柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 10月はノーベル賞の季節である。メディアは、候補者の名前を挙げて、いろいろと準備をし、発表を待つ。今年は発表のトップを切って、生理学・医学賞に大村智博士、翌日の物理学賞に梶田隆章博士、と連続受賞があって、ノーベル賞報道が一気に盛り上がった。
 大村博士は、北里大学特別栄誉教授で80歳。アフリカなどで流行する河川盲目症(オンコセルカ症)の失明を防ぐ抗寄生虫薬「イベルメクチン」の開発者として知られる。大勢のアフリカの人たちを救った恩人といわれた人である。熱帯病に取り組んで倒れた野口英世の功績を思い浮かべて、「第二の野口英世だ」と報じたメディアもあった。
 一方、物理学賞の梶田博士は、東大宇宙線研究所長の56歳。素粒子のひとつ、ニュートリノに質量があることを実験的に証明した功績が評価された。ニュートリノの研究でノーベル賞を受賞する日本人は2002年の小柴昌俊博士に次いで二人目である。
 大村博士は「実際に人の役に立った」研究であり、梶田博士の研究は「すぐには役に立たない」もので、科学技術の発展にはそういう対照的な面があることを、見事に浮き彫りにした両賞の受賞だった。
 大村博士は山梨大学出身、梶田博士は埼玉大学出身と二人とも地方大学の出身であることが、今年のノーベル賞の最大の話題であり、このことが意味するところは極めて大きいといえよう。
 というのは、このところ日本の科学技術政策は、「成果主義」を標榜してすぐに成果が上がりそうなものに力を入れることを重視して、地方大学より東大や京大などに重点的に予算配分を厚くするような傾向がみられたからだ。
 また、成果主義がもたらした結果として、理化学研究所の「STAP細胞事件」のような「一刻も早く成果を」という焦りが生んだ大失態まで起こっているのである。
 「ばら撒きより重点的に」というのは一見、効率的なように見えて、必ずしもそうではない。科学技術の発展にはまったく予想もしなかったような分野から大きな成果が生まれることが珍しくないのだ。
 とくに東大や京大などの重点校を偏重する「学歴主義」はいまや完全に崩壊しつつある。入学試験が難関だけに、入学しただけで「目標を達成したかのような錯覚」に陥り、その後は伸びない人が少なくないからだ。
 大学は人生の通過点にすぎない。大学を卒業した後の努力こそ大事なのだ、ということを教えてくれたのが今年のノーベル賞だった。全国の地方大学に学ぶ学生たちに「大村・梶田博士につづけ!」と檄を飛ばしたい。

残念だった文学賞、平和賞

 ノーベル賞は、生理学・医学賞、物理学賞につづき、化学賞、文学賞、平和賞、経済学賞と順次、発表されていき、「もしや」と期待して待ったが、残念ながら日本人の受賞はなかった。
 文学賞では、村上春樹氏が最有力候補として挙がっていただけに、ファンが集まって待機していたほどなのに、今年もまた「残念会」に変わってしまった。
 私が文学賞以上に残念に思ったのは平和賞である。平和賞の候補としてヒロシマ・ナガサキの被爆者団体や「憲法九条の会」などがノミネートされていたので、もし憲法九条が受賞でもしたら、「憲法九条に違反する安保法案を強引に成立させた安倍政権への痛烈な批判になる」と秘かに期待していたのだが、だめだった。
 平和賞と言えば、日本人として唯一の受賞者に佐藤栄作・元首相がいる。核兵器を「つくらず・持たず・持ち込ませず」という非核三原則を確立した政治家としての受賞である。ところが、佐藤元首相は沖縄返還にあたって自ら「核持ち込み」の密約を結んでいた当人であることがあとで分かり、ノーベル賞の選考委員会をして「最大の誤りだった」と嘆かせた受賞者だ。
 正直な人なら受賞が決まっても辞退すべきケースだったのに、逆に平和賞をもらおうと運動したと言われているのだから、日本人の恥を世界にさらした人だといわれるのも無理はない。
 佐藤元首相は、安倍首相の祖父で日本を戦争に導いたとしてA級戦犯に問われた岸信介元首相の弟で、安倍首相自身も「戦前の日本は悪くなかった」という歴史観の持ち主として中国、韓国だけでなく国際的にはひんしゅくを買っている人だから、よくよく日本人の評価を下げる役回りの一家なのだろう。

TPPは本当に日本にとってプラスなのか

 今月のニュースとしては、長年の懸案だったTPP交渉が大筋合意に達したことがあげられよう。安倍首相や甘利担当相は「日本にとって大成功だった」と自画自賛しているが、本当にそう信じていいのだろうか。
 そもそも自民党は、先の総選挙で「TPPには反対だ」という公約を掲げていたはずだ。もちろん、交渉によってマイナスがプラスに転じたのなら自画自賛してもかまわないが、なにせ交渉の中身をほとんど明らかにせず、ただ、「よかった、よかった」と言っているだけなので、逆に心配でならない。
 野党が「TPPの論議のために臨時国会を」と要求したのに、自民・公明の与党は、開きたくないと難色を示している。その点一つとっても、どうもおかしいのだ。
 「TPPで日本の農業は壊滅する」といわれていた農業関係に危惧の念が集中しているが、もっと心配なのは日本の医療制度への影響だ。もともとTPPには、米国企業の日本の医療や保険業界への進出が狙いだといわれており、その点に強く警鐘を鳴らしている人も少なくないのだ。
 また、TPPにはISD条項(国家と投資家の間の紛争解決制度)というのがあり、外国の企業が日本に投資したことにからんで、日本の政府や裁判所が住民の立場から「待った」をかけた場合に、巨額の賠償金を請求されることを心配している人もいる。
 また、日本だけでなく、TPPの合意成立後の選挙で、推進した与党が敗れ、政権交代がおこなわれたカナダをはじめ、当の米国でもオバマ大統領の後継者と目されているヒラリー・クリントン氏まで反対声明を出すなど、まだまだ大きく揺れ動いている。
 いずれにせよ、日本も早急に臨時国会を開き、疑問点の解明に全力を挙げるべきだろう。日本の未来の姿がどうなるか、その成否がかかっている重大な分岐点なのだから…。メディアも、国会でTPPの合意についての論議をするよう、もっと政府・与党に迫るべきではないか。

世界記憶遺産で、日本政府がユネスコに「脅し」

 ユネスコの世界記憶遺産に日本から提案した「シベリア抑留者の記録」など2点が認められたが、中国から提案された南京事件の記録が認められたことに対して、日本政府はユネスコに強く抗議した。
 南京事件の犠牲者の数を、中国が30万人と主張していることに対して、当時の南京の人口から考えても「それは多すぎる」と日本が反論していることはかねてからのことで、現に日中の共同研究の結果として「最大でも20万人、あるいは4万人くらいかもしれないという説もある」としているのだから、30万人は多すぎると主張するだけなら問題はない。
 ところが、日本政府は、ユネスコが南京事件を世界記憶遺産に認めたこと自体を「政治的な決定だ」と非難しただけでなく、「ユネスコに出している日本の負担金を停止することも辞さない」と脅しをかけたことは、いただけない。
 「南京事件なんてなかったのだ」と主張する人も日本にいないわけではないが、それは「ナチスのホロコーストなんてなかった」というのと同じく、ごく少数の右翼に過ぎない。南京事件があったことは歴史的な事実であり、安倍首相も「70年談話」で侵略や植民地支配の事実を認めて謝罪する姿勢を継承したのだから、日本政府がユネスコに「カネを出さないぞ」と脅しをかけるなんて、国際社会に対しても恥ずかしい行為だといえよう。
 現に、それはすぐに日本にも跳ね返ってきて、日本が提案して認められた「シベリア抑留の記録」に対して、ロシアから「政治的な決定だ」と抗議がなされたのである。
 この事件に対するメディアの姿勢も、相変わらず二極分化しているが、私がたまたま見ていたテレビ朝日の22日午前の「ワイド! スクランブル」で、識者を招いての「南京事件…世界遺産登録の背景とは」と題する解説には仰天した。
 南京事件を起こした時の日本軍と戦っていたのは蒋介石軍であって、毛沢東軍ではない。毛沢東軍は南京から1000キロも離れた延安にいただけだと地図まで示して、毛沢東の足跡を記した膨大な公式記録にも南京事件は「ひと言」しか載っていないのだと解説する。そして、それを論拠として、いまの共産党政権が南京事件の世界記憶遺産への登録に抗議するのは筋違いだというのだから、驚くほかない。
 南京で戦ったのは蒋介石軍であっても、南京事件の問題点は、軍隊とは関係のない住民を虐殺したところにあり、戦った軍隊がどちらであっても関係ない。政権が代わったら前の政権時代の歴史的な事実について発言できなくなるという論理が通ったら、それこそ日本も「南京事件は戦前の政府のやったことだ。いまの政府には関係ない」ということになってしまうだろう。
 こんなニュース解説がフジテレビや日本テレビでなく、テレビ朝日に登場したのだから、私がひときわ驚いたわけである。

何をやるのか訳の分からない一億総活躍大臣の誕生

 ところで、安倍政権は安保法案が成立したところで内閣改造をおこない、またまた一億総活躍大臣という訳の分からない閣僚を創りだした。前に創った地方創生大臣というのも、何をやるのかよく分からないもので、産業の振興なら経産相が、交通網の整備なら国土交通相が、大学や研究機関の整備なら文部科学相がいるのだから、何をやろうとしても他の大臣と競合するに違いない。
 それに、一億総活躍という名前がよくない。戦前、戦中を知っている私は、まず「一億火の玉」「一億玉砕」といった言葉を思い出した。また戦後の「一億総ざんげ」という言葉も戦争責任を誰もとろうとしない無責任体制を象徴するもので、どれもよい印象はない。
 新内閣で注目すべきは、河野太郎・行政改革相だろう。河野氏は自民党のなかで原発反対を強く叫び続けていた人で、今回の入閣は、河野氏を黙らせるためのものではないかとさえ言われている。
 現に、河野氏は入閣と同時に、それまで活発に発信していたブログ「ごまめの歯ぎしり」を一時非公開にしてしまい、原発反対についても「閣内不統一」とならないよう当分、何も言わないと宣言している。しかし、突然考えが変わったわけではないだろうから、安倍政権は閣内に「爆弾」を抱えたというべきかもしれない。いつか、閣内で持論を展開してもらいたいと思うが、それは、ちょっと期待しすぎか。

工事のデータ改ざんでマンションが傾く、日本も傾く?

 もう一つ付け加えると、横浜のマンションが傾いた事件があり、調べた結果、下請け、孫請けの企業が、ビルを支える杭が固い地盤にまで届いていないことを知りながら、データを改ざんしていたことが分かって、大騒ぎとなった。
 この事件から思うことは、日本の高度成長を支えてきた「モノづくり」の技術も倫理も、いまや地に落ちてしまった、ということだ。下請け、孫請けという二重、三重構造や、正社員、派遣社員、アルバイトといった格差社会の誕生も、それと無縁ではあるまい。
 そういえば、マンションだけでなく、日本も傾きだしたのではなかろうか。70年間、平和国家の土台を支えてきた憲法9条という杭を改ざんして宙に浮かせ、世界中どこでも武力行使ができるようにしたことで、これからどんどん傾いていくのではないか。
 とくに、日本が米国の下請け、孫請けになろうとしているようにみえるだけに、いっそう心配だ。安保法案で傾きだした日本の土台を調べ直して、すぐにも建て替える作業に取り掛かるべきだろう。

 

  

※コメントは承認制です。
第83回 地方大学出身の二人にノーベル賞!」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    該当する住宅の住人のみならず、多くの人に不安を与えたマンション工事の不正問題。単なる一企業の問題というよりも、利益優先で走り続けてきた社会の歪みが一つの形で露呈したということなのかもしれません。
    そして、日本という国家もまた「傾きだしている」のではないか、という柴田さん。もはや倒壊が止められない状態になる前に、なんとか土台からの建て直しを図りたいと思います。

  2. 島 憲治 より:

    民主主義の土壌は痩せ細るばかりだ。いろいろな要因が重なっているだろうが、私が注目したいのは、小・中学校の校訓として掲げる「素直な心」である。なぜなら、とかく同調圧力の武器に使われやすいからだ。とすれば、既に小学校就学時に民主主義の前提が浸食されていると言えよう。民主主義制度は一人一人の「主体性」が前提に成り立つ制度だからだ。国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することができるから進歩するものであろう。とすれば、大切なのは「素直な心」ではなく「主体性」、つまり「考える力」である。ところが、素直に育った子、従順に育てられた子どもは「考える力」が中々身につかない様だ。勿論、受験学力を高めて身につく代物ではない。                     子ども達は不透明な時代、しかも長寿社会を生き延びなければならない。その為にも「考える力」の醸成は欠かせないと考える。
    そろそろ校訓の見直しをする時期に来ていないだろうか。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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