犯行時に格闘して付いたはずの脛の傷が、実は、逮捕の際には存在していなかった。その後に犯行を「自白」した時点では確認されていたのに――。
1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」。80年に死刑判決が確定した元プロボクサー袴田巖さん(80歳)の再審(裁判のやり直し)請求審で、そんな疑惑が新たに明らかになった。袴田さんの再審開始を認めた2年前の静岡地裁決定は「警察による証拠捏造の疑い」に言及しており、またしても「捏造」をうかがわせる材料が表面化したことになる。
袴田事件では、検察が静岡地裁の決定を不服として即時抗告したため、いまだ再審を始めるかどうかの審理が東京高裁で続いている。袴田さんの弁護団は、今回の疑惑が死刑判決の事実認定に重大な誤りがあったことを示し、これを裏づける警察の調書が再審開始の要件となる「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」にあたると主張する意見書を高裁に提出した。脛の傷が警察官の暴行でできた可能性も指摘しており、高裁の判断が注目される。
疑惑の内容をみていこう。
袴田さんの右足の脛には、逮捕後に犯行をいったん「自白」した2日後(66年9月8日)の段階で「右下腿中央から下部前面に4カ所の比較的新しい打撲擦過傷」が確認されている。医師の鑑定書によると、傷は長さ1.5~3.5センチだった。
「自白」の中で袴田さんは「被害者の味噌会社専務と格闘した際に蹴られた」と供述。「自白」の約1年後に現場そばの味噌タンクから見つかったズボン(「5点の衣類」の一つ)にも、右足前面下部のほぼ同じ位置に「2.5×4センチの大きさの、裏地にまで達するカギ裂きようの損傷」があった。
そこで、もとの死刑判決は、袴田さんは5点の衣類のズボンをはいて犯行に及び、被害者の専務と格闘した際に右足を蹴られたため、ズボンが破れ、その下の脛にも傷が付いた、と認定した。公判で袴田さんが否認に転じる中で、右足の脛の傷は、5点の衣類が袴田さんの犯行着衣であることの根拠として、死刑判決の重要な支えになっていたのだ。
この認定がおかしいことがはっきりしたのは、身体検査調書がきっかけだった。袴田さんが逮捕された当日(8月18日)に警察官が作成したものである。東京高裁の審理の過程で、昨年11月に弁護団が開示を求め、今年になって検察が応じた。
調書によると、身体検査は令状に基づき袴田さんの「全身」について実施し、理由は「創傷の部位、形状、程度を発見のため」とされている。検査の結果、古い傷痕も含めて7カ所の傷が記録されているが、右足の脛の傷は入っていない。「右足の裏に小豆大の古い傷痕2つ」と、とても小さな古い傷までとらえているにもかかわらず、である。
傷を見つけることを目的に、令状まで取っての身体検査であるうえ、医師も立ち会っていたとされるから、念入りに行われたであろうことは想像に難くない。
弁護団が調べたところ、ほかにも、①逮捕当日の8月18日に袴田さんの傷を調べた医師の鑑定書にも、右足脛の傷の記載はない、②留置場に収容する際の身体検査の結果を記した留置人名簿にも、右足脛の傷の記載はない、③事件発生直後(7月4日)に袴田さんが病院で手の指の傷の診察を受けた際、立ち会った警察医が確認した5つの傷の中にも右足脛はない――との事実が分かった。
このため、弁護団は今年5月16日に高裁に提出した意見書で、「逮捕時である8月18日の段階では、袴田さんの右足脛には何の傷もなかったことは明白である」「『自白』直後の9月8日に発見された右足脛の傷は、逮捕後にできた傷である」と分析したうえで、「死刑判決の事実認定に合理的な疑いが生じた」と主張した。
主な経緯を時系列にまとめてみる。
・6月30日:事件発生。
・8月18日:逮捕。調書などに脛の傷の記載なし。
・9月8日:脛に4カ所の傷を確認。格闘で受傷と「自白」。
右足脛の傷が逮捕の後に付いたとすれば、何を意味するのだろうか。
まず、脛の傷とズボンの損傷は「全く無関係」ということになる。脛の傷が犯行時に付いたものではないのであれば、袴田さんがこのズボンをはいて犯行に及んだ証拠にはなり得ないのは自明の理だ。
記憶されている方も多いと思うが、このズボンを含む「5点の衣類」に対しては、2年前の静岡地裁決定が「捏造の疑い」に触れている。袴田さんや被害者のものとされていた血痕のDNA型がいずれも本人と一致せず、味噌タンクに長期間漬けられていたにしては着色の度合いが薄すぎることが理由だった。
こうした経緯も踏まえて弁護団は「ズボンの損傷が、袴田さんの右足脛の傷に合わせて作られた可能性をうかがわせる」と見立てた。そして、「5点の衣類が警察による捏造証拠である可能性がさらに高くなった」と強調している。
また、今回の調書によって、8月18日と9月8日に身体検査にあたった警察官は同一人物だったことが判明したことから、「警察は右足脛の傷が逮捕後に付いたものであることを知っていた」と断じ、それなのに袴田さんに「専務に蹴られた」と嘘の自白をさせたのは「極めて悪質」と批判。さらに、脛の傷が「警察官から暴行を受けて生じた可能性も否定できない」と指摘した。
補足すると、袴田さんの起訴前の取り調べは1日平均12時間にも及んでおり、かつて袴田さんは警察官からその際に暴行を受けたと訴えていた。そういう点を勘案すると、あり得ないこととは言い切れまい。
一方の検察。「右足脛の傷が逮捕時点にはなかったとする弁護団の主張は失当である」と反論しているが、脛の傷が逮捕時点の調書に記載されていない理由は説明していないそうだ。弁護団が、逮捕当日の袴田さんの身体の写真とネガも開示するよう求めたのに対しては「存在しない」と回答してきた。
弁護団は、同様に令状に基づいて実施し、同じ警察官が担当した9月8日の身体検査調書には写真が添付されていることから、「8月18日の際に撮影をしなかったことは考えがたい」とみている。検察が写真を開示しなかったのは「右足脛の傷がないことがはっきりと写っていたからと考える以外にない」と推測している。
西嶋勝彦弁護団長はこれらの状況を踏まえ、今年5月24日に開かれた裁判所、検察、弁護団による三者協議後の記者会見で「右足脛の傷の問題は決着がついた」と自信を見せた。
袴田事件の再審請求では、5点の衣類に用いられたDNA鑑定手法をめぐり、東京高裁が検察の提案に則った方法で検証実験の実施を決めたため、審理が長期化しつつある。検証実験の結果によっては、袴田さんの再審開始決定は取り消され、再び死刑囚として収監されるおそれまで出ている。
注目はDNA鑑定に集まっているが、再審請求審で次々におかしな点があぶり出されていることを忘れてはなるまい。たとえば、今回の疑惑に登場するズボンが、そもそも袴田さんにははけない小さいサイズのものだったことが判明。逮捕直後の袴田さんに弁護士が接見している場面が盗聴されていたことも明らかになった。今回の疑惑を合わせれば、袴田さんの死刑判決には少なくとも「合理的な疑い」があることは明らかだと思う。
今年6月30日で事件発生から半世紀。30歳で逮捕された袴田さんは、3月に80歳になった。釈放されているとはいえ、身分は「確定死刑囚」のままである。一刻も早く雪冤を、と願わずにいられない。
このコラムでもこれまで何度も取り上げてきている袴田事件ですが、本当に知れば知るほど納得のいかないことばかり…。すぐに無罪判決とならないにしても、あぶり出されてきた疑問点を明らかにするための「再審開始」に、なぜこんなにも時間がかかるのでしょうか。
昨年から今年にかけて、『袴田巌 夢の間の世の中』(金聖雄監督)、『ふたりの死刑囚』(鎌田麗香監督)と、袴田事件を扱ったドキュメンタリー映画が相次ぎ公開されています。ぜひ機会を見つけて、ごらんください。