敗時にそのポストに偶々居た者であるという官僚の掟の故。つまり、次の人事異動で自分がそのポストを外れ、処罰の対象から外れるまでは権限を行使し身内以外を何百万人無駄死にさせようとも絶対に戦争を止めず続けていたというのが真相。で、終戦工作で片思いのソ連の参戦で万事休して降参。しかし、敗戦後に向けてお手盛り昇進、国有財産の横領、証拠隠滅と口裏合わせ、部下への戦犯擦り付けをし、戦勝国に取り入って生き残り、恩給と軍隊を復活させ日本会議に繋がる組織をドライブさせたと。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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