今週の「マガジン9」

 道路沿いにマネキン人形がごろごろ転がっているように見えた――その人は東京大空襲を思い出してこう言いました。

 1945年3月10日未明。日本の首都の空に飛来したB29の大編隊は、高度3000メートルから、ときには1000メートルの低空飛行から焼夷弾大小合わせて約19万個を2時間半にわたって投下しました。

 現在の墨田区に住んでいた彼は、前日に祖母の疎開先の船橋にいたので、大空襲を免れたものの、千葉から見える真っ赤な炎の立ち上がる東京方面の空にいてもたってもいられず、翌朝、自宅へ向かいました。そして、市街に入った彼の目に飛び込んできたのは、黒焦げで、衣服も髪の毛もすっかり焼け落ち硬直した死体でした。それを彼は最初、人間の身体とは思えなかったのです。

 墨田、江東、台東、中央など下町を中心に焼き尽くされた住宅は26万8000戸、死者は10万人以上。当時の東京の人口がおよそ349万人だったので、一晩で約3%の人々(それもほとんどが非戦闘員)の命が奪われたことになります。

 この作戦を指揮したのは爆撃兵団の司令官、カーティス・ルメイ。彼は「最小コストで最大効果を上げる」費用対効果の考え方を戦争に取り入れ、夜間の低空飛行による爆撃で日本各地を焦土化する計画を立案していました。

 その彼が勲一等旭日大綬章を受けたのは戦後19年目の1964年。日本の航空自衛隊育成への協力を評価した第1次佐藤内閣による閣議決定でした。

 このことを思い出したのは、先日、秋の叙勲受章者の中に、アメリカのリチャード・アーミテージ元国務副長官ならびにドナルド・ラムズフェルド元国防長官の名前があったからです。前者は、ハーバード大学のジョゼフ・ナイ特別功労教授とともに、いわゆる「アーミテージ・ナイリポート」を発表し、原発再稼働、TPP加盟、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃などを日本に求めている人物。後者はブッシュ政権下の国防長官として、イラク戦争を主導した人物です。

 アーミテージやラムズフェルドはイラクへの自衛隊の派遣を強く求めたのですが、イラク戦争開戦の理由「イラクによる大量破壊兵器の開発」が虚偽であったことが後に明らかになりました。当時の英国首相のトニー・ブレア氏は先月、自分たちが受け取った情報が間違っていたことに対する謝罪の意を表明しています。

 ルメイとアーミテージ、ラムズフェルド。彼らの叙勲に共通点があるとすれば、日本という国のメンタリティは何に、どこに依拠しているのか。それを問わずにはいられない報でした。

(芳地隆之)

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : 今週の「マガジン9」

Featuring Top 10/195 of 今週の「マガジン9」

マガ9のコンテンツ

カテゴリー