雨宮処凛がゆく!

 3・11以降、この国には「がんばろう」の他に「助け合い」や「絆」という言葉が溢れている。

 実際、多くの人が被災地にボランティアに駆けつけ、多くの義援金が集まり、そしてまた多くの物資が被災地に届けられた。

 私の周りにもボランティア活動をしている人が多く、彼ら・彼女らの活躍には本当に頭が下がるばかりだ。多くの義援金や物資が寄せられたことも素晴らしいと思う。

 しかし、3・11以降、ずっと気になっていることがあるのも事実だ。その「気になっていること」は、08年暮れから09年のお正月にかけて開催された「年越し派遣村」の時に感じたこととも重なる。あの時、私が感じたのは「自己責任の線引きが変わった」ということだ。

 派遣村まで、派遣切りに遭おうとホームレスになろうと、すべては「自己責任」という風潮はひどく強かったように思う。しかし、年末に住む場所も職も所持金も失った人たちが日比谷公園に500人以上押し寄せ、テントで年を越したという事実はこの国の人々に大きなインパクトを与えた。以来、「真面目に働いているのに派遣切りに遭った人」への目線は変わったものの、「そうではない人」への視線はもっと冷たいものになった。例えば、ホームレス歴が長い人。本当はその人だって失業がきっかけで路上生活が長引いているかもしれないのに、なぜか見た目などで「こいつは働く気がない」と勝手に判断され、「助ける必要などない」と分類されてしまうような構図。「助けるに値する人」と「値しない人」という線引きは、「生きるに値する人」と「値しない人」を選別する恐ろしい線引きだと思う。しかし、この線は、今もあちこちに引かれている。

 3・11以降も、そんな線引きを至るところで感じる。例えば、致し方ないことだが、貧困問題などの優先順位はメディアをはじめとして明らかに低くなっているし、「被災していないのに生活に困窮している人」への視線は、以前と比べて随分と冷たいものになったように思う。しかし、被災者支援には、貧困問題、生活困窮問題のノウハウが多く生かされている。家を流された、職を失った、職場が被災した、所持金が尽きた、住宅ローンの支払いができない、等々。そんな被災した人たちの生活再建に、これまで貧困問題などにかかわってきた人たちが多くかかわり、具体的な手助けを行なっている。震災からそろそろ1年経つが、私にとってこの1年近くは、貧困問題のノウハウは、災害時にも大きく役立つということを確認する1年間でもあったのだ。だからこそ、「被災してないのに貧困とか甘えてる」的な空気には抗いたいと思う。

 さて、前置きが長くなったが、そんな私でさえ思わず「自己責任の線引き」を引いてしまいそうになるような本を読んだ。

 それは『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(水谷竹秀 集英社)。
 副題通り、フィリピンに渡った挙げ句に所持金を使い果たし、異国の地でホームレスとなっている日本人男性たちを追ったノンフィクションだ。大半が、フィリピンクラブで出会った女性を追いかけて渡航した果てにお金を使い果たしてホームレス、というコース。一旦所持金ゼロになれば、帰国は容易ではないという。ビザの延長ができずに不法滞在状態となり、そうなると罰金を納めないと帰国できない。もちろん航空チケット購入にも数万円が必要だ。日本にいる家族から送金してもらえればいいが、多くは家族との関係は切れている。

 そうして異国の地でホームレス生活をする男たち。

 そんな本書に登場する48歳の「吉田」さんは元自動車部品工場の派遣社員。本書には、「私が出会った困窮邦人で、フィリピンに来る直前に自動車部品工場の派遣社員を経験したのは、吉田だけではなかった」という記述がある。

 「派遣は孤独だわ、あんなとこ友達なんかできへんよ」と語る彼は、「だから南国のイメージがいつも頭の中にあってね」と続ける。そうした日本で知り合ったフィリピン人女性を追って渡った南国でお金を使い果たした彼は教会で寝泊まりし、日当20ペソ(約40円)で露店の手伝いをし、生き延びている。現金がないので帰国することはできない。

 また、大手企業で真面目一筋に働いてきたものの、突然フィリピンパブにハマり、希望退職には退職金4900万円が払われるという話に乗って退職、そのままフィリピンに移住した男性もいる。

 一方、フィリピンに来てから病気となり、下半身不随で寝たきりになってしまった日本人男性もいる。もちろん、所持金はない。大使館は帰国させようと手続きをしていたようだが、下半身不随で日本に到着しても迎えの家族も知人もない。「日本の空港に到着してからはどうしたらいいのか」という問いに、大使館員は「交番にでも駆け込めばなんとかしてくれるから」と言うだけ。結局、彼は帰国を拒否。その上、失明までしてしまう。

 そんな「困窮邦人」の中には、実際に命を落としてしまう者もいるという。

 本書を読んでいて驚かされたのは、フィリピンの人々の「助け合い精神」だ。

 自らも貧しいというのに、困窮邦人に食事を与え、時に低賃金ながら仕事も与える。また、下半身不随の男性は、チンさんという女性に助けられている。チンさんは友人に月1万2000円を払い、水浴びや下の世話や歩行練習など彼の世話をさせているのだ。もちろん、男性は所持金ゼロ円。

 「困っている人を助けるのは自然なこと」

 見ず知らずの日本人の世話をする彼女はそう言ってのける。

 本書を読んでいると、日本に足りないもの、そしてなぜ彼らは日本という国を捨ててフィリピンに渡ったのか、何がそこまで彼らを追いつめていたのか、そんなことが浮かび上がってくる。そして日本という国の制度の冷たさ、複雑さ、また、多くの日本人の無関心さや冷たさも同時に見えてくる。

 「助け合い」や「絆」が叫ばれる3・11以降のこの国で、改めて「自己責任の線引き」について、考えさせられる一冊だったのである。

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日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」(水谷 竹秀/集英社)
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※コメントは承認制です。
第219回 日本に足りないもの。の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「絆」や「助け合い」の言葉は美しいけれど、「ここまで」と線を引いた「内側」だけでのそれは、単なる「排除」であることも事実です。
    どこまでが「甘え」で、どこからが「助けるに値する」のか。
    そんなことは、誰にも決められるはずがないし、決めていいことでもないはずだ、と思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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