高度成長期に地方は地元の秀才を、将来の国や企業を担う人材として東京へ送り出してきました。東京に出て一旗揚げる。立身出世の考えがまだ生きていたころです。
ところが経済が停滞し、高齢化が急激に進み、国の借金がかさんでいく現在、首都圏で増えている高齢者のケアがままならないので、その一部を地方で受け入れてほしい、という議論が昨年起こりました。
地方にとってみれば、生産年齢人口は都市へ、それ以外は田舎へ、といわれているようなもの。ずいぶんな話ですが、首都圏から人を受け入れる自体は悪いことではないでしょう。
幸い、若い世代のなかには、東京から地方へという気運が生まれつつあります。
最近はほぼ毎週末に開かれている、様々な移住・定住のフェアに出かけると、「東京での生活が行き詰って会社を辞めた。これを機に地方で仕事がしたい」「年金が目減りし、生活が苦しくなった。安心して老後を暮らせるまちはないか」「これまでの会社勤めで培ったキャリアを、地域おこしのために生かしたい」などといった訪問者がいます。彼、彼女は、「○○に行きたい」という場所ありきではなく、東京圏での生活における課題や悩みを解決する、あるいは夢を実現するための手段として、移住を考えているのです。
とはいえ、受け入れる側の地方に、そうしたニーズに応える準備がないのも事実。いい就職先は、町役場、学校の先生、自衛隊くらいしかないという冗談が交わされる状況で、民間企業の受け皿は大きくありません。
地方には仕事がない、とはよくいわれることです。しかし、実際、その地域ではハローワークの求人以外にも、人と人とのつながりのなかで紹介される仕事もある。複数のジョブを組み合わせるような仕事の仕方も可能でしょう。あるいはお金を介さないで、お互いに手持ちの技術やアイデアを交換しながら暮らしていく、いわゆるシェアの考えと実践は本来、日本の農村がもっていたものでした。
そもそも今後も東京が一人勝ちを続けていくとは限りません。冒頭の話に戻れば、いま日本全国の都道府県のうち、もっとも出生率が低いのが首都であり、低成長のなかでの一極集中という非常に高いリスクを東京は抱えているのです。
私たちはいかに持続可能な社会をつくっていくか。
国の強さにこだわることが、かえって国民の活力を殺ぐことになるのはおのずと明らかでしょう。
(芳地隆之)