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小さなカフェで開催された「なんみんカフェ」の様子。
アフリカ風の食事をいっしょに食べることで、食事や生活の違いについても会話が弾みました

 昨年、日本で難民認定を申請した数は7586人。5年連続で過去最多を更新したとニュースでも取り上げられました。しかし、そのうち難民と認められたのは27人。シリア難民が国際的な話題になってから、日本でも難民受け入れについて議論される機会が増えましたが、では、実際に日本でどのように難民認定が行われ、申請者や認定者はどんな生活を送っているのでしょうか? 考えてみると知らないことばかりです。
 
 そこで、昨年11月末、東京・中野区のカフェで開催された「なんみんカフェVol.2~アフリカ編~」に参加してきました。アフリカの料理を食べながら、東アフリカ・ソマリアから難民認定を受けて日本で暮らすMさんと支援団体スタッフを中心に、20名ほどの参加者が囲むように座ってお話をうかがう、アットホームな雰囲気のイベントです。日本での難民受け入れの現状を多くの人に知ってもらいたいと不定期で開催されています。

 このなんみんカフェを主催しているのは、特定非営利法人「なんみんフォーラム」。2004年に設立された、日本に逃れてきた難民の支援を行う団体のネットワーク組織です。アムネスティ・インターナショナル日本、難民支援協会(JAR)、全国難民弁護団連絡会議(JLMR)など、15団体が会員として参加。ネットワークを利用しながら、助けを必要する方を適切な支援へとつなげる役割を果たしているそうです。

予定外だった、日本での難民申請

 この日、話をしてくれたMさんの母国ソマリアは、1991年の政権崩壊から実質的な無政府状態が続き、2012年にようやく新政府が樹立されました。しかし、各地でイスラム過激派組織「アル・シャバーブ」によるテロ事件が起きていて、治安が安定しません。また干ばつなどにより食糧難も深刻な状態。2014年時点でソマリア難民の数は111万人、難民発生国第3位です(UNHCR調査)。

 Mさんは、2012年に日本に逃れて来ましたが、もともと希望していたのは英語圏。ソマリアからドバイ、バンコク、成田、パラオを経由して、オーストラリアを目指していたそうです(長い道のりです・・・)。しかし、パラオでの入国が認められず、成田空港に一旦戻されることに。その後バンコクへと戻る予定でしたが、なんと成田空港でパスポートや書類を持っていた同行者が失踪。途方に暮れたMさんは、空港のインターネットを利用して、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のサイトを調べます。そこで初めて日本が難民条約批准国であることを知るのです。日本のことは学校で「ヒロシマ・ナガサキ」のことを学んだくらい。どんな国なのか、難民の受け入れ状況がどうなのかなどの情報がなく、候補には入っていなかったと言います。

 ところで、難民というと船に大量の人が乗って・・・というイメージがありますが、日本に難民として来るのは、飛行機での入国がほとんど。もちろん出入国審査があります。しかし内戦が起きている国では、出国ビザをとることは容易ではありません。そこで母国でブローカーにお金を払い、ビザや書類などを準備してもらうことになります。Mさんがオーストラリアに向かったのは、英語圏のなかでも最初にビザが降りた国だったから。逃れる先は自由に選べるわけではないのです。

 成田空港でパスポートも書類も失い、その日は空港のソファで眠ったというMさん。「どうしていいか分らず、非常にみじめな気分だった」と話します。翌日、入国管理局の職員がMさんを見つけ、その情報で駆けつけたなんみんフォーラムのスタッフとともに難民申請を行い、6カ月間の仮滞在許可を得ます。そして、都内のシェルターに滞在。なんみんフォーラムや日本国際社会事業団(ISSJ)から、生活面、法律面、医療面などの支援を受けながら過ごしたそうです。

長い審査期間が引き起こす、生活困窮やうつ状態

 Mさんに難民認定がおりたのは、それから実に8カ月後のこと。日本の難民認定率は非常に低いため、Mさんは非常にラッキーなケースだったといえるのかもしれません。難民条約によると、「難民」とは、「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員、政治的意見の5つのいずれかの理由(重複も有)によって『迫害を受けるおそれ』があること、国家の保護を受けられないこと」という条件を満たした人のことを指します。日本は国際的にみてもこの基準に対して厳格で、「武力紛争から逃れてきた」というだけでは認定は難しいのです。Mさんも5つのうちの複数要件を満たしています。しかし、なぜMさんには認定がおりて、他の人はダメなのか、その明確な理由は本人にも支援団体にもわかりません。

 日本の長い審査期間も、難民保護の課題のひとつだと言われています。難民認定申請後6カ月間がたっても結果が出ない場合は就労することも可能なのですが、いつまで滞在できるのかわからず、日本語を話せない外国人が仕事を見つけることが難しいことは容易に想像できます。仕事がなければ、当然生活に困窮します。申請期間中の生活支援金給付(全額支給の場合でも都内の生活保護費の3分の2程度で、医療費は実費)も制度としてはあるのですが、審査は厳しく、結果がでるまでに2~3カ月の待ち期間があります。その間に数少ないシェルターにも入れず、ホームレス状態になってしまう人もいるのです。 

 さらに、難民として逃れてくる方のなかには、母国でのつらい経験からトラウマを抱えている場合も少なくないそうです。そこに、「もし申請が却下されたら」という不安が重なるのです。母国に戻されれば命の危険にさらされる人もいるため、不安に堪えられずうつ状態に陥ってしまう人も・・・。一度申請が却下されても異議申し立てができますが、その場合の審査期間は平均で3年以上にもなります(※)。

(※)昨年9月、第5次出入国管理基本計画が策定され、日本での難民認定プロセスの短縮など運営の見直しが行われていますが、一方で、再申請のハードルが厳しくなるなどの懸念もあります。

「起きて最初に目にするのは死体だった」

 「難民」といっても、多くは母国の状況さえよければ私たちと変わらない日常生活を送っていたかもしれない人たちです。アフリカの料理の美味しさについて嬉しそうに説明してくれたMさんも、一見明るく若々しい青年でした(年齢を聞くと「恥ずかしいから」と、はにかんで教えてくれませんでしたが20代なかばくらいでしょうか)。しかし、シェルターに入居したときから不眠を訴え、なんみんフォーラムがカウンセリングにつないだところ、深刻なトラウマを抱えていることがわかったそうです。本人からその詳細は聞けませんでしたが、現在もPTSDの治療を継続しています。

 支援団体の人がこんな話もしてくれました。
「Mさんが空港からシェルターに入居した翌朝、起きて最初に言ったのは『日本は平和で良いね』という言葉でした。ソマリアで朝起きて最初に見るのは死体だったそうです。それを聞いて、つらい状況下で生活してきたんだと実感しました」

 難民認定がおりたMさんは、政府から委託を受けたRHQ(公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部)の定住支援を受け、日本語学校に通っています。また社会保障を受けることもできるようになりました。いまはアパートに移り、母国では途中で諦めざるを得なかった大学進学を目指しています。

「難民」として暮らす日本は・・・?

 Mさんに「日本での生活はどうですか?」とたずねると、「みんなとても親切で、平和」と答えてくれましたが、一方で「言葉が難しく、イスラム圏から来た人にとっては友達がつくりにくい」とも。外国人同士の友達はできても、日本人と友達になるきっかけがないそうです。また、「日本には黒人が少なく、みんなが慣れていないことも感じる。人通りの少ない夜道を歩くときは、女性が警戒するのを感じるから、ゆっくり近づかないように、と気をつけて歩いているんだ」という話には、切ない気持ちになりました。

 やっとの思いで難民認定がおりても、それですぐ自立できるわけではありません。文化も言葉も異なり、頼れる人のいない国で、仕事を見つけ、人間関係を築いて、本当の意味で自立していくのは大変なこと。物理的な支援だけでなく、精神的な支援、そして地域や職場などの私たち受け入れる側での準備も必要なのだと感じました。

 今回は、「なんみんカフェ」でMさんのお話をうかがいましたが、日本に逃れてくる難民一人ひとり、それぞれの事情も状況も異なることでしょう。何より認定を受けられずにいる人のほうがはるかに多いのですから、まだまだ知らないことがたくさんあります。けれど「分からないこと」や「知らないこと」をベースに、イメージだけで議論するのはとても難しいこと。「なんとなく不安」とか、「不法な人も多いんでしょう?」などと、「難民」をひと括りにした曖昧なイメージで語ることは、差別や排除を生みかねません。少し前に広がった生活保護バッシングのことも頭をよぎります。「不正が行われないようにすること」も大事かもしれませんが、「不当な人権侵害が行われないようにすること」はさらに大事です。

 以前に、「この人に聞きたい」のインタビューで、NPO「難民を助ける会(AAR)」の長有紀枝さんが、「難民になる可能性は日本人の私たちにもある」と話していましたが、人権に線引きしようとするとき、私たち自身の人権も線引きされる可能性を考えないといけません。簡単に答えのでる問題ではありませんが、日本での難民受け入れについてもっと知り、話し合う場が必要だと感じます。
 

***

 「なんみんカフェ」は、「Vol.1 中東・イスラーム編」から始まりました。まだ次回の開催時期や詳細は決まっていないそうですが、ご興味をもたれた方は、なんみんフォーラムのHPをチェックしてみてください。

(中村未絵)

 

  

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