単純な私はそのニュースを聞いて「一歩前進だ」と喜んでしまった。原子力発電所の運転期間を原則40年にする、と1月6日に政府が方針を発表した時のことである。
これまで曖昧だった原発の寿命が、初めて法律できちんと定められる。国内54基の原発が、どんなに遅くたって2050年にはゼロになる。新年早々、めでたい話じゃねえか。これで脱原発運動も一段落かな、と。
しかし、少し間を置いてから、これまでの取材経験をもとに「役所言葉」を翻訳してみて、自分の考えの甘さに我ながら愕然とした。
「運転期間40年」によって政府が意図しているのは、「原発の寿命を40年に制限する」ではなく、「設置から40年間は原発を自由に運転できる」だと気づいたからだ。つまり、政府には今ある原発をすぐにどうにかするつもりはなく、40年が経つまでは何がなんでも運転を続けるという宣言に他ならない。
48基が定期検査などで停止しており、残る6基も春までに停まる状況にあって、いったん停止させた原発は原則として再稼働させますよと、高らかにうたっているのである。再稼働の前提となるストレステストの審査が進められている時期に打ち出されたことにも、注意しなければなるまい。実際、発表の翌日には、民主党の仙谷さんという有力者が早速、「再稼働が相当程度必要だ」と述べている(読売新聞・1月8日付朝刊)。
それに、この方針には「例外」とやらが設けられるらしい。40年の根拠は措くとして、「40年を超えたら危ない、だから廃炉だ」と法律で一律に決めるのであれば、そもそも例外なんて成り立ちえないはずなのに。
しかも、例外の審査基準づくりはこれからだと聞くと、ますます信用ならなくなる。毎日新聞によると、「事業者から申請があった場合には(1)施設自体の老朽化の評価(2)施設を保全できる技術的能力を審査し、問題がない限り延長を承認する」そうだから、細野さんという大臣が言われるような高いハードルになるとは思えない。
役所のやり方の常として、最初のうちこそ、いくつかの原発を廃炉にするだろう。でも、次第にうやむやにされ、何やかやともっともらしい理屈が付いて、何度も延長が認められる原発が出てくる可能性は否定できない。「40年の寿命」というのは政・官・財界の時間稼ぎで、その間に次の作戦を画策しようとしているんだって考えると、ストンと落ちる。最初から骨抜きにするつもりなのだ。
いやはや、役人さんたちはいつも巧妙である。そして、発表の垂れ流し記事を見た一般読者は、ある程度、納得させられてしまうだろう。朝日新聞の12月の世論調査では、「原発を段階的に減らし、将来は、やめること」に77%が賛成と答えている。「段階的縮小」が世間の主流になる中、「とりあえず廃炉の時期が示されたんだから、まあいっか」と受けとめる人は多いのではないか。脱原発の切り崩しにもつながりかねない方針なのである。
で、改めて「原則40年で廃炉」と大きな見出しで伝える新聞を眺めてみて、「電力不足どう解消」と題した朝日新聞・1月7日付朝刊の記事に、いろんな意味で引っかかった。記事によると、原発を増設できずに運転開始後40年で順次廃炉にしていくと、2030年末には18基に減るので、稼働率90%でも総電力量の16%にしかならず、36%分が不足する計算らしい。不足分は再生可能エネルギー、天然ガスや石炭による火力発電でまかなうほか、「節電して電力需要を抑えるほかない」と説いている。
まず気になったのは、原発を減らす責任が「節電」という形で国民に転嫁されようとしている点である。言い換えると、節電が進まないことを前面に打ち出して、原発を継続する道を残していると受け取ることもできる。その際には「国民の節電意識が低く、電力供給量が不足するおそれがあるから」なんて理由が付くのだろう。
それから、節電で最も痛みを受けるのが誰かを顧みずに、「節電しない奴は非国民」みたいな世論が形成されかねないことへの懸念だ。その萌芽は、すでに昨夏、見られたと思う。電気の使用量を減らしたと自慢していた人は、単に電気を浪費していただけなのに、それが当然みたいな風潮だった。でも、すでにギリギリの電気代で生活していた経済的弱者にあっては、使用量を減らしようがない。節電でも電気代の値上げでも貧困層にしてみれば死活問題で、場合によっては原発がなくなる前に生命を失う人たちが続出するかもしれないことに、思いをはせる必要がある。
以前にも書いたが、原発がなくなれば社会や経済の仕組みは大きく変わり、そこからこぼれ落ちる人が少なからず出る。だから、あらかじめしっかりとしたセーフティーネットを構築しておくことが、脱原発の前提条件だと思う。もちろん一義的には行政が責任を負うべきだが、私たち国民も知恵を絞るべきだ。脱原発を主張するのであれば、なおさらだろう。だって、積極的にではないにせよ、原発推進を国策とする政権を結果として選び、原発に依存した社会や経済を築いてきたのは、他ならぬ私たちなのだから。
同じ文脈で言えば、廃炉にした後の原発の地元のビジョン作りも急ぎたい。 これも何度も書いてきたが、都会の住民は結果として危険な原発を地方に押し付けてきた。少なくとも、その土地に原発を中心にした社会・経済を構築せざるを得ないように仕向けてしまったのは事実である。生活や雇用の柱を奪う以上、地元と一緒になって代替策を探る責任は免れまい。
脱原発派の中にも「地域経済のあり方はその土地の人が考えるべき問題で、都市住民が責任を負うものではない」とおっしゃられる方がいる。でも、他人事のようなセリフを平気で言えちゃううちは、原発なんてなくならないのだと思う。むしろ、セーフティーネットにしても、原発の地元の今後にしても、解決の道筋が早くつけばつくほど脱原発に賛同する層が増えて、廃炉の時期が前倒しになる可能性が高まるのではないだろうか。
「40年で原則廃炉」という、役所言葉のオブラートに包まれた方針によって、脱原発のゆくえはますます混沌としてきた。立ち向かっていくには、遠回りのようでも弱者の側に寄り添いつつ、地道に輪を広げていくしかあるまい。これからの脱原発運動に一番必要なのは「優しさ」なのかもしれない。
原子炉の「寿命」を定めた初の法案。
「脱原発」へ向けての、前進なのか後退なのか?
少なくとも、こうして「翻訳」してみる限り、
単純に「前進だ」と喜んでいるわけにはいかなさそうです。