映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第23回

「消費の神」の崇拝者

NYの街角に設けられたツリーの直売所(撮影:想田和弘)

 今年もニューヨークでクリスマスを迎えている。

 街角では、クリスマスツリー用の常緑樹が大量に売り出されている。欧米のクリスマスはしばしば日本の正月と比較されるが、実際、クリスマスツリーは門松と似ている。冬至の時期という、太陽の力が最も弱まった「死の季節」に、あえて「永遠の生命」の象徴である常緑樹を飾ってお祝いをする。洋の東西で、発想に共通するものが感じられる。

 クリスマスは「キリストの誕生日を祝うもの」とされ、そう広く信じられている。だが、聖書の記述などから、実はイエス・キリストは冬以外の季節に生まれたのではないかという説が有力である。その説が正しいのだとすれば、昔の人は敢えて冬至の時期である12月25日をキリストの誕生日と決め、お祝いしようと考えたことになる。

 なんだ、だとしたら捏造じゃないか、とお怒りになる人もいるかもしれない。でも、僕はむしろその虚構の奥深さに感動してしまう。

 なぜなら、冬至とは一年で最も日照時間が短い日だが、同時にそれは、これから再び日が長くなり、太陽の勢いが復活していく地点でもある。その時期に「復活」の象徴であるキリストを重ねて崇拝するのだとすれば、それは自然と共に生き、太陽の運行サイクルに生活を規定されていた昔の人々にとって、ごく自然な発想なのではないか。そんな風に思うのだ。

 そういう目で眺めてみると、クリスマスツリーは、実はキリストのメタファーなんじゃないか、などという妄想も湧いてくる。生きている木をわざわざ切って飾る行為は、「犠牲」の暗喩にも思えるからだ。

 とはいえ、現代のクリスマスは「太陽の死と復活」だの「犠牲」などとはおよそ無関係にみえる。敬虔なクリスチャンを除けば、現代人がクリスマスで祝福・崇拝しているのは、「消費の神」なのではないか。

 実際、アメリカでのクリスマス商戦とプレゼントの応酬は凄まじい。「家族の誰かにプレゼントを渡し忘れたら大変」という強迫観念だか信仰心だかに追われるように、師走に入るとみんな殺気立ってプレゼントを買いあさる。この時期に五番街などへうっかり出かけたら、あまりの人出で歩道を歩けないくらいである。

 面白いのは、気に入らなかったら返品できるようにと、レシートを添えてプレゼントをあげる人も多いことである。だからクリスマスが明けると、店が返品のために並ぶ人々でごったがえす。

 クリスマス商戦が激しいのは、日本でも同様であろう。日本では誰が考えたのか「クリスマス=カップルで過ごす日」などとマーケティングされ、大勢の人々もそう思い込んでいる。冷静に考えれば、キリストと一体何の関係があるのか、まったくわからないのだが。

 でも、消費の神を崇拝しているのは、アメリカ人や日本人だけではない。以前12月に映画祭出席のためにドバイへ行ったら、巨大なショッピング・モールがクリスマスの飾り付けでキラキラしていたのでびっくりした。ドバイってイスラム教圏のはずなのだが…。消費の神の信者としては、クリスマスにかこつけて商品が売れるならそれも信心、ということなのだろう。

 今や「消費教」こそが、世界で最も繁栄した、普遍的な「世界宗教」なのだと思う。私たちを凌駕し圧倒する「大きなもの」といえば、もはやそれは「自然」や「絶対神」ではなく、「カネ」や「消費」なのである。

 おかげで、どこの国でも選挙になると大体は「経済」が最大の争点になる。いや、「みんなが食えること」という本来の意味での経済が論じられるのならいいのだが、たいていは経済=景気や消費を意味する。つまり、どうやったら人々がもっと物やサービスを消費して、企業が儲けを得られるようになるか。それだけが焦点になる。あたかも国家が巨大な営利企業になったかのように。

 この間の衆議院選挙もそうだった。

 安倍晋三首相は景気や株価の話はするけれど、拡大する経済格差や貧困の話には触れようとしない。あたかもそれは「経済」の問題ではないかのように。でも、実は大半の日本人には、後者の方が真の経済問題なのではないだろうか。そして、真の経済問題やその他の重要な争点が巧妙に隠されたまま選挙は行われ、安倍政権はまたもや大勝した。

 「消費教」の勝利である。安倍さんは「消費教日本支部」の有能な宣教師である。

 私たちがその洗脳から自由になる日は、いつか訪れるのであろうか。

 

  

※コメントは承認制です。
第23回 「消費の神」の崇拝者」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    時間の余裕を失うくらい働いて、手にしたお金でモノを消費をして、消費するためにまた働く…。でも、自分の身を削って得たお金で消費しているものが、実はそんなに必要のないものだったり、自分でも作れるものだったりすることがあります。3・11を経ても、まだ私たちは消費教から逃れられないのでしょうか。

  2. 敗戦作家 より:

    ときどき目を通しています。今、この国でこんな考えを大勢に見せてしまうのは大変なリスクを伴っているように思います。それでも、現代日本で育った人にもまだこんな人がいるんだと慰めにもなっています。ありがとうございます。
    今回の文章についてですが、私はすでに手遅れだと判断しています。なぜならば、20年以上かけて日本全国で暮らし深くかかわり実際日本暮らしている人とはどんな人なのか、「みんな」とはなんなのか、私の存在理由をかけた調査の結果です。ですが、人も変わるものです。まだ私も変わるのだと思います。

  3. keukmi より:

    老後はナーシングホームで一人で亡くなる、という事が多いアメリカで、義母を見送った。死を迎える施設ナーシングホームは亡くなった人の持ち物、財産を処分して施設利用費を回収しようとするところが多いと聞く。彼女自身、看護婦として長く働き、税金を納め、年金を払い、一軒家を購入してローンが終わったころに死を迎え、一生を通して払い続けた家は市か老人施設に回収される。この国の市民ってとことんしゃぶりつくされるようにできていると想像がめぐり、恐ろしかった。それがアメリカの消費教だとしたら、それに飲み込まれないように心して生きねば。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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